今日は遠足日和でした。この頃の雨続きの天気がうそのようです。
同僚から、気になる話を聞きました。
今年の3月に小学校を卒業して中学生になった子たちが、
よく小学校に遊びに来ます。その子たちから聞いたそうなのですが。
中学校に送り出した子たちの中には、私のクラスのFくんという男の子もいます。
彼は、軽度精神遅滞と自閉症の特性を持つお子さんです。
穏やかで優しい子で、折り紙の腕前は超一流。創作折り紙を編み出しては
私たち大人を驚かせてくれた子でした。
また、魚や恐竜、昆虫などが大好きで、図鑑から仕入れた知識がものすごく、
遠足の車内レクでは次々と難しいクイズを出してみんなをうならせてくれました。
卒業アルバムには、交流学級の子供たちからたくさんの寄せ書きがありました。
「Fくんのお陰で笑いがいっぱいだったよ。ありがとう。」
「俺たちは仲間だ。中学校へ行っても一緒にがんばろうぜ」
「みんなを楽しませてくれてありがとう。Fくんがいると優しい気持ちになれた。」
などなど・・・温かい言葉の数々に、担任である私は、読みながら涙したものでした。
交流学級の担任の先生が、
Fくんを受け入れるため、学級指導に多くの時間を割いてくれていたこと、
授業中に突然思い出し笑いをすると一緒に楽しんでくれたこと、
彼らしい幼稚な言動に「かわいい」と対応し、クラスの子たちも巻き込んでくれたこと、
ちょっとでも差別的な言動があるとそれを見逃さず、毅然と対応してくれたこと・・・
たくさんの配慮をしてくれました。
色々なことを積み重ねて、自分たちの仲間の一人としてFくんを受け入れてくれた子供たち。
彼らはFくんを「守る」存在になってくれる、そう確信して3月に巣立っていったのでした。
中学校は、2つの小学校から生徒が入学します。
うちの小学校は少数派。割合的には3対7くらいかな。
で、最初に書いた、中学1年生から聞いた話はこうです。
学年集会で、Fくんが思い出し笑いをしたんだそうです。始まるとなかなか止まらない・・・
これはFくんのくせ。
すると、話をしていた男の先生が、「今は、笑うところじゃないだろう!」とFくんを叱ったそうです。
「先生は、Fくんのことがまだよくわからないから、叱ったはずだけど、あの怒り方はちょっとひどかった。」
って彼女は言っていたそうです。話を聞いていた同僚は、こう答えたそうです。
「あなたがそう感じたのは、とても思いやりのある考え方だと思う。素晴らしいことだと思う。
そう感じたことを、先生にも伝えられるといいね。」
実は、私も気になっていたんです。
2週間前、研究会でFくんの担任に会い、彼の様子を聞いた時に
「授業中に突然笑いだして、机をバンバンたたく、授業妨害だ、と教科担任に言われどうしたもんかと思ってるんですよ。」
と言う言葉が返ってきたのです。「授業妨害」という言葉が、私の胸にグサッとささりました。
子供たちの心を育てて、Fくんを受け入れながら共に中学校生活を過ごしてほしい・・・
でも、今のところ、中学校の先生たちの対応は、Fくんを受け入れるものではない。正直、厳しい・・・。
小学校で育んできたものが、中学校につながりにくい現実を見せつけられた思いでした。
私は、中学校の批判をしているのではありません。
中学校の先生方は、思春期の難しい子供たちと向き合い、生徒指導に奔走し、
受験に向けて、多くのストレスを抱えながら授業を組み立てているのだろう、
小学校とは全然違った世界だ・・・そう認識しています。
だから、特別支援学級の生徒に多くの時間をさけない、のだと思います。
でも・・・
子供たちが、社会を作っていくんですよね。
そう考えると、中学生にも特別支援学級の子を仲間として受け入れる心を育てる、
というのは、大事な心の教育ではないのかな、と思います。
特別支援教育は、まだまだ始まって日が浅く、小学校でも試行錯誤しながらすすめているのが現状です。
私も、3年前までは、特別支援学級のお子さんに、配慮が出来ていたかというと、自信がありません。
定年まであと12年、もしかしたら私の役割は、ここら辺にあるのかな・・・
そう感じながら、日々過ごしています。