トウキョウ◎アワー

ふるさとの自然が、愛しい。
懐かしいとよく似てるけど、ちょっと違う。
帰りたいと思うか、思わないかだ。

母のウインナー

2016-04-26 09:42:16 | Weblog


みなさん、ゴールデンウィークです。
サラリーマン戦士の夫なんかは12時間以上も、妻の実家で眠っています。
いかがお過ごしですか?

石川県の今朝は快晴で、青い空の下、青々とした植物たちが風にそよいでいます。
娘なんかはばあちゃん家に来たのが嬉しすぎて、昨日もよく分からないダンスをしていました。
今はばあちゃんと歯医者へおでかけしています。歯医者?

そうそう、朝ごはんは母が超簡単に作ってくれました。
目玉焼きとウインナーと食パン。
隣で世間話をしながら立っていると、大量にサラダ油を引いてジューッといためる音。
切れ目がやや深く入った熱々のウインナーをお皿に転がしていました。

ああ、これこれ。
母のウインナーはいつもこれだった!

私はほぼボイルにしちゃうウインナー。
母が作るとギトッとカリッとしたウインナー。

たまーに、食べたくなるけどね。
みなさん、よい連休をお過ごし下さい!


あなたのからだは あなたのもの

2016-04-26 09:37:53 | Weblog



同じものをよいと思う、友人が、
すこし曇ったトウキョウの空の下で、朗読をしてくれた。
「占いのようなろうどく」らしい。


「あなたのからだは あなたのもの。」
このフレーズをほぼずっと繰り返す朗読。
少し高めだけど控えめな声が
耳元でつぶやく。

あなたのからだは あなたのもの。
あなたのからだは あなたのもの。
あなたのからだは あなたのもの。



受け入れられてる気がした。
涙が出そうになった。
そして、両足ですっくと立っている、今を感じた。

わたしはわたしでいい。

日々。

2016-04-09 22:19:29 | Weblog

日々を過ごしていくということ。
毎日が、最近もったいなくて仕方がない。

春の陽光がリビングに差し込む朝。
鳥の軽やかな声が響く様になった山々。
長い髪を揺らしながら20メートルほど先を駆ける娘。

日々とは、慈しんでいくもの。
日々とは、戻らないもの。

無限に広がる宇宙を思うと、自分の存在がチリのように感じるけれど、
だからこそ自由に、生きたいように生きればいいんだと思う。

日々。


ばあちゃん

2016-04-07 22:54:49 | Weblog


私の祖母は、4月5日で98歳になった。
どこまでもしゃべりずきで、よくわからない根性があって、父のことが大好きな人だ。

その祖母が昨年秋に転んで、大腿骨を折ってしまった。
それから転げ落ちる様に体力も気力も落ちてしまっている。
それでも兄が毎日お見舞いへ行くと、お土産に持って行ったどら焼きは美味しそうに食べていたらしい。

私はいつものように日々を過ごしていて、すっかり祖母の誕生日を忘れていた。
夜に兄から写真が送られてきて、
甥っ子が書いた祖母の絵と、その下でにこりともしないで目を閉じた祖母が写っていた。
人とはこんなにも弱っていくものなんだということを思い出した。
人とは死んでいくものだったと、はたと思い、果たして私は彼女に何をしてあげられただろうかと思った。

保育園の頃は祖母の三輪車の後ろの荷台にゆられて送り迎えをしてもらった。
漕ぎ出しが大変らしく、ハンドルを大きく左右にふって、ゆっくり前に進む祖母の背中を見ていた。
近所でも有名なほど元気な人で、私の結婚式ではアポなしで民謡をご披露し両家の度肝を抜いたりもした。

そんな人でも老いるのだ。
そんな人でも死にゆくのだ。

長くも短い人生をどう生きるか。
このシンプルな問いを老人や故郷はいつも与えてくれる。


初心。

2016-04-06 10:28:55 | Weblog

初心にかえる。
花粉症が落ち着いてきたので、マスクを外したら、春の甘やかなにおいに驚いた。
四月の風は何かの始まりをつげるように、希望に満ちている。
桜がまだらに咲く山々を縫って、吹いてきた風を頬に受けて。

初心とはなんだろう。
初めて社会人になった時、大学に入学したとき、高校に入学した時、
いろんな「はじめて」を思い出すと、いつも春風がついてくる。

はじめにかえること。
はじめにかえって、見えること。
はじめにかえらないと、見失っていること。

春は、立ち止まって、初心へもどすことのできる季節だ。






おっぱいのみたい

2016-04-01 14:18:35 | Weblog

娘はいつのまにか4歳になっていた。
ほんと、気づいたら私と同じような会話をし、おしゃれをしたがり、刺身も食べられるようになった。

そう、いつのまにか大きくなっていたのだ。
その娘が、自分が小さいころの話をお風呂に入っていた時に聞いてきた。
「そうだね、赤ちゃんのときはお母さんのおっぱいばっかり飲んでいたよ」
「ふう~ん。」
ということちらっとこちらの胸を見て、
「おっぱい美味しいの?飲んでみたい。」
と小さく言った。
「ええ!もうお姉ちゃんでしょ。それに、でないしね!」
慌てて言うと、娘もへへっと照れ笑いして、次の話題へ移った。

よく考えてみると、
ラストチャンスだったのではないだろうか。

娘が安心した顔をしておっぱいを飲んでいた毎日。
奇跡のような遠い日々。
その幸せを味わえる、もしかして最後のチャンスだったんじゃないだろうか。

はたと気づいて呆然とした。
この先、きっと彼女が私のおっぱいを飲むことはないし、
あの絶対的な幸福はもうないのだと。
この先、一生。