ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

大野重男 「ハーモニィセンターの原点」 第8話

2013-11-12 15:59:01 | ぼくらのありのまま記
第8話「ヨーロッパ40日間ひとりぼっちの旅」


大野重男さん、プロフィール、前回のお話しはこちらから。


大野 
「バス旅行だって、別々なら高くつくけど、
借りちゃえばやすくなるんだから、
飛行機だって借りちゃえば安くすむんじゃないの?」
なんて言いだした人がいてね、
「ああ、それは実にいい考えだ!!」って。
案も出てくる訳ですよ。


たら 
飛行機を借りちゃえ(笑)
今でもなかなか思いつかないです。


大野 
飛行機会社で、
若者にも貸してくれる会社を見つけよう!!
って言って。よしよし、やろうやろうなんて。
そのうちの一人が本当に飛行機会社を周り始めてね。
左藤たかとしっていうんだけど、
左藤もこの前なくなりました、この間。
必要なときに必要な人が集まってくるんだよね


たら
ドラマみたいですよね、
次から次に新たなキャラクターが助けてくれて。

大野
その時、社員になった左藤ていうのが、一社、予約金なしで
ハーモニィに飛行機を貸してもいいっていう会社を
本当に見つけてきたんだよね。それが1970年。

たら
1970年。

大野
その年に第一便が飛んでいくんだけど、
1970年というと大阪万博の年なんですよ。で、大阪から飛んだんだけどね。
ロシアのアイルフロートっていう会社の飛行機なんだけど。

たら
ええ

大野
万博にあわせて日ソ航空協定ができる
今まではソビエトと日本をつなぐ航空便はなかったんだけど、
これを機にね日ソ航路を作ろうってことで、
飛行機、から便で飛ばしていたんですよね。

たら
から便?お客さんを載せないで飛んでいたんですか?

大野
そう、飛んでたの。で、左藤は
虎ノ門にあったアイルフロートの事務所に通って、
「貸してあげてもいい、チャーター便契約してもいいよ。」
って言ってもらったんだよね。

たら
へぇー!!

大野
はっははは、しかも安いお金で貸してもらえて。
160人乗りっていう飛行機を貸してもらって。
その時に度胸がいるんだよね、
160人乗りの飛行機なんて借りてね満杯になるのかって。
でも、結局160人満杯でいったね。19万7000円かな、一人。
合計金額に事務費用を足して割った金額。
ハーモニィセンターの昔の新聞にも載ってるよ。
言った人の顔写真も全部でてる。
えーとね、大阪をでてハバロフス、モスクワ経由、
オランダのアムステルダムの空港につくんですよ。

たら
はい

大野
で、帰りはねー、帰りはローマから帰って来たと思うんだよね。
飛行機は借りられた。必死になって人を集めて、160人満杯にもできたわけでしょ。
じゃあ何日間にするかとかいろいろ決めていくんだけど、
20日なんてケチなこと言わないでね、
「ヨーロッパ40日間、ひとりぼっちの旅。」にしようって。
「ヨーロッパ40日、ひとりぼっちの旅」

たら
そういう企画で呼びかけたんですか??

大野
そう。往復は一緒。
あとはひとりぼっち。期間は40日。
チラシを作って配ったんですよ。

「この旅はね、誰かの後ろについてぞろぞろあるく旅ではない、
行きたいところは自分で選び、疲れたら休み、
ひとりぼっちでの自信と勇気を身につける旅だ」と。

「行き先はヨーロッパにした。
この計画を見た君は多分、金がない、
時間が足りない、言葉ができない、
無いことばかり考えているんじゃないか?」

たら
はい。

大野
「よく胸に手をあてて考えてみて。
君には勇気が足りないだけなんじゃないか?
勇気をもってこれに挑戦してほしい。」って。

たら
うわー、自分に言われているみたいです。

大野
ははは。
ちらしを配ってたら、朝日新聞の記者がみてくれたんですよ。
で、夕刊に20行くらいの記事をかいてくれたの。
気の利いた若い子は、団体旅行が嫌だったら、
シベリア鉄道をつかってゆっくり旅をしていたんだよね。
そういう子たちも参加してくれて。

たら
へえー。

大野
だけど、この旅は往復以外は全くのひとりぼっちだから。
アムスからローマまでは自分ですべて決めなくてはいけない。
事故が起きてもすべて自己責任で処理してもらう。
40日後、ローマにたどりつかなかったら置いてくぞと。
毎週研修会も開いてね、そういう説明もしたね。

たら
ははっは。

大野
そうするとビビるよね。

たら
ふつうのツアーじゃないぞと。

大野
必ず事故は起きるんですよね。160人もいたら何人かは
行方不明もでるかもしんないよとか言われたんだけど、
僕はね、全然心配しなかったんだよね。おんぶにだっこで、
世話をしますっていう旅行だったらね、
そういう奴がでるかもしれない。もう最初からひとりぼっちの旅で、
自分で選んで進むことを覚悟してくる人たちだから、
「これは大丈夫だ」と。途中、事故とかはあったけど、
みんな全部自分たちで解決して来てたね。

たら
それって、地方からでて来て、東京で働くことと似てますよね。
ひとりぼっちででてきて働くのと、
ひとりぼっちで40日旅するのと、変わらないですよね。
ひとりで頑張るっていうのは。
確かに東京にでてきて働けるんだから
40日の旅だって大丈夫ですよね、きっと。

大野
いろんな人がいたよ、
アムステルダムについたら
その人は花屋に勤めてたんだけどね、
いきなりオランダのチューリップ畑がある農家に住み着いてね
40日間そこで、過ごしてたね。

たら
すごいなー。

大野
旅なのにちゃっかり稼いで来てたりね。
自転車もっていって自転車でヨーロッパ旅した人もいたし、
「私はスペインの小さい協会の絵がどうしてもみたいんだ」
って言っていきなりスペインに行って協会に行ってから、あとはゆっくり
歩いて旅を続けた人もいたね。
「俺はヨーロッパの列車に全部のるぞ」ってユーレルパスっていう
列車乗り放題のチケットを手に入れて、旅をした人もいるし。

たら
みんな、すごい情熱があって望んだんですね。
そういう情熱で旅したことってきっと何年経っても
忘れないんでしょうね。

大野
そうだと思うよ。

たら
ひとりぼっちでそういう旅っていいテーマですよね。
理事長はその時「ひとりぼっちの旅」が大切なことだと思ったんですか?

大野
それはね、2人で寄りかかりながらやるよりは
やっぱり「ひとりぼっち」っていいなと。
絶対ひとりってわけじゃないよ。夫婦で行ったのもいるし、
友だちとまわったのもいるけど、原則は、ひとり。




たら
ええ。

大野
「ああ、これでヨーロッパ旅行はできた」
っていう旅行に対する自信だけじゃなくて、
彼らはひとりぼっちになって、
人生に対する自信も身につけたと思うんです。
その旅は5年くらいで合計1000人以上の参加者がいたんだけど
なんで辞めたかというと。赤軍派が暴れ始めた頃で。

たら
ああ、時代背景として。

大野
で、日本人に対するチェックが厳しくなったんですよ。
それで英語が通じないトラブルも増えちゃってもうそこまで対応は難しいな
ってことでそのプログラムは辞めたんだよね。
あのまま意地でもやってたらそのまま旅行会社になってたと思うよ。

たら
ああ、そのくらいの覚悟がないと続かないことだったんですね。

大野 
左藤は、ハーモニィ辞めて旅行会社に勤めて。社長になったからね。

たら
ああ、すごいなー。
理事長って人の夢を叶えて来たんですね。
ギターが弾きたいひとと、コンサートをやって
旅にでたい人と、旅にでて。

大野
今、考えるとよくやってたよね笑

今日はここまで
読んでくれてありがとうございました。
昔、勇気をもってヨーロッパにでかけて
若者も、今はお孫さんとかいるんだろうなー。
だれか、行かれた方の知り合いとかいるのかなー。
会ってみたいです。おられたら
ご連絡いただけたら嬉しいです。
arinomamaki@gmail.com

今井たら竜介。

明日はようやくポニーの出番だー!!

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