ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

屋久島2014 宮之浦岳

2014-04-11 23:06:00 | たららん記 
今回の屋久島もまた、忘れられない思い出ができた。
毎回、もう町田先生には会えないだろうなと思いながら
3回も来れたし、合計40日は屋久島にいる事になる。

2年前に死にそうになった雪山、宮之浦岳。

淀川登山口→黒味岳→宮浦岳→新高塚小屋泊→縄文杉→荒川登山口
そういうルートで登山をした。
知っている人が読めばこのルートを見ただけで
脳内登山ができる。見所、水場、トイレ。
危ない場所。文字だけで全てイメージできる。
時刻表で旅する鉄ちゃんみたいに。


当時、僕は山小屋泊に憧れたのと、日帰りで
登山をして、同じルートを登り降りするならば
縦走で違うルートを歩いたほうがお得だと考え
縦走を決意した。軽々しく登りはじめた僕は
初めて、死を実感した。吹雪の中
5メートル先も見えず、凍った岩肌を
登る登山。引き返すにも引き返せない。



戻るにも5時間はかかる。既に13時。
5時間かかったら18時、完全に日が暮れる。
凍った岩肌を滑りながら登ったので、
下りは確実に滑り落ちるなとも思っていた。
戻る選択肢は消える。
最悪、途中の風を凌げる所で寝るしかない。
もしたどり着かなかったらここまで戻ろう。
なんて通った道、ひたすら山小屋を目指した1日。

たどり着いた山小屋では登山慣れした
4人のパーティがいた。逆方向から登って来て
山頂を断念してそこで2日間待機していたそうだ。



よく登ってきましたね。そう言われた。
僕だってこの雪道を登ってきたくて登った訳じゃない。
ただ、引き返す勇気も気力もなかっただけ。
それに僕はひとりだったから無茶をしてしまった。
パーティがいたら誰か英断をして
もっともっと速く引き返したはずだ。
僕だって連れがいればこんな無理はしなかった。

しかし、その時の山小屋泊は僕の中の何かを変えてくれた。
緊張感や、安堵感。自分の力ではでどうにもならない自然への畏怖。
ここで死んだら山に愛されなかったんだなとか
山が寂しがっていたから呼ばれたんだ、とか。
そんなことを考えながら、ひたすらひとりで前に進んだ。
そして、帰れたら絶対また来ようともなぜか思った。

あれだけ辛くて寒い思いをして、買ったばかりのパタゴニアの
レインコートは破けるし(歩けないのでお尻をついて前に進んだ)
泣きそうだったになぜか山小屋に着いた瞬間、
また来たいと思った。あれは不思議な体験だった。

そして僕はまた宮之浦岳に登ることができた。

2年前、吹雪しか見えなかった先にはこんな景色が広がっていた。

最初の写真と見比べて欲しい、ほぼ同じ場所での撮影。



あの時と違うのは景色だけじゃない。
僕には素晴らしい仲間が一緒だった。


自分では気付けないシャクナゲを見つけてくれる。
おやつだって三人分のバリエーション。
写真撮影もできたし。晴れ女2人の威力はすごい。
それに気にかける仲間がいるっていいね。
「ありがとう」や「だいじょうぶ?」
「休憩しようか?」そんな一言が言える仲間が
いるって素晴らしい事だと思った。

結婚して家族ができて守るものがあると強くなるよ。
ってもろもろの先輩方の台詞ってこういう
気持ちで言っているんだろうな。と
結婚もいいかもななんて思ったりもした。


親でも恋人でもない3人組での登山。
「どんな関係なんですか?」
「まぁ家族みたいなもんです」
「あぁ、そうなんですね、、、。」
なんか複雑な家族構成なんだろうなと
行き交う人に想像されながらの
登山はなかなか乙なものだった。


死んでからも天国で語り合いたい景色を見た。

写真はそのうちに




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