詰将棋パラダイス 27番
まずは疑問点。と言っても作品の疑問点ではなくルールの疑問点。
最終手の局面。
作意は6九飛までの詰みだが、当然7八飛も攻方は選択できるはずである。
実際は攻方6九銀がある状態で、6八飛、7九玉、7八飛、6九玉、6八飛、7九玉の手順を経て当局面に至っている。
つまり、ここで7八飛は、4手前の局面と完全に同一であり千日手となる手なのであるが、最悪詰では攻方が千日手を指すことはルール上禁じられているのであろうか?
そのようなルールは聞いたことがないが、おそらく禁手ということで構築されているのであろうと思われる。
改めて最初から見ていくと、持駒は歩17枚。残りの駒は全て盤面に配されている。9段目の金と、と金、成銀の配置に違和感を感じるであろうか。
初手はとを寄るか引くかするしかないが、引いた場合は、3七玉、4七と、同銀、6四角・・・と早詰となるので、銀を取りつつ寄るのが正しい。と金をもぎ取り、取らせたばかりの銀を打たせて、かわして、6四角とさせる。
ここで気になっていた成銀を寄り取らせ、さらに歩合をする。
この歩合の意味は、前述の最終手の局面を見ていただければわかると思うが、角を4六まで呼び寄せて置かないと、7八飛、6九玉に7九飛と飛を無理やり玉方に取らせる手が成立してしまうためである。4六角があれば当然7九飛で詰んでしまうために攻方は指すことができない。
最終局面に至る伏線手が入ったが、その為に成銀を配することになり痛し痒しである。下手に成銀の位置をいじれば、9六の角を使われるような筋もあり止むを得ない選択であったと思われる。
角を4六に引き寄せ、2七玉、1八銀、同玉と進めば、趣向の局面に入る。
ここから1九歩、1七玉、1八歩、同玉を繰り返し攻方歩を消費していく。
ここで2九金とするのはすぐ同玉で、この後は玉は9段目を這っていくので、歩を消費することが出来ないので早詰となる。つまりこの歩の消費は単なる手数伸ばしなのである。
また1九歩に同玉とするのは1六桂と空き王手されて詰みに誘導できなくなる仕組みである。ほぼ無防備な受方であるが、1六の香が受方になっているのはそのためである。
歩を消費しきれば、2九金以下の指手しか攻方は選択肢がなくなり詰に至る。
全体を通してみれば、歩を18枚打ち続ける趣向であるが、当初の持駒は17枚で18枚目は攻方のと金を奪い、さらに合駒にして取らせる仕組みになっている。察するに歩を全部持駒にし、それらを全て同じ趣向で捨てるのでは余りに単調であると判断されてのことと思う。
森氏の作品にはどこかに必ず一工夫が感じられる。出来ることをただやっただけでは作品とは呼べない。工夫して色をつけて初めて作品と呼べるものになる。そういった姿勢が氏の主張のように思えるのであるがどうだろうか。
最後の詰みに必要な角も移動させてこようとされているのも主張の一端のように感じられる。
最後の局面が千日手模様になっているは、趣向部の千日手ではない歩の消費による繰り返しとの対比なのかもしれない。なぜならば終局部分は他にいかようにも詰めさせることが可能そうに思われるからである。
まずは疑問点。と言っても作品の疑問点ではなくルールの疑問点。
最終手の局面。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 +---------------------------+ | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|一 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|二 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|三 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|四 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五 | 角 ・ ・ ・ 銀 角 香 香v香|六 | ・ ・ 銀 王 ・ ・ ・ ・ ・|七 | ・ 香 ・ 飛 桂 桂 桂 桂 ・|八 | ・ ・v玉 ・ ・ ・ ・ ・ ・|九 +---------------------------+ 持駒:なし
作意は6九飛までの詰みだが、当然7八飛も攻方は選択できるはずである。
実際は攻方6九銀がある状態で、6八飛、7九玉、7八飛、6九玉、6八飛、7九玉の手順を経て当局面に至っている。
つまり、ここで7八飛は、4手前の局面と完全に同一であり千日手となる手なのであるが、最悪詰では攻方が千日手を指すことはルール上禁じられているのであろうか?
そのようなルールは聞いたことがないが、おそらく禁手ということで構築されているのであろうと思われる。
改めて最初から見ていくと、持駒は歩17枚。残りの駒は全て盤面に配されている。9段目の金と、と金、成銀の配置に違和感を感じるであろうか。
初手はとを寄るか引くかするしかないが、引いた場合は、3七玉、4七と、同銀、6四角・・・と早詰となるので、銀を取りつつ寄るのが正しい。と金をもぎ取り、取らせたばかりの銀を打たせて、かわして、6四角とさせる。
ここで気になっていた成銀を寄り取らせ、さらに歩合をする。
この歩合の意味は、前述の最終手の局面を見ていただければわかると思うが、角を4六まで呼び寄せて置かないと、7八飛、6九玉に7九飛と飛を無理やり玉方に取らせる手が成立してしまうためである。4六角があれば当然7九飛で詰んでしまうために攻方は指すことができない。
最終局面に至る伏線手が入ったが、その為に成銀を配することになり痛し痒しである。下手に成銀の位置をいじれば、9六の角を使われるような筋もあり止むを得ない選択であったと思われる。
角を4六に引き寄せ、2七玉、1八銀、同玉と進めば、趣向の局面に入る。
9 8 7 6 5 4 3 2 1 +---------------------------+ | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|一 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|二 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|三 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|四 | ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五 | 角 ・ ・ ・ 銀 角 香 香v香|六 | ・ ・ 銀 王 ・ ・ ・ ・ ・|七 | ・ 香 飛 飛 桂 桂 桂 桂v玉|八 | ・ ・ 銀 金 金 金 金 ・ ・|九 +---------------------------+ 持駒:歩18
ここから1九歩、1七玉、1八歩、同玉を繰り返し攻方歩を消費していく。
ここで2九金とするのはすぐ同玉で、この後は玉は9段目を這っていくので、歩を消費することが出来ないので早詰となる。つまりこの歩の消費は単なる手数伸ばしなのである。
また1九歩に同玉とするのは1六桂と空き王手されて詰みに誘導できなくなる仕組みである。ほぼ無防備な受方であるが、1六の香が受方になっているのはそのためである。
歩を消費しきれば、2九金以下の指手しか攻方は選択肢がなくなり詰に至る。
全体を通してみれば、歩を18枚打ち続ける趣向であるが、当初の持駒は17枚で18枚目は攻方のと金を奪い、さらに合駒にして取らせる仕組みになっている。察するに歩を全部持駒にし、それらを全て同じ趣向で捨てるのでは余りに単調であると判断されてのことと思う。
森氏の作品にはどこかに必ず一工夫が感じられる。出来ることをただやっただけでは作品とは呼べない。工夫して色をつけて初めて作品と呼べるものになる。そういった姿勢が氏の主張のように思えるのであるがどうだろうか。
最後の詰みに必要な角も移動させてこようとされているのも主張の一端のように感じられる。
最後の局面が千日手模様になっているは、趣向部の千日手ではない歩の消費による繰り返しとの対比なのかもしれない。なぜならば終局部分は他にいかようにも詰めさせることが可能そうに思われるからである。
連続王手千日手禁手を利用しているのであれば確かにもう1サイクル手順を踏む必要があるように思います。
最悪詰出題時には手数は表記されているのか?解掲載時にも連続王手についての記述がなかったのか?この辺りが気になるところです。
この図では玉方が手を変えることができるんですよね。同一局面4回でも同一手順3回でも最後は玉方着手で千日手が成立します。
(79銀があるので、68飛、79玉の形が同一局面のスタートです)
とすると、最後は同一局面にならない方に玉が逃げないといけなくなります。
具体的には「同一局面4回」の場合、
69飛、同玉のところから、
「68飛、79玉、78飛、69玉」を3回繰り返して、
68飛、59玉(79玉は同一局面4回目)となって、
以下78飛に69玉(同一局面4回目)とできず、以下逃れ。
「同一手順3回」でも
78飛からが同一順なので(最初の69玉は銀を取るので棋譜の上では同じでもその後の69玉とは別の手と見なすとして)結局同じ。
ということは不詰??
考えているうちに頭がこんがらがって来ました。
何か錯覚があるんでしょうか。
以下78飛に69玉(同一局面4回目)とできず、以下逃れ。」
59玉には78飛でなく、69飛とする手がありましたね。逃れには違いありませんが。
連続王手の千日手禁止は玉方に着手を強制するルールではない、と考えると、
上に書いたことは成立しませんね。
同一局面4回で考えると、
69飛、同玉のところから、
「68飛、79玉、78飛、69玉」を3回繰り返す。
ここで68飛は79玉で同一局面4回の千日手となるため、
攻方は別の手を指さなければならず、79飛で詰み。
もしかしてこれが妥当な解釈?
最悪ルールプラス千日手で訳が分からなくなって来たのでこのへんにします(苦笑)。
千日手ルールは厳密に詰将棋のルールとして明文化されてはいないようですね。個人的には千日手を利用した作品は出題ごとに例えば「連続王手の千日手は禁手なので攻方は手を変えること」などと明記するしかないと思います。手の内がわかるので全く解く楽しみがなさそうですが。
個人的には、
・連続王手の千日手は玉方に着手を強制するルールではない
・よって4回目の6八飛に対して7九玉と指すことは可能
・攻方は4回目の6八飛を指せるかについては受方が5九玉とかわす可能性があるから着手は可能。しかし7九玉とかわされると千日手が成立。ここで連続王手が確認されて判定で反則負け
・しかしながら、最悪詰の目的は受方は自玉を詰ますこと、攻方は詰まさないことなので、実際には受け方を詰まさなかったので逃れ。(負けるが勝ち?)
しかし詰まさないために反則に逃れる、というのもおかしな気はします。二歩、打歩詰等の明確な禁手は当然選択できる指手の範疇外でしょう。しかしながら、受手側が成立させる前の4回目の6八飛は禁手と言いがたいと思われます。まだ千日手は成立していないので。例えば切れ負けの将棋で最終手7九玉を指す前に時間が切れたら千日手を主張できず先手勝ちではないかと思われます。
私も指将棋と詰将棋が混ざって話が見えなくなってきたのでこの辺で止めたいと思います。
「説明がない以上、作意不成立」と言われても到底否定できない、というのが私の見解です。
というところが問題ですね。
攻方が指して千日手が成立するようにすれば
それは免れますね。
この作品をその方向で修正することはできるでしょうか。
パッと見、いい案が浮かびませんが。