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【拡散】「小沢一郎は震災の時に何もしていなかった」という小沢批判を木端微塵に粉砕する。

2012年07月16日 | 政治


週刊文春がスクープとして取り上げた「小沢一郎・妻からの離縁状」ですが、
この中で小沢一郎は放射能が怖くて逃げ回っていたという文面があります。
既にこの文章は捏造であり事実無根であることが明らかになっています。

明らかに小沢潰しの一環であり、僕は、この捏造スクープを発刊した
責任を週刊文春はどう取るつもりなのか興味を持って見ています。

以下の文章は、岩手県知事の達増さんが日本一新の会に寄稿した文章で
THE JOURNALの4月22日にアップされているものです。

現職の知事が書いている文章です。小沢一郎とその意を受けた議員たちが
震災復興のために汗を掻いたことを示しています。
是非、ご一読下さい。
 

==以下引用==

東日本大震災津波・岩手からの報告

日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)

 「日本一新メルマガ」への投稿は、大震災津波後、初めてになります。岩手県や県内被災地に対し、全国から、世界から、多くの支援、お見舞い、激励をいただいています。この場を借りて、感謝申し上げます。

 また、大震災で犠牲になられた方々、その関係者の方々に、心からの哀悼の意を捧げます。

 発災翌日の3月12日、岩手県選出参議院議員である平野達男内閣府副大臣が、23人の事務方と共に岩手入りし、岩手県庁内に政府の現地連絡対策室を立ち上げました。事務方は、内閣府の防災担当参事官の下に各省庁の若手で構成。県庁内には、11日のうちに自衛隊の連絡窓口もでき、その後、北東北3県を管轄する第9師団の司令部が青森市から岩手県庁に移されました。

 これにより、発災当初から、被災地が直面する課題について国と地方自治体の職員が共同で解決する体制ができました。同じころ、県は、停電と通信途絶の中で、12の沿岸市町村全てに本庁職員を派遣して、状況を把握し、初動を支援しました。市町村と、県と、国の各省庁がつながって、人命救助、避難、応急復旧、被災者支援を展開しました。避難所のケアは、自衛隊に負うところ大です。

 工場で研修をしていた中国人が多数被災したので、外務省の中国語ができる職員にすぐ来てもらいました。被災市町村の行政機能が大きく損なわれており、県や他市町村からの大規模な支援が必要だということで、市町村行政に詳しい総務省職員に来てもらい、支援体制作りを手伝ってもらいました。その他にも、いろいろと、現場の要請で各省庁に動いてもらいました。後に政府が決めた被災地支援策のかなりの部分は、市町村、県、各省庁の事務方の「現場力」で作り上げたといえます。

ガソリンなどの燃料不足が長く続いた件は「現場力」では対応しきれず政府による全国的な調整力と指導力の不足がたたりました。なお、宮城県の政府現地連絡対策室担当の東祥三内閣府副大臣が岩手の被災地入りした時に、仮設ガソリンスタンドの設置を現地で決めてくれ、すぐ実行されたのは助かりました。

 「政治主導」を感じたのは、がれきの処理です。樋高剛環境政務官が政府のがれき処理プロジェクトチームの座長となり、関係省庁の事務方を糾合し、平時であれば1年かかるような省庁間調整を2、3日で終わらせました。阪神淡路大震災時を上回る財政措置も決まりました。がれき問題は被災市町村長が抱える最大の悩みの一つであり、大いに助かりました。樋高政務官は、中選挙区時代に小沢一郎秘書として陸前高田市などの今回の被災地を担当しており、かつて一軒一軒歩いた家ががれきとなってしまった、そのがれきの問題は何としても解決しなければならない、と言っていました。

 発災直後、私が被災地の市町村長さん達にお願いしたのは、住宅地図で一軒一軒確認するように被害状況を把握すること、名簿をしっかり作って住民の安否状況を把握すること、でした。住宅地図と名簿は、小沢一郎さんに習った選挙手法でもあり、災害対策本部長の仕事は選挙対策本部長の仕事と共通点がある、と思いました。

 また、私は津波の被害を受けなかった内陸の市町村長さん達に集まってもらって沿岸支援への協力をお願いし、さらに、県内の諸団体に被災地支援をお願いする文書を作って協力を依頼しました。目的を達成するために、より多くの団体、企業、個人の支援を取り付けていく、というのも選挙の手法に似ています。選挙において有権者の力を結集して為すべきことを実現する手法は、災害においてあらゆる力を結集して被災者を救う手法と共通するのです。

 ちなみに、団体対策に強い自民党本部は今回の災害でも動きがよく、経団連と被災県を直接結ぶホットラインは、経団連の機関紙で喧伝されていますが、自民党災害対策本部が仲介してくれたものです。

 がれき処理で財務省が前例のない財政措置を認めたのには、小沢一郎さんのはからいがあったと思います。小沢一郎さんが岩手入りした時、私との会談では「県は補正予算でいくら確保したか」とか「国の本予算には○兆円の予備費があるから、まずそれを使えばよい」とか、財政的な話が中心になりました。財務省筋から、かなり情報を得ており、また財務省に対してかなり影響を及ぼしているな、という印象を受けました。がれき処理以外でも、財務省が前例のない財政措置を認めた分野がいくつかあります。

 私は、平安時代の中央政府による東北平定の歴史を踏まえ「東祥三さんは宮城駐在の征夷大将軍、平野達男さんは岩手駐在の鎮守府将軍。今回は地方勢力と力を合わせて東北の平安のために働いていますが、小沢先生こそ2人の将軍の上にいる大将軍だと思っていますからね」と言いました。小沢一郎さんは、「はっはっは」と笑うだけでしたが、本人も大将軍的な立場を自覚していろいろ手を打っているのだな、と私は感じました。

 それから、仙台空港を在沖縄米軍が片付けたのは、新進党から自由党のころに小沢側近と呼ばれていた元衆議院議員の米津等史さんの働きかけによるものだったようです。米津さんは普天間問題の関係で在沖縄米軍と一緒に仕事をしており、大震災津波後、仙台空港が放置されているのをテレビで見て、在沖縄米軍に片付けられないかと持ちかけたところ、じゃあやろう、ということになった由。ここでも小沢一郎の弟子が奔走していました。

 大震災津波そのものによる被害への対策については、「小沢力」がかなり有効に働いていると思います。しかし、今のままでは、「小沢力」が全く生かされないのが、原発対策です。本人も、そこが一番もどかしいと感じているのではないでしょうか。

==以上引用==


僕も、小沢軍団の末端民間人として何度も東北に行ってボランティア活動に参加しています。
昨年12月19日に達増知事への表敬訪問し固い握手をして帰ってきました。

我々は、出来ることをやる。今すぐ出来ることを精一杯やる。それが、小沢さんの教えなのです。



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4 コメント

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Unknown (畠山清孝)
2012-07-16 17:30:55
浅野様 
 初めて投稿します。
私は岩手県大船渡市在住の者です。
今でも毎日ボランテアの方々が大船渡、隣の陸前高田で一所懸命かたずけ等の作業をされているのを見感謝しています。有難いことです。
 小沢先生は今回「国民の生活が第一」を立ち上げました。「税と社会保障の一体改革と言われる 法案」に反対、棄権し、まだ民主党に残っておられる各議員の方々は有権者(全国民)にどのような説明をするのか。岩手県内の2議員は説明ではなく言い訳けを言っているように感じます。
ツイッターから来ました (さとし)
2012-07-16 18:29:28
確かこの時財務副大臣は宮城の参議院議員桜井充さんだったと思います。
市議選の応援で聞きましたが、重い腰の財務官僚のケツを蹴飛ばし現地へ行かせたことによって財務省が予算の策定に動いた旨をおっしゃっていました。
また、桜井議員は小沢氏と近く、代表選の出馬にも相談していた仲というのを同じ宮城2区の元民主党、現新党きずなの斉藤やすのり議員からうかがっております。
小沢人脈は間違いなく現地で活躍しておりました。
とりあえず自分が議員本人の口からきいたことをお知らせします。
結局 (通りすがり)
2012-07-16 18:30:15
何もしてないじゃん
証拠としては弱い気がします (盛岡市民)
2012-07-17 04:15:26
「小沢先生の秘書が現地を飛びまわって活動していた」
という噂は聞いた覚えがあります。
が、小沢先生ご本人の言葉・行動は聞いた覚えがありません。

知事の文にも、具体的な小沢先生の活動描写が欠けています。
これでは批判の粉砕などできないでしょう。
もっとどんな支持をだし、どこにいたのかという話をしてください。

こんなので納得するのは「小沢信者」という感じに小沢先生に心酔してる人間くらいです。
岩手県知事とか、森ゆうこ先生とか。

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