goo

糸島の高祖(たかす)山。


  筑前、糸島の「高祖山(たかすやま、416m)」は糸島平野の東端に聳える。麓には三雲遺跡や平原遺跡など、弥生期の王墓群が展開する。在地の考古学者、原田大六は平原遺跡の被葬者に纏わり、「竺紫日向之高千穂之久士布流多気」は高祖山であるとし、「高祖」は「高千穂」と同義であるとした。


 8世紀に大宰大弐、吉備真備がこの山に怡土城を築き、巨大な土塁や望楼跡が今も残る。中世に入ると在地の大族、原田氏がこの山に「高祖山城」を築く。山麓の集落は当時の城下の風情を今に伝える。天正14年、関白秀吉の九州征伐において、原田信種はこの山に秀吉の大軍を迎えて籠城している。

 この山がなぜ「高祖山」なのか、また「高祖」とは漢や唐の高祖など、誰かを指し示すのではないのかと、ずっと気になっていた。


 山麓に「高祖(たかす)神社」が鎮座する。鬱蒼とした森の中、神さびた長い参道の奥に瀟洒な社(やしろ)が鎮座する。境内は広大で、古くは大社であったと思わせる。

 この社の主祭神は彦火火出見尊とされる。が、平安期に編纂された「三代実録」には、「元慶元年(877年)、高祖神社の高磯比売神に従五位下を授ける。」と記され、この「高磯(たかす)比売神」が本来の祭神であろうといわれる。高磯比売神は記紀に載らぬ謎の比売神。赤留(あかる)比売命や丹生都比売命とする説などがある。


 筑紫で「たかす」といえば、英彦山などの高木神(高御産巣日神、高皇産霊尊)祭祀を想起する。英彦山には開山説話に鷹の伝承を残す「高住神社(たかす、鷹栖宮)」が鎮座する。祭神を鷹巣(たかす)の神、豊日別神とし、古く、支峰の「鷹巣(たかす)山」に祀られていたとする。

 九州北部域の神奈備ともされる英彦山は、天照大神の御子、天忍穂耳尊を祀る。が、古く、英彦山の本来の神は高木神(高御産巣日神、高皇産霊尊)であったとされる。英彦山の山頂域が高木神祭祀の旧地とされ、山頂直下の「産霊神社(むすび)」や英彦山神領の48の大行事社には高木神が祀られる。

 そして、高木神の信仰に由来して「鷹」の神祇と呼ばれるものがある。「鷹」とは高木神の「たか」に由来し、高上ゆえに天空高く在って疎薄、そして猛禽ともされた神の異名。

 「鷹羽」の神紋を掲げ、鷹巣や鷹取など「鷹」地名を散在させる神祇が、洞海湾域、八幡(やはた)あたりから直方、田川、英彦山へと遠賀川を遡り、香春、宇佐へと繋がって、九州北半域を縦断している。また、筑後の神祇、高良山においても、地主神の高木神が本来の祭神であったとされる。

 神話において、高木神は天忍穂耳尊に自身の女(むすめ)、萬幡豊秋津師姫命(栲幡千千姫)を娶らせている。さすれば、英彦山神宮、第一の末社「高住神社(たかす、鷹栖宮)」に祀られる鷹巣(たかす)の神とは天忍穂耳尊の妃神、「萬幡豊秋津師姫命」の存在が相応しい。
 古く、「鷹」の神祇、高木神(高御産巣日神、高皇産霊尊)祭祀とは九州北半の根源的な信仰。高天原神話には九州北半の神祇が投影されているとも思わせる。


 糸島の高祖(たかす)神社に祀られる高磯(たかす)比売神とは、鷹巣(たかす)の神ともみえる高木神の女(むすめ)、萬幡豊秋津師姫命であろうか。

 高祖山の西麓、曾根丘陵で検出された平原遺跡は、弥生末期の方形周溝墓。この遺跡からは日本最大級の直径46.5cmの内行花文鏡5枚を含む銅鏡40枚が発見されている。副葬品に装身具が多いことから被葬者は女性とされ、発掘に携わった原田大六は被葬者を伊都国女王と想定した。糸島平野の神奈備、高祖山に祀られる高磯(たかす)比売神とはこの平原遺跡の被葬女性がいかにも相応しい。

 天孫以前の九州北半を想起させる高木神(高御産巣日神、高皇産霊尊)祭祀の存在。忍穂耳尊は高木神の女(むすめ)、萬幡豊秋津師姫命と結ばれ、生まれたのが天孫「瓊々杵尊(ににぎ)」であった。瓊々杵尊は葦原中国を統治するため、筑紫の日向に降臨する。高祖神社の境内社には高木神の子神、「思兼神(おもいかね)」が祀られ、思兼神は瓊々杵尊の降臨に随伴する。神話に投影されたとも思わせる太古の祭祀や考古の事象が、糸島をはじめとする九州北部域に広がっている。(了)

 

「古代妄想。油獏の歴史異聞」Kindle版 電子書籍


◎鷹の神祇。九州北半の高木神祭祀

鷹に纏わる神社群や鷹地名を散在させて、「鷹」の神祇が九州北半を縦断している。そこには、九州北半の神奈備、英彦山を中枢とした高木神祭祀の痕跡が重なる。そして、祭祀伝承や考古様相など、高天原神話に投影されたとも思わせる太古の事象がこの域に広がっている。 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )