ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

矢田さんと。「ちまきはちまきやのちまき」東洛堂ちまきや

2014-05-05 07:12:04 | ぼくらのありのまま記
第5話 砂糖屋と和菓子屋の出会い


砂糖屋の若旦那とご結婚された
和菓子屋のお嬢さんのお話です。

目次はこちら
たら
ゆきおさんは実家が砂糖屋さん
なんですよね。仕事の関係でちまきやに
出入りしていたんですか?

ゆきおさん
全然関係ない笑。

里美
ふふふ、みんなそう思うけどね笑。



ゆきおさん
違う違う。六本木にある
別の砂糖屋さんから買ってたの。
僕が砂糖屋だと言っても、うちからは
買ってくれなかった笑。

たら
へー!!そうなんですね。商売でお店に
出入りしていて看板娘に一目惚れ
って言うストーリーを描いていました笑。

ははははは(一同)

旦那さん
最後までうちから砂糖買わなかったよ。

矢田
それはね、やっぱりね。

たら
お店関係なく知り合ったんですか?

矢田
そうよ!たまたま。


旦那
たまたまこっちがお菓子屋だった。

矢田
私の仲良しさんのお母さんと、
主人の母が小学校の頃からの知り合いで。


(毎年家族でつくっています。)

たら
はい。

矢田
それで仲良しさんの結婚式の時に
紹介されたのよ。新橋にお店が
あったから
「こちら、新橋の矢田さんです。」と。
それで「お見合いする気ある?写真
送りますから」って送られて来たのよ。

たら
へー!

矢田
「砂糖屋さんとお菓子屋さんだから
いいんじゃないかしら」っていう
仲良しさんのお母さん、仲人さんの
計らいはあったでしょうね。それで
お見合いしたの。

旦那さん
で、38年。

矢田
昨日でね。

たら
へー!!おめでとうございます!

矢田
結婚する前、うちの問屋さんに
「新橋の矢田さん」って知って
ますか?って聞いたら東京で5本の
指に入りますよ。って言ってたから
「それなら大丈夫か」って。

ゆきおさん
そんな話してたんだ。

たら
矢田さんのところはとらやさんにも
卸しているんですよね。


(ご姉妹の旦那様も一緒に)

旦那さん
お付き合いさせてもらってるね。
あなたと結婚して連休も休めなく
なったよ、僕も。

矢田
結婚した年だけは来なくていいって
言われて、亀戸天神の藤の花を見に
行ったのよ。
「いいのかな、こんな所にいて」と
思いながら。

たら
そわそわしちゃいますね。

矢田
そうそう、ふふふ。さすがに嫁に
だしたから、手伝えとは
言えなかったんじゃない。

旦那さん
ただ翌年からそうはいかなかったよな。

矢田
最初はうちの子と、姉の子の子守りね。

ゆきおさん
ベビーシッターです。
公園に遊びに行ってさぁ。
子どもたちも手が離れてきたら、
少しずつ手伝いはじめて。

たら
じゃあ、お父さんも37年
作ってるんですね。

ゆきおさん
やってない。やってない。
関わってはいるけど。
食事の後の片付けとかをずっと
やってた。作るのは女性が作ったけど。

矢田
間に合わなくて、
夜が空けてきちゃう事もよくあったわね。

ゆきおさん
籠にいれるのはよくやったよ。


(ふたりの担当は葛練りでした)

矢田
あら、そう。

ゆきおさん
そうだよ。籠詰めはできるよ。

たら
ははは。最初の6年くらいですか。
じぃじと一緒にやってたのは。

ゆきおさん
そう、だね。

里美
そんな短いんだね

ゆきおさん
そう言われると、すぐだね。

たら
お二人とも東京で商売されてて。
実家も東京ですか?

矢田
家族みんな渋谷区生まれなの。
子どもたちは日赤病院、
ゆきおは恵比寿の自宅、
私は、渋谷の広尾病院で産まれて。

ゆきおさん
渋谷区生まれ、
港区育ちなんだよね、みんな。
じぃじもそうだろ。僕の両親もそう。

矢田
じぃじは赤坂の家で
産まれてばぁばは神田の生まれ。

里美
しゃれてるねぇ

たら
江戸っ子だ。じぃじのお父さんは
どんな人だったんですか?

矢田
浪曲をやったり。昔の旦那っていうのは
芸事ができて、なかなか
粋だったんじゃない?私が知ってる頃は
もう湯河原に隠居していましたけど。
私の祖母は料理がすっごく上手だったの。

たら
へぇ~。

矢田
湯河原から、何か月に一度は、
三越に買い物にくるの。それも
黒い羽織を来てね。うちの母は嫁だから
お姑さんが見えるって。その度に
非常に緊張していました。


(愛車のミニチュア、スバル)

たら
おしゃれですね。

矢田
そう。すごいおしゃれな人で、
風呂は五右衛門風呂なのに
ラックスの石けん使っていたんですよ。
リグレーのチューインガムを
いつも噛みながらね。

たら
戦後間もないですよね。

矢田
そうね、私が昭和26年生まれだから。

たら
砂糖も貴重っていう時代ですか。

矢田
そうみたい。父と母の結婚式は
昭和17年、戦争に突入するという時期。
東京会館でやったのかな。
結婚式、引き出物に羊羹をだしたら
すごく喜ばれたって。

たら
戦争が昭和20年に終って。

矢田
8月15日。もう70年になるのね。
父はド近眼で、
戦争いかなくて済んだんですよ。でも
軍需工場、日吉あたりに行かされたって。
それが毎日いやでいやで行きたくなくて。
当時の歌もよく歌ってました。

今日はここまで。
読んで頂きありがとうございます。
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