迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

時代を追いかけ取り残さるる。

2017-05-08 21:27:29 | 浮世見聞記
新宿の末廣亭で、昼席の主任(トリ)をつとめる雷門助六の落語を聴く。

噺は「鼻欲しい」。

吉原で梅毒をもらって鼻の欠けてしまった寺子屋師匠の武士が、川崎大師へ参詣する途次に、馬子に狂歌で鼻を嗤われるはなし。

現代では煤煙霞む京浜国道となった大師への道も、助六師が口演する馬子のゆったりとした話しっぷりによって、たちまち長閑な街道だった頃へと、時間が戻って行く。


ちなみに、過去の病気になりつつあったと思われてゐた梅毒だが、家電製品を両手に銀座通りで小用を足す大勢の唐人たちが夜アソビして行った結果、さういふ商売の女性たちに、蔓延の傾向があるらしい……。


中入り前には、落語界最高齢と云ふ新作落語家が登場し、おのれが古典落語を経験せずに新作落語を選択した理由(わけ)を喋ってゐた。

上州出だった当時の師匠曰く、

『江戸の古典落語は現代人に理解されなゐ内容ゆゑに消へた噺が、すでに二百ある。だから、これからは新しく噺をつくっていかなくてはいけない』─

と。

けっきょく上州訛りが直らなかったために、江戸弁の古典落語が出来なかったにすぎない“昭和の名人”らしい、言ひ得て妙な、言ひ訳である。

その新作落語とて、内容が中途半端に古くなって現在では失笑モノとなった迷作が、数ある。

人間を描くより、その当時の世相に重点をおいたことろに、かつての新作落語の欠陥があると、わたしは思ふ。



さてさて、大喜利がお目当ての「住吉踊り」。


今回も助六師の糸操りがなかったのはちょっと残念だったが、踊りが苦手な真打ちのまごつきぶりもご愛嬌に、客席のみんなが笑って、たのしく、めでたく、お開き。
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