私の風邪もいよいよ佳境(?!)を迎えつつあります。鼻詰まりと喉の痛みがかなりすさまじい。。。昨日は、ほとんどソファーがベッドで死んでいました。でも熱はないので、助かっています。もっともうちのフランス人に言わせれば、「久々の「オペラ座の怪人」に興奮して具合が悪くなったんじゃないの?」とのこと。おいおい、そもそも誰の菌だと思っているんだ!!!でもなー、「オペラ座の怪人」となると、平静ではいられません。これはもう、「パブロフのモグラ」だ。
とにかく「オペラ座の怪人」のお話の続きに戻らせていただきます。
一つ声を大にして言わせていただきたいことは、私の見解では、怪人役は、是非ともセクシーな中年のオジサマにお願いしたい、ということです。映画の中の怪人は、私のテイストではちょっと若すぎました。やはり向こう見ずで軽率なまでの若さがラウルという幼馴染の恋人の魅力なのですから、怪人は成熟したオヤジの魅力で迫ってこそ対比が鮮やかに浮かび上がるというもの。しかも主人公のクリスティーヌは、この怪人に亡くなった父親像を重ねているので、ますます熟年の魅力が必要とされると思われるところです。もっともロンドンやアメリカでは、怪人役に若い俳優を起用するのが一般的のよう。無論難しい役ですし、舞台ではとにかく声量と体力が必要とされるでしょうから、ある意味、中堅で実力及びパワーのある俳優を起用するというのは、理に叶っているのかもしれない。でもアメリカのサンフランシスコで見た怪人は、あまりにも幼すぎてダダッ子のような怪人で、オペラ座の屋上でのクリスティーヌとラウルのラブシーンでは、転げまわって泣くし、後半の怪人の復讐も、「ええい、ええい、コノヤロ、コノヤロ、ザマーミロ、ひーんクリスティーヌちゃぁぁぁん、カムバァァーック!!!」といった感じで、多少興ざめしたことを覚えています。もっとも幼稚な怪人だからこそ、最後の彼の決心にはそれなりに胸が打たれたということはありましたが。ロンドンの怪人は、ひたすら不気味で、クリスティーヌも憑かれたようなイッちゃっている感じで、ホラー感は充分!!でもなー、ラウルが典型的なイギリスのおぼっちゃま風で、ヒュー・グラントみたいっていうか、「ははは、ははは」と無意味にへらへら笑うし、「でっでっでっでっでもね、クックックックックリスティーヌ」みたいに変にどもっていて、かなーり嫌だった。。。(ちなみにこの「どもる」という行為は、イギリスでは、「言葉を出したいのだが、教養と思慮深さが様々な葛藤を呼んで、何度も自分の言おうとすることを口に出す前に反芻しようとする謙虚な姿勢の表れ」ということで、非常に貴族的かつ上品な振る舞いとされている、ということを何かの本で読みました。何でもいいけど、舞台の上ではわざとらしいからやめんかね。)おまけにもみ上げがルパン3世だったしなーーーーーーーーーーーーーーー。
そういう意味では、実は私は日本の劇団四季「オペラ座の怪人」が、とても好きです。もしかしたらこれはとても日本的かつ単純な年功序列の問題なのかもしれないけど、四季の怪人は、ちゃーんと渋い熟年の魅力たっぷりの正統派のテノールが怪人役をやっているので、キャラクター設定は、抜群です。(もっとも昨日コメントを下さったpetite_noriさんという方が、「四季のクリスティーヌは、若干お年を召していた」とおっしゃっているので、そうなると年功序列も良し悪しですかね、はははは。。。と力なく笑う)
これはミュージカルに限らず、クラシック音楽などでもそうなのですが、「日本のものは本場に比べるとねー」などとおっしゃる方が多いのですが、私はそういう言葉を聞くと残念に思う。それは確かに日本ではまだ歴史が浅いとか、日本人ではスタミナや声量に限界があるとか、色々現実にはあるかもしれないけれども、そういう批判はともかくも四季でもN響でも日フィルでも実際に出かけてみると、日本人として、「よくぞここまで」と誇りに思い、感動することの方が、私には多い。特にミュージカルなどは、膨大な量の歌の歌詞を、本来の意味を損ないすぎることなく、日本語に翻訳していくという作業。。。考えただけでも気が遠くなります。そういうことを考えていくと、「日本はねー」とおっしゃる方々には、それだけ芸術に対する思い入れ及び造詣が深くていらっしゃるのでしょうから、是非日本の芸術界を支援する意味でも日本人による日本での公演にお出かけ頂きたいものです。そうすることこそが、日本の芸術のレベルをどんどん上げていくことにも繋がると私は信じる。批判するだけなら、誰にだって出来ますからね。現状が不満なら、それをいかに改善していくか、その改善に対していかに自分が微力ながらでも貢献できるのかっていうのを考えるのが、本当のファンの役目だと私は思うんですけれどもね。だいたい私には、自分の方がよほど上手い、みたいにでも思えない限り、そう滅多なことでは、芸術というとてもストイックで正しい解が存在しないような崇高なものに対して全人生をかけて打ち込んでいるプロの人々をとやかく言うなんて、その背後にある彼らの努力を考えればなおさら、恐れ多くてとてもできない。。。まあ、好き嫌いの問題もあるでしょうから、一概には言えないのかもしれませんが。
最後に、これは映画をこれからご覧になる方には、もしかして言ってはいけないのかもしれないけど。。。でも。。。うくくく、やっぱり言ってしまいたい!!!!クリスティーヌの楽屋の鏡の中に、初めて怪人が映るシーンですが、その時の怪人の額の生え際には、西田敏行が入っていた。。。
きゃー、ごめんなさい!!でもうちのフランス人に言っても通じないから、誰かに是非聞いて欲しかったんですぅぅ!!!!!あー、すっきりした。とにかく映画版、「オペラ座の西田敏行」じゃなかった、「オペラ座の怪人」へ、皆様是非お出かけください!!!!
とにかく「オペラ座の怪人」のお話の続きに戻らせていただきます。
一つ声を大にして言わせていただきたいことは、私の見解では、怪人役は、是非ともセクシーな中年のオジサマにお願いしたい、ということです。映画の中の怪人は、私のテイストではちょっと若すぎました。やはり向こう見ずで軽率なまでの若さがラウルという幼馴染の恋人の魅力なのですから、怪人は成熟したオヤジの魅力で迫ってこそ対比が鮮やかに浮かび上がるというもの。しかも主人公のクリスティーヌは、この怪人に亡くなった父親像を重ねているので、ますます熟年の魅力が必要とされると思われるところです。もっともロンドンやアメリカでは、怪人役に若い俳優を起用するのが一般的のよう。無論難しい役ですし、舞台ではとにかく声量と体力が必要とされるでしょうから、ある意味、中堅で実力及びパワーのある俳優を起用するというのは、理に叶っているのかもしれない。でもアメリカのサンフランシスコで見た怪人は、あまりにも幼すぎてダダッ子のような怪人で、オペラ座の屋上でのクリスティーヌとラウルのラブシーンでは、転げまわって泣くし、後半の怪人の復讐も、「ええい、ええい、コノヤロ、コノヤロ、ザマーミロ、ひーんクリスティーヌちゃぁぁぁん、カムバァァーック!!!」といった感じで、多少興ざめしたことを覚えています。もっとも幼稚な怪人だからこそ、最後の彼の決心にはそれなりに胸が打たれたということはありましたが。ロンドンの怪人は、ひたすら不気味で、クリスティーヌも憑かれたようなイッちゃっている感じで、ホラー感は充分!!でもなー、ラウルが典型的なイギリスのおぼっちゃま風で、ヒュー・グラントみたいっていうか、「ははは、ははは」と無意味にへらへら笑うし、「でっでっでっでっでもね、クックックックックリスティーヌ」みたいに変にどもっていて、かなーり嫌だった。。。(ちなみにこの「どもる」という行為は、イギリスでは、「言葉を出したいのだが、教養と思慮深さが様々な葛藤を呼んで、何度も自分の言おうとすることを口に出す前に反芻しようとする謙虚な姿勢の表れ」ということで、非常に貴族的かつ上品な振る舞いとされている、ということを何かの本で読みました。何でもいいけど、舞台の上ではわざとらしいからやめんかね。)おまけにもみ上げがルパン3世だったしなーーーーーーーーーーーーーーー。
そういう意味では、実は私は日本の劇団四季「オペラ座の怪人」が、とても好きです。もしかしたらこれはとても日本的かつ単純な年功序列の問題なのかもしれないけど、四季の怪人は、ちゃーんと渋い熟年の魅力たっぷりの正統派のテノールが怪人役をやっているので、キャラクター設定は、抜群です。(もっとも昨日コメントを下さったpetite_noriさんという方が、「四季のクリスティーヌは、若干お年を召していた」とおっしゃっているので、そうなると年功序列も良し悪しですかね、はははは。。。と力なく笑う)
これはミュージカルに限らず、クラシック音楽などでもそうなのですが、「日本のものは本場に比べるとねー」などとおっしゃる方が多いのですが、私はそういう言葉を聞くと残念に思う。それは確かに日本ではまだ歴史が浅いとか、日本人ではスタミナや声量に限界があるとか、色々現実にはあるかもしれないけれども、そういう批判はともかくも四季でもN響でも日フィルでも実際に出かけてみると、日本人として、「よくぞここまで」と誇りに思い、感動することの方が、私には多い。特にミュージカルなどは、膨大な量の歌の歌詞を、本来の意味を損ないすぎることなく、日本語に翻訳していくという作業。。。考えただけでも気が遠くなります。そういうことを考えていくと、「日本はねー」とおっしゃる方々には、それだけ芸術に対する思い入れ及び造詣が深くていらっしゃるのでしょうから、是非日本の芸術界を支援する意味でも日本人による日本での公演にお出かけ頂きたいものです。そうすることこそが、日本の芸術のレベルをどんどん上げていくことにも繋がると私は信じる。批判するだけなら、誰にだって出来ますからね。現状が不満なら、それをいかに改善していくか、その改善に対していかに自分が微力ながらでも貢献できるのかっていうのを考えるのが、本当のファンの役目だと私は思うんですけれどもね。だいたい私には、自分の方がよほど上手い、みたいにでも思えない限り、そう滅多なことでは、芸術というとてもストイックで正しい解が存在しないような崇高なものに対して全人生をかけて打ち込んでいるプロの人々をとやかく言うなんて、その背後にある彼らの努力を考えればなおさら、恐れ多くてとてもできない。。。まあ、好き嫌いの問題もあるでしょうから、一概には言えないのかもしれませんが。
最後に、これは映画をこれからご覧になる方には、もしかして言ってはいけないのかもしれないけど。。。でも。。。うくくく、やっぱり言ってしまいたい!!!!クリスティーヌの楽屋の鏡の中に、初めて怪人が映るシーンですが、その時の怪人の額の生え際には、西田敏行が入っていた。。。
きゃー、ごめんなさい!!でもうちのフランス人に言っても通じないから、誰かに是非聞いて欲しかったんですぅぅ!!!!!あー、すっきりした。とにかく映画版、「オペラ座の西田敏行」じゃなかった、「オペラ座の怪人」へ、皆様是非お出かけください!!!!