もうすぐ修了式です。一年間が終わります。
今年度は、いろいろありました。
特別支援教育に対する風当たりが強く、神経をすり減らしたこと。
異業種の方たちから新しい風が吹いてきたこと。
これらを踏まえて、来年度は少しでもいい方向に・・・と考えていたのに、
まさかの転勤です。
悲観的に考えてもどうしようもないので、新しい場所で新しい学びを・・・と考えを切り替えることにします。
コーディネーターという立場上、色々な研修会に参加する機会がありました。
「特殊教育」から「特別支援教育」へと制度が変わり、障がいによって差別されない社会を目指して
インクルーシブ教育システムの構築を作っていくための研修会は頻繁に行われています。
でも、教育現場では、なかなか浸透しないのです。
私の勤務する小学校では、朝、支援学級の子供たちは交流学級に登校します。
ランドセルを交流学級のみんなと同じロッカーに置き、朝の会に出席して、
他の子供たちと一緒に一日をスタートさせます。
支援学級の担任は、自分のクラスの子供たちの様子を見るために、
毎朝、交流学級を回って様子を確認します。(私の場合は、5クラス)
そして、主に国語と算数の時間になったら、支援学級に来て授業を受ける、というスタイルです。
ところが、今年転勤してきた教師の中から、「このやり方はおかしいでしょう」と校長にクレームがあったらしいのです。
らしい、というのは、「おかしい」と私が直接言われたわけではなくて、校長からこの件に関して指導を受けたから。
「私も支援学級を受け持ったことがありますが、こうではありませんでした。」と2人の教師が抗議したのだそうです。
「僕も過去に支援学級を担任したが、こうではなかった。行き過ぎではないか」と校長には言われました。
「でも、このようなスタイルで私は前任者から引き継ぎました。前校長からは何も問題を指摘されず、一年を過ごしました。親御さんにも説明して、それなら支援学級へ入級させます・・・と納得してもらっています。もし、このやり方を変えるとなれば、校長先生から支援学級在籍の保護者へ「校長方針」の説明をお願いします。」と私は言いました。
正直言って、前の担任から引き継いだやり方が合っているのかどうかはわかりません。
だからこそ、校長方針に従うしかないと思ったのです。
数日後、校長から出た回答は「これがこの学校のやり方なら仕方ないだろう。」というものでした。
そして「君たちが怠けていると思われないように、しっかりやってくださいよ。」と言われました。
それからは、何をするにも色々考えてしまって・・・
でも、目の前の子供をよく見ることで、方向性が見えてくると私は思っています。
子供たちの特性は一人ひとり、全く違うのですから。
Y君は、交流学級への登校を当たり前のように感じ、交流学級を居心地よく思っている。
T君は、朝、支援学級で落ち着かせてから一緒に、交流学級へ登校する。
O君は、交流学級の担任と馴染めず(先程の抗議した教師のクラス)、支援学級へ登校する。などなど、
保護者と密に話し合いを持って、交流学級との関わり方を調整していくことにしました。
抗議を受けたことで、保護者と子ども自身のニーズに、改めて目を向けられるようになったかな。
というのは、瓢箪から駒、的な感じでよかったのですが、その後もいろいろとありました。
ま、そのことはまた次の機会に書くことにします。
支援学級担任さえも、手探りなのです。ましてや普通学級担任は、とまどうことだらけ・・・でしょう。
特に、「特殊教育」時代を経験されてきた年配の先生たち(私も含めて)は
「おかしいんじゃないの」と思ってしまうかもしれない・・・。
文部科学省のお偉い方々、制度を変えるなら、教育界全体への研修を真剣にやってよ。
もっと、教師にゆとりを持たせて、勉強させてよ。
そんなぼやきが出てくるような思いを、何度も味わった平成28年度だったのでした。
教育現場は、どこもこんな感じではないでしょうか?
でも、異業種の方々から、多くの学びをもらいましたよ。
そのことは、次回、書きたいと思います。
長々と書いた文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。