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中東に平和を! 40: 報復の連鎖 8 : なぜ中東戦争は始まったのか? 1

2016年10月28日 | 連載完 中東に平和を


< 1.1917年、英国軍に降伏するエルサレム市長 >

前回、中東戦争を振り返りましたが、なぜアラブ諸国はユダヤ人の建国に反対し戦端を開いたのでしょうか?
この理由を探る前に、中東戦争に関するある風説を取り上げます。


ある風説について

「アラブがユダヤに戦争を仕掛け、負けたことが悲惨な現状を生んだのであり、パレスチナは自業自得である。」
これはイスラエル側でよく語られる風説です。

本当にそうだろうか?
私は以下の理由で、この風説は悪意あるデマと考えます。



< 2.1920年代の中東 >

1. アラブはユダヤに勝つことが出来なかった。

当時、欧米やソ連はユダヤ人を自国から追い出し、別の地域に定住させるために、兵器供与など何でも行った。
それはパレスチナでなくても良かったのだが。
世界、特にキリスト教国は罪滅ぼしと同情、そして嫌悪が混じる眼差しで、これに賛同した。

アラブ諸国が勝つには、ユダヤ移民が始まった1920代に開戦すべきだったかもしれないが、当時、アラブは英仏の統治下にあったので不可能だった。


2. もしアラブが勝っていても、紛争は続いた。

今度は、ユダヤ人が徹底抗戦とテロで反撃し、早晩イスラエルはアラブを打ち負かしただろう。
中東におけるユダヤ人の徹底抗戦と過激なテロは実績がある。



< 3. 1947年のユダヤ人入植地 >

3. アラブが開戦しなくても、パレスチナのアラブ人の状況を変えることは出来なかった。

ここが分かり難いところですが、ユダヤ人にはパレスチナのアラブ人を圧倒する資金力と知力、ネットワークがあった。
彼らは小さくてもイスラエルの地を拠点することにより、地中海を通じて世界と繋がった。
これは3000年前のソロモン帝国に通じるものがある。
こうして、イスラエルは経済力、軍事力、政治力によって、パレスチナを圧倒した。

これは繰り返されて来た、先住民と先進の入植者との攻防のパターンです。
これを放置すれば、その結果は明白です。

つまり、中東戦争の有無が今のパレスチナ問題を決定づけたのではなく、中東戦争は派生した一つの現象にすぎないのです。


何が問題なのか
アラブの人々は、私の指摘に怒るかもしれない。
アラブ人を先住民と一緒にするのは言語道断だと!

私が言いたいのは、優勢な集団が劣勢の集団を取り込み支配し、従わなければ追い出し抹殺することは、残念ながら繰り返されて来た事実だということです。

一方、ユダヤ人は優秀な民族であるにも関わらず、虐げられて来た。
そして、今、2500年間の怨念を晴らしているかのようです。
皮肉なことに、差別され虐げられた人々が、逆にそれを繰り返しているのです。

その経験によって他者の痛みを理解するユダヤ人もいるでしょうが、残念ながら集団となると違うのです。
多くは恐怖心から、身構え敵を圧倒するようになり、ついには報復の連鎖が起きてしまうのが歴史です。



次回、具体的に中東戦争が始まる状況を考察します。




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