第2話 じぃじのちまき
惜しまれながら閉めたい。
そんな想いでちまきやは
閉店しました。
今日もよろしくお願いします。
目次はこちら
たら
矢田さんのお父さんは子どもの頃から
溜池のお店を手伝っていたんですか?
矢田
はい。でもほんとは化学を
やりたかったんですって。
化学が大好きで、じぃじの話はいろいろ
含蓄があって面白かったですよ。
それと芸術センスはすごくありました。
絵も上手でしたし
和菓子のデザインは奇麗でしたよ。
(矢田家の玄関に飾ってある
じぃじの描いた絵)
たら
そうなんですね。
矢田
防腐剤や、添加物は使わないとか、
色出しもくちなしの実を
茹でて使っていたり。今なら保健所の
許可がおりないような仕事もありました。
たら
今、衛生面は厳重な
チェックがありますもんね。
矢田
筧の水っていう夏の和菓子があります。
石の型に葛を入れて、水で冷やして、
あんこを真ん中にいれて、上に葛を流して
挟んで作るんですけど。
型からだす時、「ふっ」って息を吹いて
取り出してましてたから。
(筧の水も作ってくれました。
水の流れを描いています。)
たら
唾液飛んだら
どうするんだっていうことですね。
矢田
そうそう。今はとんでもないじゃない。
それで父が亡なる前に、娘3人嫁いで。
誰も継ぐ人がいなくて。
たら
はい
矢田
私が「やりましょうか?」って言ったの。
「継ぐ?」って。
たら
そうしたら?
矢田
そしたらね「いや、いい。」って。
「いい」って言われたの。
たら
へー。
矢田
材料も天然物で手に入りにくくなる
でしょうと。笹にしてもいがらにしても。
周りを縛っているのは、いがらっていう
畳表のい草の芯を抜いたものなんですね。
そういうものも手に入りにくくなるから。
たら
そうなると、作るのにも
どんどん値段が上がっていきますね。
矢田
そう。だから
「私の代で惜しまれて閉めたいんだ。」
ってそう言ってましたね。
たら
未練はなかったんですね。
矢田
ほんとのほんとはもっとはやく閉めて、
自分のやりたいことが
一杯あったと思います。だけど、
癌になっちゃったからね。
たら
そうか、化学を
やりたかったんですものね。
(こちらがいがら。)
矢田
そう。私が子どもの頃、
木の上に大きな芋虫がいて液を採って
釣り糸を作るの。何かの科学液に漬けて。
父はそんなこともしてましたよ。
たら
へー!!すごいなー。
一緒に遊んだ記憶もありますか。
矢田
そうですね。
水泳もスキーも父から習いましたし。
箱メガネで銛で魚を就いたり。そういう
自然の遊びも沢山教えてくれましたね。
お休みになると秋川渓谷の方に行って、
途中でお肉を買ってバーベキューとか。
たら
へー!職人さんって仕事して
帰ったら寝るだけっていう、
そういうイメージでした。
矢田
そういう感じではないですね。
川でクレソンを採って来たりもしてました。
里美
おしゃれなじぃじだね。
会いたかったなー。
たら
矢田さんは子ども時代に手伝いながら、
いつか継ぐのだろうな
って気持ちはあったんですか?
(昔の計量器)
矢田
そういうことではなかったけど、
今となっては色々なことを習っておけば
良かったなって思いますよね。父の仕事は
見ていたから、なんとなくはわかります。
ただ、ほんとに晩年ですね
「手先の感覚がやっとわかってきた」と
言ったのは。
里美
じぃじが?へー!!
矢田
そう。それで、材料も集まりにくいし、
継がなくてよろしい。
惜しまれてやめるんだ。って。
そういうことは言ってましたよね。
(和菓子のレシピも全て匁(もんめ)
で計っていました。二十匁)
今日はここまで。
読んで頂きありがとうございます。
感想を送る。
arinomamaki@gamail.com
惜しまれながら閉めたい。
そんな想いでちまきやは
閉店しました。
今日もよろしくお願いします。
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たら
矢田さんのお父さんは子どもの頃から
溜池のお店を手伝っていたんですか?
矢田
はい。でもほんとは化学を
やりたかったんですって。
化学が大好きで、じぃじの話はいろいろ
含蓄があって面白かったですよ。
それと芸術センスはすごくありました。
絵も上手でしたし
和菓子のデザインは奇麗でしたよ。
(矢田家の玄関に飾ってある
じぃじの描いた絵)
たら
そうなんですね。
矢田
防腐剤や、添加物は使わないとか、
色出しもくちなしの実を
茹でて使っていたり。今なら保健所の
許可がおりないような仕事もありました。
たら
今、衛生面は厳重な
チェックがありますもんね。
矢田
筧の水っていう夏の和菓子があります。
石の型に葛を入れて、水で冷やして、
あんこを真ん中にいれて、上に葛を流して
挟んで作るんですけど。
型からだす時、「ふっ」って息を吹いて
取り出してましてたから。
(筧の水も作ってくれました。
水の流れを描いています。)
たら
唾液飛んだら
どうするんだっていうことですね。
矢田
そうそう。今はとんでもないじゃない。
それで父が亡なる前に、娘3人嫁いで。
誰も継ぐ人がいなくて。
たら
はい
矢田
私が「やりましょうか?」って言ったの。
「継ぐ?」って。
たら
そうしたら?
矢田
そしたらね「いや、いい。」って。
「いい」って言われたの。
たら
へー。
矢田
材料も天然物で手に入りにくくなる
でしょうと。笹にしてもいがらにしても。
周りを縛っているのは、いがらっていう
畳表のい草の芯を抜いたものなんですね。
そういうものも手に入りにくくなるから。
たら
そうなると、作るのにも
どんどん値段が上がっていきますね。
矢田
そう。だから
「私の代で惜しまれて閉めたいんだ。」
ってそう言ってましたね。
たら
未練はなかったんですね。
矢田
ほんとのほんとはもっとはやく閉めて、
自分のやりたいことが
一杯あったと思います。だけど、
癌になっちゃったからね。
たら
そうか、化学を
やりたかったんですものね。
(こちらがいがら。)
矢田
そう。私が子どもの頃、
木の上に大きな芋虫がいて液を採って
釣り糸を作るの。何かの科学液に漬けて。
父はそんなこともしてましたよ。
たら
へー!!すごいなー。
一緒に遊んだ記憶もありますか。
矢田
そうですね。
水泳もスキーも父から習いましたし。
箱メガネで銛で魚を就いたり。そういう
自然の遊びも沢山教えてくれましたね。
お休みになると秋川渓谷の方に行って、
途中でお肉を買ってバーベキューとか。
たら
へー!職人さんって仕事して
帰ったら寝るだけっていう、
そういうイメージでした。
矢田
そういう感じではないですね。
川でクレソンを採って来たりもしてました。
里美
おしゃれなじぃじだね。
会いたかったなー。
たら
矢田さんは子ども時代に手伝いながら、
いつか継ぐのだろうな
って気持ちはあったんですか?
(昔の計量器)
矢田
そういうことではなかったけど、
今となっては色々なことを習っておけば
良かったなって思いますよね。父の仕事は
見ていたから、なんとなくはわかります。
ただ、ほんとに晩年ですね
「手先の感覚がやっとわかってきた」と
言ったのは。
里美
じぃじが?へー!!
矢田
そう。それで、材料も集まりにくいし、
継がなくてよろしい。
惜しまれてやめるんだ。って。
そういうことは言ってましたよね。
(和菓子のレシピも全て匁(もんめ)
で計っていました。二十匁)
今日はここまで。
読んで頂きありがとうございます。
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