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   クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(30) ナイルへの船旅 3

2014-04-21 14:27:14 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(30) ナイルへの船旅 3

アレキサンドリアを出発してから、4,5週間後に船団はアスワンの第1瀑布の前に到達した。クレオパトラはテーベから先は初めての旅であった。ナイルは6月頃から9月頃までが増水期で豊富な沃土を上流より運び込み、秋から冬にかけて農民は麦や野菜の種を蒔き、春に収穫期を迎える。ナイルは古代よりエジプトの繁栄の源であった。
アスワン周辺にはフィラエ島などの小島が多数あり御影石の浅瀬でこれから先は大型の船は航行が出来なかった。
フィラエ島にはオリシスの妹であり妻でもあるイシス女神を祀るフィラエ神殿があり、クレオパトラはシーザーと一緒に拝礼したことでささやかな結婚式になったと心の中で喜んだ。
シーザーはこの地で更に上流を探索しようとしたが部下たちはこれ以上の遡上を拒否して船首を下流に向けて抗議行動にでた。
その時、シーザーは突然、手足が激しく痙攣(けいれん)して、その場に倒れそうになったが、その場に居た将校らによって抱きかかえられて船室に運ばれた。クレオパトラはシーザーに何が起きたのかと心配したが、数時間してシーザーは笑顔でクレオパトラに「心配かけて済まなかった。あれは癲癇(てんかん)という私の持病で1年に1回か数年に1回ぐらい発作が起きるのだよ」。「そうだったの、元気になってよかったわ、癲癇は昔から神の病と聞いていたわ」。シーザーはこの事件もあって、やむなくアスワンから引き返した。
この船旅はクレオパトラにとっては3度目の旅であったが、領内の神々や祖先を拝して神官や市長や住民とも信頼を再確認することができた旅であった。
シーザーにとってはエジプトの偉大さとナイルの豊穣の源を知り、アスワンから先の印度に至るアレキサンダー大王の軌跡を確認することができた旅でもあった。この船旅は2ヶ月ほどかけてアレキサンドリアに帰った。(前47年7月)

*1 フィラエ神殿の中心になるのがイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代(BC4世紀)に建設されてからローマ時代に増築されている。このあたりは水と緑に囲まれていて「ナイルの真珠」と呼ばれてきた。
*2 フィラエ島の上流には新王国時代の第19王朝の王、ラムセス2世の建造による岩窟神殿などがある。そこには大神殿と小神殿があり、大神殿には太陽神ラーやラムセス2世を、小神殿はハトホル女神を祭神としている。小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造された。
*3 (*1、*2)エジプトは19世紀から20世紀初頭にイギリスの支配下でアスワンやアシュートなどにダム堤防が建設されて水位が上昇して遺跡などが水没してきた。1971年にはアスワン・ハイダムが建設されて自然の氾濫は制御されたが、 古代からの美しい景観は失われて、古代遺跡も水没してきた。このため世界60ヶ国の支援を受けて遺跡の調査、移転が行なわれた。
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  クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(29) ナイルへの船旅 2

2014-01-01 09:45:38 | Weblog
       クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(29) ナイルへの船旅 2

テーベはエジプトの上高地で、ナイルの中流にあり穏やかな水の流れと両岸に広がる緑の草原の中に椰子などの樹林が広がり天空の青と水と緑に包まれている。(現在のルクソール地方)
この地はエジプト古代王国末期に第1王国が成立してからメンチュヘテブ2世(前2061-前2010)の頃には政治と宗教(アメン信仰)の中心地になっていた。
西岸には王家の谷やセティ1世葬祭殿、ラメセウム、ラムセス3世葬祭殿、ハトシェプスト女王葬祭殿があり、東岸にはカルナック、ルクソール神殿などの遺跡がある。
シーザーらはこれらの古代エジプトの偉大な文化を再認識する船旅でもあった。
クレオパトラはシーザーが石造の巨大な遺跡に声を上げて驚嘆する様を見て嬉しさのあまりシーザーの肩に抱きついた。シーザーはびっくりして抱きかかえて「クリノン、君の国は素晴らしいよ、それに女王も輝いているよ」と言いなが赤いバラの蕾のようにほのかに香る唇にそっとキスをした。
「クリノン 君がびっくりするようなことを僕は知っているよ」
「エッそれはどんな事なの」
「クリノンは姉妹弟と違って髪は亜麻色をしていて目は青色、肌は真珠のようにきれいだね」
「そうなの、なぜ私だけが違うのだろうかと小さい時から不思議に思っていたの?」
「私がキプロスからの情報で聞いたのだが、クリノンの本当の母親はキプロスの王妃だと聞いたよ。王妃はキプロス1の美女で貴族の娘だったとか」
「えっ、どうして私がお父さんの娘になったの」
「キプロス島はクリノンの父の弟が王として支配していたのだが、ある時、王妃がエジプトを訪問した時に、あなたの父のアウレテス12世が見初めて身ごもらせたのがクリノンだということだよ」
「驚いたわ、そんなことだったの、お母さんも可愛そうに、そしてお母さんはどうなったの」
「王妃は君を生んでキプロスに帰ったが、キプロスはその後ローマによって奪われた時、王も王妃も毒を飲んで自決したということだよ」
「キプロスがローマ領になったのは私が11歳の時だったわ。母(クレオパトラ5世)が亡くなったのは5歳の時でしたが母や乳母もそんなことは1口も言わなかったわ。(クレオパトラ7世の母はプトレマイオス12世の実妹)
クレオパトラはシーザーからの話を聞き自分の出生の秘密を初めて知って涙を流して憂いに沈んだ。
「さあ、クリノン元気を出してテーベの神殿では皆が待っているよ。涙を拭いてきれいな女神になるんだよ」
「ありがとうシーザー、あなたは私の人生よ。そうだわ、神殿の祭礼に行かなくちゃ」。

  参考文献 
  1 クレオパトラ(消え失せし夢)
    作者    ブノワ=メシャン
    発行所   みすず書房
  2 クレオパトラ
    作者    宮尾登美子
    発行所   朝日新聞
  3 知っていそうで知らなかったクレオパトラ
    作者    マイケル・フオス
    発行所   集英社

2014年 新年明けましておめでとうございます。
本年も流形文字と流星文字のブログをよろしくお願いもうしあげます。
今年が皆様の素晴らしい年になりますように//
                          旭和 昇
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クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(28) ナイルへの船旅 1

2013-08-06 19:35:33 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(28) ナイルへの船旅 1

戦争に明け暮れた日々であったシーザーにとってクレオパトラとの船旅は人生で最高に楽しいひと時となった。王室専用のタラメゴス号は全長百メートル、幅は14メートル。動かすのは、なん層にも並んだ漕ぎ手であり、豪華に装飾された浮かぶ宮殿であった。この船の随行には約400隻が従った。それらはガリー船、商船、輸送船であり、踊り子や芸人、楽師と共にシーザーとクレオパトラの守備隊も乗船していた。
黄色に濁ったナイルの川面に川幅いっぱいに広がって上流へと進む船団は壮観である。船団はマレオティス湖からナイルの支流を出ると川幅も次第に広くなる。ナイルの川幅は下流の川口では500メートルほどしかなく、カイロからアスワンまでの川幅は広い所で3km、狭い所で1kmほどだが氾濫期には20数kmとなり、広大な農地を灌漑していた。しばらくするとギザのピラミッドが見えてきた。クレオパトラは旭に映える3つのピラミットを指差してシーザーに言った。「昔のエジプトの王様が作ったピラミッドで王の墓といわれているわ、それに大きいスフィンクスは王の守護をしているの。」(大きいのがクフ王のピラミット(146,6m)、中に見えるのがカフラー王のピラミット(136m)その前には大きなスフィンクスがある。そして小さいのがメンカウラー王のピラミット(65m)クフ王のピラミットの前からは2隻の太陽の船が発見されている。)
「スフィンクスは4つ足かな」とシーザーがいうとクレオパトラは笑いながら「スフィンクスは旅人に謎を問いかけるのよ、そして正解しないと食べちゃうぞというの、朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足になるものはなーに」シーザーはしばらくして苦笑しながら答えた。「わかったぞ、朝は赤ん坊、昼は大人で夜は杖をついた老人だな」「よかったわ、スフィンクスに食べられなくて、心配したのよ」二人が大きな声で笑ったので従者たちは何事だろうとびっくりしていた。シーザーはピラミットを眺めながら言った。「エジプトは古から偉大な国だね。ローマはエジプト文明にはかなわないよ。」「あなたもエジプトの王になってください、子供ももうすぐ生まれるのよ。それに、あなたとの結婚式もあげなくちゃ」「アレキサンダー大王の後継者になることもまんざらではないね」とシーザーは頷きながら幸せそうに笑った。
シーザーはクレオパトラと共にエジプトを支配し、ローマ帝国の君主として世界の王に君臨する時も近いと考えながら愛人と共に過ごす日々を楽しむのだった。
船では毎日芸人たちが、いろんな催しをしていく。川沿いの県では知事や神官、住民たちがかがり火を焚いて歓迎の催しをして神であるクレオパトラに拝礼していく。
船はアシウード、アビドス、デンデラを通過して古都テーベ(第11、12王朝の首府)へと向かった。
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クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(27) クレオパトラの懐妊

2013-05-06 09:23:49 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(27) クレオパトラの懐妊

アレキサンドリアの民衆や神官たちは王宮前の広場に集まってきて、馬上のシーザーの前で一斉にひれ伏して慈悲を懇願して帰順の意を示した。クレオパトラから住民や神官らのシーザーへの帰順の願いを伝えられたシーザーは馬から下りて群集に向かって言った。「私はアレキサンダー大王の築かれし都を征服するためにこの都に来たのではない、私がこのエジプトに来たのはポンペイウスの横死に復讐するためであり、それをなし終えた今は、エジプトの安泰と繁栄のみである」。この言葉に群集は一斉に歓呼の声を上げた。
シーザーが王宮に入ると、女王の正装で威厳に満ちたクレオパトラが笑顔で出迎えた。シーザーは駆けよって「女王様、戦争は終わったよ」と言った。
戦勝の祝宴が終わりクレオパトラとシーザーは二人きりになると、クレオパトラがシーザーに駆け寄り「あなたがご無事でよかったわ」というとシーザーは両手で抱きしめて長いキスをした。「あなたに知らせたいことがあるの」「それは何だね」「あなたの赤ちゃんが私のお腹にいるの」「えっつ」。と絶句してしばらくして「クリノン(クレオパトラの愛称)びっくりしたよ、ありがとう、私の二人目の子供だよ、」。二人は幸せの微笑をかわした。
シーザーは多くの女性と関わってきたが今までに娘が一人しかいなく、その娘はポンペイウスに嫁いで若くてして死亡したユリアであった。
アレキサンドリアの会戦は終わった。プトレマイオス14世は戦死、アルシノエはキプロスからローマに送られた。ポテイノスは失踪し、ガニメデスは捕虜になった。
シーザーはクレオパトラと話し合いの後、エジプトの数千年の伝統に従いクレオパトラと10歳のプトレマイオス15世との形式上の婚姻を公に布告して新王権を誕生させた。シーザーはローマへの帰国のための準備をしている中でクレオパトラは引きとめの話をするが、どうしても帰国しなければならないという。
その後、クレオパトラの提案により2ヶ月以上にわたるナイル上流への船旅に出発することになった。
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クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(26)アレキサンドリア戦役 2

2013-03-04 12:50:13 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(26)アレキサンドリア戦役 2

ガニメデスがファロス島で上げた戦果はエジプト軍の指揮を大いに上げたが6ヶ月が過ぎ、シーザーが待ち望んでいたベルガモンのミトラダデス王はシリアを通って前47年の2月にはペルシオンからナイルを渡河してカストラ・ユゥデオラムでエジプト軍を撃破してアレキサンドリアに向かった。
これを聞いたプトレマイオス14世はガニメデスが敵を阻止できなかったのを理由に罷免し、自ら軍隊を指揮して陣頭に立った。
シーザーの軍とミトラダデスの軍は3月25日に合流しマレオティス湖でエジプト軍の陣地を攻めた。
プトレマイオス14世はもはや敵わずとみてポティノスに言った。「インペラトールと和平の会談を始めるように、そうして陣営を立て直そう」。全権指揮官を派遣したがシーザーは交渉を拒絶して「ポンペイウスの審判者として中途半端な勝利には満足しえない。武器により、貴王国の運命を決する所存である」と答えた。
翌朝3月26日の早朝、シーザー軍の精鋭3個大隊が敵の手薄な砂丘から突入すると不意を衝かれたプトレマイオス軍は悲鳴をあげてナイルに停泊させていた軍船めざして逃走する。多数の兵が軍船にたどり着く前に倒されていく。多くの兵が溺死し、軍船にたどり着いた者も船の転覆により溺死していった。この日の戦いによって1万2千名が捕虜となり9千名が死亡した。シーザー側の死者は千名ほどであったという。
プトレマイオス14世も軍船に乗って逃げようとしたが、船の沈没により投げ出されて、重い鎧のため川に中に引き込まれて溺死した。シーザーはプトレマイオス14世の死体の前に屈み込んで一礼して黄金の鎧をといた。
アルシノエやポティノスは捕らえられて牢につながれ、ガニメデスは行方不明であった。
プトレマイオス王の黄金の鎧が槍の先に刺されて街道を通るのを見たアレキサンドリアの市民や神官たちは、もはや敵わずと武器を捨てて、クレオパトラへ向かってこれまでの非難の無礼を詫びて一斉にひれ伏して、助けて欲しいと懇願し「インペラトールへのおとりなしを」と泣きながら叫んだ。
クレオパトラはこれに対して、今までの市民の自分に対する罵詈高言があったにせよ、人々の怖れをといてやりたいと思い、シーザーへの寛大な措置をお願いすると答えた。

 もう3月になりました。梅は終わりハクモクレンの花が満開になり、リビングストンデージーの花も咲きはじめました。池の金魚やふなたちも元気に泳ぎ始めました。
今年も皆様とともに良い年を過ごして行きたいと願っております。流形文字もよろしく 
                             旭和 昇
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 クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(25) アレキサンドリア戦役 1

2013-01-01 16:40:33 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(25)アレキサンドリア戦役 1

アレキサンドリアの戦役もシーザーが克明に記録している。シーザーは如何なる危機的事態にあっても記録を残してきた。シーザーが如何に偉大な記録魔であったかを知ることができる。
シーザーとクレオパトラの蜜月中にアレキサンドリアは戦争の渦に巻き込まれようとしている。ガニメデスは王宮への水槽の導管を切断してしまった。シーザーはこの事態に「ローマ軍の動揺ははなはだしく、なに人も窮地に追いつめられしものと思料せり」とある。兵士たちは無為と灼熱のエジプトの地から早く故郷に帰りたいと叫び、シーザーはあのエジプト女から妙な飲み物を一服盛られたのは本当だろうか?と話している。
シーザーは王宮に数週間、閉じこもっていたが久しぶりに兵士の前に出て慰めと説得を試みる。「兵たちよ、何もおびえることはない。飲み水は井戸を掘れば出る。わが軍は依然海上を制圧している。アルメニアからは第37連隊が西海岸に上陸した。諸君、ファロス島でも占領して、海岸沿いの豪勢な別荘をあらしまわってはどうか」と。
シーザーが第37連隊と合流するためにファロス島向けて進軍したという知らせに、ガニメデスは海上に全軍を集結して布陣した。
始めはローマ軍がファロス島側と町の堡塁を確保して3個大隊を上陸させるが、アレキサンドリア騎兵隊がこれを海中に蹴散らして、兵たちは海中に飛び込みガリー船めがけて逃げる。シーザーはこの様をみて船室にしまってあった書類の束をつかんで海中に飛び込み、別の軍船めざして泳いで行く。これを見たアレキサンドリア兵達はシーザの緋色のマントをめがけて矢を射掛けてくる。シーザーはマントを脱ぎ捨てて書類を頭にのせて命からがら泳いだ。
アレキサンドリア軍は波間に漂うマントめがけてしっこく矢を射かけた。この会戦の奇襲は大失敗に終わった。正規兵4百名と同数のこぎ手を失った。しかし、シーザーにとって悔しかったことは王宮の正面に立てられた竿に穴だらけの緋色のマントがひらひらしていたことだった。これ眺めたクレオパトラはシーザーが戦死したのかと思い嘆き悲しんだが、シーザーが元気な姿で帰還したので歓びに変わった。「インペラトール・シーザーお帰りなさい。あなたが戦死したと皆が叫んでいたわよ」「ありがとう、今回はアルシノエとガニメデスにやられたよ」と苦笑いをしてクレオパトラにキスをした。

2013年 明けましておめでとうございます。今年も流形文字をよろしくお願いいたします。流形文字のブログも開設して4年と6ヵ月になりますがお陰さまで閲覧回数が10万回を突破いたしました。
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クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(24)アレキサンドリア図書館の炎上

2012-11-30 14:41:46 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(24)アレキサンドリア図書館の炎上 

シーザーはプトレマイオス王を呼んでクレオパトラと和解するように説得したが、王はシーザーのエジプトからの退去をせまり、激しく対立して王宮から退出してペリシウムの要塞に向かった。
クレオパトラが王側に戻らないので、王は首都を奪還すべく進撃を全軍に命じた。武官のアキラスは2万2千の歩兵と2千の騎兵を率いてアレキサンドリアの王宮を包囲した。
この情景を目にしたシーザーは防衛のための陣地を築いてアルメニアやロードス島、キリキヤの部下に伝令を発し、ペルガモンのミトラダテス王にも救援軍を送るよう要請した。
王宮内にいたクレオパトラの妹アルシノエはその伝育官であるガニメデスと共に王宮を脱出、このさなかでアルシノエと軍司令官であるアキラスは反目してしまった。
アキラスはシーザーの船隊を襲い22隻の3層櫓の軍船、50隻のガリー船、船台の38隻が炎上した。(1説にはシーザーが船を焼くように命じたとも言われる。)この火災によって港の小麦倉庫からついにはアレキサンドリア図書館が炎上してしまった。この王立図書館の蔵書は50万冊~70万冊といわれて世界最古の最大規模の図書館であった。
クレオパトラは王宮のテラスからアレキサンドリア図書館の炎上を目の当たりにしてシーザーに消火するよう頼むが国王軍や暴徒と化した市民の中ではどうすることも出来ない。図書館の蔵書の中にはエジプト史があり、紀元前3000年頃からの王朝から前332年のアレキサンダー大王までの歴史書があったし、古代の英知を収録した図書館が灰塵に帰してしまったのである。
町の炎上で市民はシーザーを非難したが、その矛先はアキラスに向かい兵はアキラスの命令も聞かなくなった。そのような中でアルシノエは反乱軍の長となりガニメデスはアキラスを暗殺して国王軍を掌握した。
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クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(23) ビーナスの夢

2012-10-29 15:17:41 | Weblog
     クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(23) ビーナスの夢

クレオパトラは身を整えてからシーザーに国王との内乱の終止などについて相談したいというと、シーザーはそれに対して誠意をもって対処したいといった。
クレオパトラはローマ兵に守られて王妃の館に久しぶりに帰るとそこには以前の付き添人たちが待ちわびていて喜んで迎え入れた。入浴して化粧した21歳のクレオパトラは華やかな美貌のエジプトの女王にふさわしい威厳に満ちた姿であった。
シーザーはクレオパトラに再会するなり「クレオパトラ女王様ようこそ」といって一礼して手を差し伸べるとクレオパトラも待っていたかのようにシーザーの腕にもたれてそっと囁いた「シーザーあなたの来るのを待っていたの」。
その時代の世界1の権力を持った男と世界1の財宝と権威を持った女が会いまみえたのはエジプトの神とローマの神の仕業であろうか。彼と彼女は互いの野心と野望のために結ばれたのであった。
シーザーにとってクレオパトラは優雅で知性に満ちたビーナスであった。
クレオパトラは王権を弟から取り上げて女王として再び女王として君臨するために、
シーザーはエジプトの財宝を足場にしてローマ帝国に君臨してプトレマイオス朝や世界を支配することであった。

シーザーの人物像と女性関係を見ると次のようである。
シーザーが元老院議員にはじめて出た頃は「借金王」とか「禿の女たらし」といわれていた。カエサルは背が高く引き締まった体をしていたが頭髪が薄いことに悩んでいたが内戦を終結させたことを認められて月桂冠を被る特権を与えられて喜んだという。彼はてんかん症を持っていたといわれ、戦時中にもひきつり症状が起きたといわれる。

妻はコルネリア(死別)、ユリア(死別)、ポンペイア(離婚)、カルプルニア(最後の妻)の4人。

愛人の数は数え切れないほどだったといわれている。一節によると元老院議員の3分の1がシーザーに寝取られたと伝えている。
彼の軍団兵たちも凱旋式の際に「夫たちよ、妻を隠せ、薬缶(やかん)頭の女たらしのお通りだ」とある。

 兵士たちは歌った、
我々が女好きのハゲをつれて帰ると
ローマの男たちは妻をかくした
彼に貸した袋いっぱいの金は
すべてガリアの娼婦に支払われた/

愛人
 コッスティア (婚約破棄)
 セルウィリア (マルクス・ユニウス・ブルトゥスの母)
 ポストゥミア (セルウィウス・スルピキウスの妻)
 ロリア (アウルス・ガビニウスの妻)
 テルトゥラ (マルクス・リキニウス・クラッススの妻
 ムキア (ポンペイウスの妻)
 クレオパトラ7世
 エウノエ (マウレタニア王ボグトの妻)
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クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(22) 歌うビーナス

2012-09-03 08:11:19 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(22) 歌うビーナス

クレオパトラはシーザーからの指示で陸路をさけ、海路で無事アレキサンドリアの王宮専用の船着場に到着した。王宮の外門を入ると衛兵が声をかけた。「名前は、そして、その荷物は何だ?」「はい、私はクレオパトラ女王の使いの者でアポロドロスと申します。シーザー閣下への伝言と贈り物を持って参りました。よろしく取次ぎをお願いいたします」。しばらくすると士官がきて、迎賓館へ連れて行かれた。
そこにはシーザーと二人の将校がいた。「クレオパトラからの贈り物とやらを出してみよ」シーザーは興味ありげに袋を見て言った。アポロドロスが大事そうにゆっくりとロープを解いていく、そしてシートの端を持って手品師のようにしゃくると中からブロンドのビーナスが転がりでた。シーザーは虚をつかれたかのように「おー」と叫んでビーナスに近寄るとビーナスはすっくと立ち上がり頭を下げて「ジュリアス・シーザー・インペラトール、私はクレオパトラ女王です。あなたのお陰で王宮に戻ることができました」と歌うようにラテン語で言って両手をさし延べるとシーザーはにっこり笑ってしっかり胸に抱き寄せた。

シーザーとクレオパトラの伝記は帝政ローマのギリシャ人著述家であるブルターク(ブルタコス・前46・48-127)の英雄伝に書かれたものだが、クレオパトラ7世の時代から100年後に伝聞を書いたものである。
その記述によると「その容姿のみをみれば、これほどの美人はまずあるまいといえるほどの絶世とはいかなかったし、また眺める人たちをわれにもあらず恍惚にさそうほどのこともなかった」「だが、彼女の話しぶりはいとも愛らしく、その魔力をさけるわけにはいかなかった。さらに、談笑する折の優美さ、性格からくる柔らかさとやさしさ、それが彼女の話や仕草のすべてに趣をそえ、相手の心を深くゆさぶった。かてて加えて声の調子や発音もなかなかに快いものだった。そもそも彼女の舌は、音調や音域をいくつも備えた楽器のように、なんでも好みの言語をなめらかに話したからである」。
彼女はナイルの人魚のようであり、歌うように話し、それに教養もひときわ高い人魚である。シーザーはクレオパトラに一目惚れしてしまったようですね。
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クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(21) クレオパトラの機略

2012-08-01 08:39:16 | Weblog
    クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(21) クレオパトラの機略

王宮に入るとシーザーは身の安全を確保するべく各所に歩哨を置き警戒をさせた。4千の兵ではとても王宮を守りきれない。即座にシリアの統治を任されている副官のクネウス・ドミテウス・カルヴィオスに宛てて2千の兵を急派するよう命令した。
その後、シーザーは身の安全を図るためにプトレマイオス王を呼んで、「ポンペイウスに与えられた援助に見合う賠償の請求権は放棄する。ペリシウムに駐留する軍隊をただちに解散すること。ローマ共和国への債務の滞納分を私へ個人的に決済すること。それにエジプトの保護者としての資格において、姉のクレオパトラとの内紛に仲介をとる意向である」と述べた。
シーザーは直ちに使者をペリシウム河口のクレオパトラの陣営に出して、直ちに戦陣を収めて王宮に来るように伝えた。
1方のプトレマイオス王側はクレオパトラを直ちに逮捕次第、殺害するように命じて王宮に通じる道路に関所を設け王宮を包囲して待ち伏せしていた。
クレオパトラはシーザーからの伝言を聞き入れて、早速、シリアから出陣してきた傭兵2千人に対して戦いの終結を宣言して傭兵たちは喜び勇んで帰郷して行った。
もし、シーザーが来ずにプトレマイオス王の2万5千の兵と戦っていたならばクレオパトラの華やかな歴史は無かったであろうか。しかし、プトレマイオス王朝の歴史では常に王より女王が権力や戦いに強い血筋であり、アルシエノ2世やクレオパトラ2世、3世の女王の血が色濃く流れているのであろう。
クレオパトラはエジプトから逃亡を共にしてきた従者アポロドロスに小船を用意させて夕暮れには王宮の近くの岸壁につくことが出来た。敵に自分の顔を見られたら一生の終わりであり、いろいろと思案した後、船底にあったシートで体を包んで運ぶように命じた。
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