未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle






「スピード感を持って」

私の嫌いな言葉だ。

いや、私の「大嫌いな言葉」だ。

「スピード感を持って」

私の認識では、「何のプランもない者が、かつ、プランのないことに何の正当な理由のない者が、その場しのぎで、あたかも自分が真剣に取り組んでいるかのように見せかけたい時に使う言葉」だと思っている。

なので、「スピード感を持って」と言われれば、

「現時点で何のプランもありません。プランのない事に正当な理由はありません。少なくとも私は知りません。でも私は真剣に取り組んでいるんです。本当ですよ。信じて下さい。」

と、そう言われているようにしか、感じない。

真顔で、公の場で、堂々と言うような言葉ではないと思うのだが、どうなのか。

ビジネスの場で、少なくとも目標のはっきりとしているプロジェクトを遂行中の会議で、「スピード感を持って」などの発言は許されない。

「スピード感を持って対応させて頂きます。」
「スピード感?具体的にいつまでに出来るんですか?」
「現時点では決まっておりません。」
「決まっていない理由は?」
「理由ですか?」
「はい。スケジュールが決められない、その理由です。中国からの部品が手に入らないとか、何か障害があるのでしょうか?」
「いえ、そういうわけではありません。」
「では、どういう『ワケ』でしょうか?」
「現在社内で検討中ですので、方針など決まり次第、はっきりとしたスケジュールを共有させて頂きたいと考えております。」
「それは、いつ頃はっきりしますか。」
「ですから、現在社内でスピード感を持って検討中ですので」
「ご理解頂けていると思いますが、1カ月先とかにスケジュールが出てきても、間に合いませんよ。」
「1カ月とか、そのようなことは、ございませんので。」
「では、来週のこの時間に検討しますので、前日までに、全員に資料の送付をお願いします。」
「それは、ちょっと、なるべく努力させて頂きます。」
「無理なようであれば、代替策を検討しなれればなりません。1週間後に代替策の検討を始めても間に合わないので、確約が出来ないのであれば、今、そう言って下さい。」
「いえ、大丈夫です。」
「来週までに、1カ月以内に実施可能な、根拠のあるプランのご提出をお願い致します。よろしいですね?」
「はい。承知致しました。」

会議後

「ありゃ、ダメだな、すぐに他の業者をあたってくれる?」

本来なら、このような遣り取りがあってしかるべきなのだが、誰もそれに突っ込まないのは、「スピード感を持って」という言い回しが、つまりは「何ら具体的な検討が出来ていません。少なくとも、おおよそのスケジュールですら、発表出来るような状況ではありません」との言い訳であり、突っ込んでも不毛なやりとりで時間を浪費するだけであることが、その場の全員で共有されているからであろう。

「スピード感を持って」

この言葉が使われ始めたのは、いつ頃からであろう。

「迅速に対応致します。」少なくとも、「迅速な対応を検討中です。」が、最低限許される発言ではないのか?

ここに「感」が入ることにより、一気にその言葉の信憑性が失われる。

「スピード感」

そもそも、この言葉の意味するものは何か?

「感」とは何なのか?

「感」が付く言葉だと「達成感」「満足感」などがある。

だがこれは、「達成」した時、「満足」した時に「感じられる」気分のことである。

「スピード」した時に感じられ気分。と言うのはおかしいので、この意味ではない。

「臨場感」

これが近いと思われる。

【臨場感】
実際にその場に身を置いているかのような感じ。「臨場感あふれる画面」

スピード感に置き換えると、

【スピード感】
実際にスピードがあるかのような感じ。「スピード感あふれる映像」

日本語にすれば「疾走感」か。

【疾走感】
きわめて速く走っている感覚。 疾駆する感覚。 特に音楽や映像が高速に快く進んでいくような感じを形容する表現として用いられる。

もうちょっと、砕いた表現にすると、

【スピード感】
実際にはスピードがあるわけではないのだが、あたかもスピードがあるかのような感じられること。その感覚。

【スピード感を持って】
実際にはスピードがあるわけではないのだが、あたかもスピードがあるかのような感覚を伴って、何かを実施すること。

私の場合、どう考えてもこの解釈しか思いつかないし、「スピード感を持って」と言われれば、国会中継などで見られるように、本題を差し置いて、些末なことをあーだ、こーだとやっている姿しか思いつかない。

「石橋を叩いて渡る」と言う言葉がある。

背後に野獣の群れが迫っているような危機的な状況であれば、木造の橋であろうが、つる草で作られた橋であろうが、必死になって渡らざるを得ない。

「つる草の橋を渡って、途中で落ちて死んでしまえば、元も子もないではないか?」

確かにそうだ。だがこの場合、その橋を渡るのは危険が大きすぎることを即座に判断し、間髪置かずに別のプランに移らなければならない。

だが、「スピード感を持って」仕事している人々は、野獣に食い尽くされてしまうまで、いつまでも「石橋を叩いて」いるような人々である。

もし、リーダーがいつまでも石橋を叩いていたら、それを捨て置いてさっさと渡ってしまえば良い。

だが、国家規模での対応が必要な事態、個人の行動では限界があるような非常事態では、我々の命なり生活なりは、それなりの権威ある存在に委ねられてしまっている。

「スピード感を持って」

2度とそんな言葉は聞きたくない。

冒頭の画像のような光景が、日本中に広がってからでは遅い。
ライオンが路上でお昼寝、「人間ゼロ」を満喫 ロックダウン中の南ア国立公園



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