伊勢一風花 落柿の音

もう一人の自分

タケノコ

2010-04-29 | 
 昔良く遊びに行っていた叔母さんの家でのこと,居間の畳を持ち上がりテレビが傾いたので驚いて床をめくると,床下にタケノコが侵入していた.確かに隣は竹藪だったが,ブロック塀もあったし,数メートルは離れていたように見えた.そんなこともあるんだね,と親たちが話していたのを覚えている.
 タケノコにする孟宗竹は,古い時代に中国から導入して各地に栽培するようになったものだ.現在,里山が荒れ,タケが侵入して増殖しているらしい.これに伴い人の暮らしにも竹が侵入してしばしば問題になっている.しかし,タケはただただ地下茎を伸ばしているだけで,変わったのは人と山の関わり方の方だ.

ハナニラ

2010-04-27 | 
 近所の河川敷にハナニラがたくさん咲いている.いつ誰が植えたのか知らないが,丈夫な植物なのでまるで自生しているかのように他の野の草に混じってたくましく生きている.しかし,サクラが咲く頃一斉に花を上げるまでは,そこに居たことさえ分からない.毎年白い塊となって咲く花を見て,ああここに居たんだなと思い出す.
 イフェイオンという学名の響きが優しく気に入っているが,由来は不明らしい.遠く地球の裏側の南米からやって来て,異郷に融け込みたくましく生きている姿は素敵だ.

ガーベラ

2010-04-25 | 
 子どもの頃,庭にあったガーベラはあまり魅力的ではなかった.いや少なくともボクにはそう思えた.花は何かくすんだ赤色で単純な花型はつまらないと思っていた.しかし,近年の品種は,花色,花型ともに多様でかつ鮮やか.若い女性が,カワイイというだけのことはある.花だけしかないガーベラの切り花は,かえってシンプルな生け方が可能で,花瓶らしくない花器にもよく合うようだ.
 ダリアといいガーベラといい,一度は飽和しかけたかのように見えた花材が再び時を経て評価されるようになる.人の好みが変わり,それに育種の進展がマッチする.何が売れ出すのか,いつの時代も予想は難しい. 

タコつぼ

2010-04-23 | ヒト
 タコつぼはタコの習性を巧みに利用したタコ漁の道具だが,狭い空間に閉じこもってしまうことを揶揄するときにも使われる. 友人Fは大学の理系の研究室に居る.しばしば彼らは狭い専門分野のことしか興味がなく,それだけで自己完結できている人々だと思われ,タコつぼに籠っていると言われる.しかし多くの場合、彼らはタコつぼから世界を見ている.必要とあらば呼び出したらよいのであって,隠れ家を取り上げてはいけない.考えようによってはいくつのタコつぼを抱えているかが,その国の底力を規定しているとも言える.
 日本は経済的にはある程度成功したが,決して知の大国ではない.こんなタコつぼもあったのか,と驚くような国であってほしいと思う.

ししがき

2010-04-21 | ヒト
 昔からイノシシは人里と森を行き来する生き物だったようで,作物を荒らされたくない農民は各地で万里の長城のような長大な猪垣を築いた.イノシシの侵入を防ぐためには,かなり広く山林から田畑をしっかり囲わなければ意味がない.相当粘り強い共同作業を完遂しなければこのような公共性の高いものはできない.各地に残る猪垣を見るにつけ,ボクたちの祖先の農民は素晴らしく協調性にたけた人々だったのだろうと感心する.
 最近山が荒れ,イノシシの害は増加しつつあるという.現代人のボクたちはどうやってこの問題を解決するのだろうか.

スカビオサ

2010-04-19 | 
 日本にはマツムシソウという優しい名前の花が野に咲く.切り花として売られているマツムシソウは,ヨーロッパ原産の西洋マツムシソウで属名をそのままにスカビオサと呼んでいる.日本のマツムシソウは秋の花だが,スカビオサは温室で栽培され早春の花のイメージだ.頼りなげな花首に思いのほか大きな花を咲かせる.薄ピンクの蕾から花が開き始め徐々に中心のまで咲き進む様子は,少女が華やかさを増しながら成長しているようだ.
 ボクはスカビオサのそばをゆっくりと歩き,一つ一つ花を覗き込んでその表情を楽しんだ.

花送り

2010-04-17 | ヒト
 風に舞う花びらは美しいと思う.見上げた葉桜は,人々の郷愁をよそに春の陽ざしを受けてみずみずしい生命の輝きを示している.もう2週間もすれば樹冠はすっかり新緑に覆われる.こうして不可逆的に時は前へと進み,人々はほどなくサクラのことはすっかり忘れ,初夏の陽ざしのもとを足早に通り過ぎる.
 にぎやかだった公園にはもう誰もいない,足元には,幾重にもかさなって朽ち果てゆく花弁が,未だ薄紅色を残していた.ふとボクはあと何回こうしてサクラを見送れるのだろうかと思った.

ヤマブキ

2010-04-15 | 
 ボクの育った家には,一重と八重のヤマブキが植えられていた.柔らかな緑の葉と輝くような山吹色の花が,春らしくなった日差しにとてもよく映える.父親が毎年のように,少しお行儀悪く伸びた枝を麻ひもでくくっていたのが懐かしい.小学校の高学年になり,絵具のチューブに書かれた山吹色というのが,このヤマブキのことだと知った時はなるほどと感心した.
 そんな子どもの頃の印象が深いヤマブキだが,太田道灌の山吹伝説知ってからは,このような女性に出会わないものかと密かに期待しているが未だ現れない.

サトザクラ

2010-04-13 | 
 ヤマザクラに対して,人が里で改良したサクラを総称してサトザクラと呼ぶ.多弁の品種が多いので,ボタンザクラとも呼んでいる.今ではどこの公園にもたくさん植えられているが,昔から大阪造幣局のサトザクラは有名だった.よく友人Fは,市民向けの園芸教室で,造幣局のサクラの通り抜けが終わると寒さに弱い植物も外に出してもよいですよ,と話していた.確かにソメイヨシノに比べて2週間ほど遅れて咲く品種が多く,4月中旬過ぎに盛りとなり,その頃に晩霜が来ることはまずない.
 ボクも若い頃,何度も造幣局のサクラを見に行ったが,いつもたいへんな人でごった返していた.今年も通り抜けが始まる、再びあのサクラ並木を誰かとゆっくり歩きたい.

シネラリア

2010-04-11 | 
 シネラリアの鉢ものが冬から春の花屋の店先を彩る.キク科の植物だが,花弁に色のグラディエーションが入る品種が多いのがキクにはない特徴だ.シネラリアの故郷は,カナリア諸島.大西洋に浮かぶ小さな島々は,マーガレットの故郷でもある.
 実は数年前,カナリア諸島へ行く予定だった.申込みまでしていたが,雑事が重なりしかもユーロが高かったりで,結局取りやめてしまった.それ以後,カナリヤ諸島へ行くきっかけがない.人も旅も縁なのだ,何事も思い立ったら実行せねばならぬものだと反省している.


落花椿

2010-04-09 | ヒト
 ツバキの花は,ぽとりと落ちる.樹下を彩るツバキの花に,しばしば人は特別な思いを寄せてきた.落ちる潔さも,落ちてなお保つ美しさも,命あるヒトとしての限界とその生を考える人にも思いが重なる.
 ボクは数年前,同僚をがんで亡くした.3年あまりの闘病生活の末にポスピスで彼は亡くなったのだ.思い返すと,残酷のようだが,その間の治療は不可逆的な死への段階的処置のようでもあった.それ以来,ボクは死を強く意識している.ボクは何のために生きているのだろうか,残された時間の意味は一様ではない.考えても考えても答えの出ないことを考えるのが,生きるということだ.

ヤマザクラ

2010-04-07 | 
 ヤマザクラの仲間は,花が咲くときに新芽が同時に伸びだす.古人が愛でたサクラはこのヤマザクラで,花と同時に新芽の色合いを楽しんだと思われる.春の山を歩くとヤマザクラの新芽は赤いものから萌黄色,褐色,薄緑など様々で,見ていて楽しくまた風情がある.
 春の穏やかな日差しの中,ボクは山道を車で走っていた.落葉樹の枝先が薄紫に煙る山肌に様々な色の新芽に縁取られた薄いピンクの塊が浮かぶ.これが日本のサクラを観る原点だ.

ミツバツツジ

2010-04-05 | 
 ソメイヨシノの開花を待ち切れず,近くの自然公園に散歩に出た.松林の中で鮮やかなピンクの塊が見える.ミツバツツジだ.名前のように,花後ウサギの耳のように立った葉が三枚出てくる.いくつかの変種があり,雄しべの数で区別するようだが,遠目には区別がつかない.
 春の日差しは暖かでも,風はまだ冷たかった.ボクはピンクの塊が散在する疎林の小道をゆっくりと歩き,春の空気を確かめていた.

育つ

2010-04-03 | 
 友人からもらった種子をまいてから4カ月がたち,キンシャチらしい顔になってきた.押合いへしあいする姿は,幼稚園のようだ.不思議なことに植物は,少しばかり押合いへしあいするくらいの方が早く大きくなる.植物のごく近くの気温や湿度,風などを微気象というが,適当に込み合っていると,それがマイルドになるのだ.小さい時から世間の冷たい風に一人で晒されると,どんな生き物もいじけてしまう.しかし,そのまま放置すると今度は自らの老廃物で自家中毒を起こす.
 ボクは春のある休日,数百個のキンシャチの幼児を一つ一つつまんで,すべて新しい用土に植えかえてやった.平和で幸せな時間だ.

金毘羅弁慶

2010-04-01 | 
 大柄な唐子咲きのツバキで,樹勢も強く黒い樹冠に沢山の花を付ける様は,圧倒的な存在感がある.やや開花期が遅く,ソメイヨシノの頃が花の盛りになる.名前の通り金毘羅宮で発見されたとされる.唐子咲きであることから,金毘羅弁慶は自然に出来たものではなく,誰かが昔金毘羅宮の周りに植えたものだろう.
 神社の周りは神聖なところとして長らく伐採を免れてきたので,古い日本の森の様子を伝えるところが多い.金毘羅宮のある象頭山も暖地林の見本とされている.自然と人の営みも時間が経過するとそれ自体が自然と一体化し,かけがえのないものになる.