新井律子建築設計事務所のブログ
大阪・北浜で住宅の設計を中心に仕事をしています
 



1月17日、日曜日 丹生都比売(にうつひめ)神社の御田祭(おんださい)に行ってきました。

お昼は近くにあるお気に入りの古民家カフェ客殿です。お米が美味しい!天野米3キロ、買って帰りました。

  

丹生都比売神社の由緒は紀ノ川より紀伊山地に入り標高四五〇メートルの盆地天野に当社が創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられます。天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神祝詞(にうだいみょうじんのりと)』によれば、丹生都比売大神は天照大御神の御妹神さまで稚日女命(わかひるめのみこと)とも申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。
私の大好きな神社です。最初に訪れた時はこんな処に、これ程美しい神社があったのかとそのすばらしさに感動しました。

    
また、白州正子さんは、『かくれ里』の「丹生都比売神社」の中で次のように書いています。
まだかまだかと思ううち、峠を二つばかり越えたところで下り坂となり、いきなり目の前が明るくなった。見渡す限り、まばゆいばかりの稲の波だ。
こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところをいったのかも知れない。
 周囲をあまり高くない、美しい姿の山でかこまれ、その懐に抱かれて天野の村は眠っていた。ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑かでうっとりするような山村を私は知らない。

御田祭が始まりました。これは「県指定無形民俗文化財」として指定された豊年万作を祈る農耕神事(芸能)です。

 丹生都比売神社楼門の下で行われ、起源は古く、平安末期から似た形のものがあり、変遷の上、江戸時代から現在の形ができたものといわれています。
    

田人、牛飼、一石、早乙女、田づ女、礼の坊等により演じられる農耕儀式で、田作り、種まき、田植、稲刈り、休憩などの所作で、五穀豊穣を祈ります。

凍えそうでしたが、狂言を見るようで大変楽しい経験でした。



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