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「鷹」の神祇。八幡(やはた)の鷹見神社群


 北九州の八幡(やはた)を中心に、鷹羽を神紋とする「鷹見(たかみ)神社群」が鎮座する。八幡、穴生の鷹見神社、権現山の西麓、市瀬の鷹見神社。折尾、南鷹見町の鷹見神社、則松の高見神社、永犬丸の鷹見神社、そして水巻、猪熊の鷹見神社など、鷹見、高見神社群が密集する。

 穴生の鷹見神社は穴生駅の傍、樹々が鬱蒼と茂る丘陵上に鎮座する。祭神は熊野三神。縁起では神功皇后による祭祀を役行者が再興、高見大権現を称し、のち宇都宮氏(麻生氏)が遠賀郡四十三ヶ村の総氏神としたとも。そして、近隣の鷹見神社はすべてこの穴生本宮を勧請したという。
 市瀬の鷹見神社は八幡の神奈備ともみえる権現山群の西麓、市瀬の山里に鎮座する。祭神は同じく、熊野三神。古く、鷹見山と呼ばれた権現山上に奥宮、山麓に十二宮を置く。また、この宮を上宮として、穴生本宮を下宮ともする。

 そして、八幡の高見に「高見神社」が鎮座する。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、天照大神、天忍穂耳命、邇邇芸命など十二神を祭神とする。由緒では神功皇后の三韓征伐の際に戦勝祈願の為、洞海湾の小山に皇祖神を祀ったのが創始とされる。総檜木流造の壮大な社殿をもつ。


 八幡の権現山は英彦山修験の峰入りの起点。秋の峰入りにおいて、行者は金剛界の福智山を経て、胎蔵界の英彦山に入る。英彦山は日本有数の修験の霊場であった。修験は平安期から明治の修験禁止令まで盛行して、尾根を繋ぐ長大な峰入りの古道が今も残る。

 八幡の鷹(高)見神社群には神功伝承由来の皇祖十二神祭祀に、役行者に纏わる修験の熊野神祭祀が重なっている。県神社誌には熊野三神を祀る遠賀郡総氏神、穴生の鷹見本宮は、古く、天之御中主神、高御産巣日神など十二神を祭祀していたと記される。


 そして、八幡の鷹(高)見神社群において、興味深いのは「鷹」の神祇。穴生の鷹見本宮のあたりが鷹の巣地名。折尾の鷹見神社周辺が鷹見町、永犬丸の社地の奥には鷹(高)見山の所在など、周辺に「鷹」地名を散在させる。

 「鷹」の神祇は修験にも拘わる。市瀬の鷹見神社の縁起は、役行者が三所権現招請を祈願した折、「鷹」が熊野からこの山に飛来したとする。
 そして、直方の鷹取山、香春の鷹巣の所在、また、田川(たがわ)地名が古く、鷹羽(たかは)の転化とされて、「鷹」の神祇は九州北部域の神奈備、英彦山へ繋がっている。

 英彦山(ひこさん)の開基伝承では、継体天皇25年(531年)、日田の藤原恒雄が殺生の罪を犯し、一頭の白鹿を射るが三羽の「鷹」が現れて白鹿を蘇生させる。「鷹」は英彦山の神の化身とされた。
 英彦山開基の藤原恒雄(忍辱)とは、韓半島の壇君神話における桓雄の投影であり、英彦山の「鷹」の神祇に藤原氏族を付会させたのは後(のち)の時代。
 英彦山は日本有数の修験の霊場。古代より神体山とされ、山麓に鎮座する英彦山神宮は鷹羽を神紋として、山域に摂末社を散在させる。東麓には高住神社(鷹栖宮)を鎮座させ、社奥に鷹ノ巣三峰が聳える。古く、英彦山は「鷹」の神祇の本地とみえる。

 北九州、八幡あたりの「鷹」に纏わる神社群を起点に、直方、田川、香春から英彦山へと、鷹ノ巣や鷹取、鷹羽などの「鷹」地名を散在させて、「鷹」の神祇が九州北部、遠賀川水系を縦断する。


 そして、九州北部域には「鷹」の神祇と重なる根源的な高木神(高御産巣日神)祭祀があった。高御産巣日(たかみむすび)神とは造化三神の一柱、皇祖神でもある。

 英彦山は九州北部域の神奈備。天照大神の御子、天忍穂耳(あめのおしほみみ)命を祀ることで日の御子の山、日子山(ひこさん)と呼ばれる。が、山頂直下に高木神(高御産巣日神)を祀る産霊(むすび)神社が鎮座して、山上は高木神祭祀の旧地であった。
 古く、英彦山の本来の神は高木神であった。そして、筑前、豊前域に展開する英彦山神領四十八の大行事社群(末社)は高木神(高御産巣日神)を祀る「高木神社」とされている。(了)

 

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◎鷹の神祇。九州北半の高木神祭祀

九州北半において、鷹に纏わる神社群や鷹の地名を散在させる「鷹」の神祇とは、高木神祭祀に由来する軍事(兵杖)氏族の痕跡。この域の古層には神武東征以前に大和に在ったとされる饒速日命の王権や、高天原神話に投影された太古の謎が秘められる。

 

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