もんくうさぎのブログ

もんくばかりでごめんなさい

金色の観音様③

2014-09-30 09:47:47 | まち歩き

 本は「戦乱の海を渡った二つの観音様」森哲郎著、長岡進監修。

 本で、観音様交換の背景にあった、軍の宣撫工作について知りました。宣撫工作とは、当時、中国全土に広がる反日感情をおさえこむための日本軍が行った、一大「日本はいい国なんですよ」キャンペーン。

 それは歌だったり、紙芝居だったり、新聞、教育、医療だったりとか、とにかく親日感情を植えつけるためのいろんな活動だったのですが、その中に宗教(仏教)もあったのです。

 中国民衆の心をつかむには、両国共通宗教の仏教でやるのが手っ取り早いんじゃないのか。日本の仏像を中国に寄付するというのはどうだ。そこで、白羽の矢がたったのが、名古屋の瑞雲寺にあった十一面観音像。身の丈10メートルの東洋一と言われた仏像でした。

 ここからは、本からの抜粋です。

贈呈趣意書

 名古屋東山に奉安してある伊藤和四五郎翁発願の大観音像は、今般、中華民国に贈り、日華両国民の親善と善隣友好のもとにする。観世音菩薩の信仰は、日華両国民同じであり、全日本仏教徒の名においてこれを中華民国に贈り、両国戦没者の供養をし、願わくば日華両国はこれによって末長く親睦に、大菩薩の功徳をもって共に福利増進衆生救済を祈願するものなり。

 とまあこういうわけで、この立派な「大義名分」とともに、巨大な名古屋の観音様は戦乱の海を渡っていったのです。行き先は南京。当時、日本軍占領後は汪兆銘の傀儡政権があったとこだから、そりゃどうやっても「歓迎」されるわなあ・・・・・・

 で、その十一面観音像のお返しに、ということで南京から送られたのが、金色に輝くあの千手観音像だったのです。この観音様、南京市の古刹、毘る寺のご本尊。清代末期に作られた由緒ある仏像で、長い間人々の信仰の対象になっていたことから、日本へ贈ることに対し、寺の本尊を手放すなんて、という声もあったそうです。

つづく

 


金色の観音様②

2014-09-28 09:34:22 | まち歩き

 観音様の横には、説明書きがありました。

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 昭和16年といえば、日中戦争さなかです。そんなときに、仏像の交換?

 南京ですぐ思い浮かぶのは、南京大虐殺(昭和12年12月13日~17日)。日本軍は残虐非道の限りをつくし、中国全土では反日感情が吹き荒れ、個人的にはそんな情けのかけらもない時代のイメージしかありません。

 両国の犠牲者の冥福と両国親善、人類永遠の平和を祈念? こっちから戦争しかけておいて、何でそんなきれいごと言えるのか。 そんで何で中国はそれを怒ってドブに捨てる(失礼)どころか、こんな立派な観音様をお返しに送ってくれたのか。

 謎は深まるばかり。わからーん!

 ということで、しばらくの間、疑問の雪だるま状態だったのですが、数日後に、この本にめぐり合い、大方の疑問が解けました。

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 つづく


金色の観音様①

2014-09-27 10:07:19 | まち歩き

 うちの近くに平和公園というだだっぴろい公園があります。その一角に平和堂という一風変わった建物があります。先日のお彼岸の中日(秋分の日)その内部が公開されるというので、行ってきました。

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階段を上っていくと見えてきます。

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これです。外からはよく眺めていたのですが、中を見るには初めて。いったいどうなっとるんや? ということで、狭い階段を2階へ上がっていくと・・・・・・

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 そこには鈍い金色の光を放つ観音様が・・・。ひええ、ものすごい存在感。どう見てもただものではありません。この観音様はいったい何者?

  つづく


残念! スコットランド独立

2014-09-23 09:19:55 | 国際・政治

 スコットランド独立ならず。でも、161万7989人の人が、福祉優先の非核社会を望んでいた事実に、少し勇気が湧いてきました。経済よりも核のない世の中。それをただ夢見るのではなく、実際にこうやって具体的に行動をおこしている地域がある。今の世の中捨てたもんじゃありません。

 それにしても、独立なんて、こんな超重要なこと、住民投票で決めちゃうんですね。さすが、イギリス。今の日本じゃ想像できないです。

 日本の住民投票で真っ先に思い出されるのは、福島第一原発事故後起こった、原発是非を直接国民に問おうとする運動。東京や大阪で、原発住民投票の条例制定を目指し、大規模な署名活動が展開されました。集まった署名は、東京都では32万3千人、大阪市では5万5千人。ところが、知事も都議会も市長も市議会もあっさりとその民意をしりぞけた。そのとき橋本大阪市長が何て言ったか覚えてますか? 脱原発の自分が当選したことによって、民意はすでに示されている。だから、カネのかかる住民投票はしない。

 どうも日本じゃ「民意を集め当選する人間=住民投票に積極的な人間」とは言えないようです。直接住民に判断させるなんてとんでもないっ。間接民主主義が破壊される。日本で住民投票の動きが盛り上がるたびに、この類のせりふ、散々聞かされてきました。

 ルソー曰く、民主主義とは、様々な意見をまとめ、合意形成をしていく仕組み。そのためには、自分の利益のためでなく、民衆の利益のために社会を運営していく賢明な代表を選ばなければならない。(社会契約論)

 が、今の「民主主義」国家日本における政治は、何だかその、この前提が完璧に崩れてるような気がします。民衆の利益ってというよりは、今の政権、財界や官僚や原子力ムラの利益を優先してるような・・・。

 ルソーさんの理想的前提が成り立っていない場合、及び、ひとつの議案に対し議論つくしてもちーとも合意に至らない場合、1手段として、住民投票という直接民主主義の手法も残しておくべきなのでは、と思います。ストレートに住民の命や生活に関わるような、極めて重要な事案の場合は特にそれが言えます。ヨーロッパでは、最重要な政策に関しては、繰り返し住民投票が行われてきました。スコットランドやクリミアの独立、イタリアの原発再開を問う国民投票などが記憶に新しいところです。そこらへんは民主主義の発祥地、よくわかってるみたいですね。

 直接であれ、間接であれ民主主義は過程が重要です。得られる結果はひとつでも、そこに至るまで手間隙かけて、人々が納得することが大切なのではないでしょうか。だから、橋本市長のように、民意はすでに示されてるからと、「手間」のかかる住民投票しないのは、民主主義の真髄から外れていると言わざるをえません。

 日本人はまだまだ、橋本市長のような自分はだめだけど代わりに何かいいことやってくれそうな人を選んでしまうのかもしれませんね。おまかせ民主主義といわれる所以です。

 今回、日本の住民投票に対して投げかけられたせりふが聞こえてこないことからもその一端がうかがえます。比較論でとかく「伝統」が好きな方々、外国では可能だが、日本は独自の「伝統」あるから住民投票だめなんてさすがに言えなかったみたいですね。直接民主主義に批判的な物言いの今回のみごとに沈黙は、そのまま今の日本の民主主義の未熟さを表しています。まあでもいつか、日本も沖縄独立住民投票OKよ。どんどんやってー、と太っ腹の成熟した民主主義社会になること、望みます。


長けりゃいいってもんじゃない

2014-09-18 08:37:48 | ニュース

 25年という年月をかけて、膨大な税金を投入して、ひとりの人物に関する記録が出来上がった。「昭和天皇実録」。9日、宮内庁が公開したそれは、計1万2千ページ、本にすると61冊にも及ぶという。

 そんだけ膨大な量になりながらも、新たな発見、従来の定説を覆す新事実などほとんどなく、戦争責任に関する新事実なんて望むべくもない、らしい。まあ、宮内庁が編集したんだから当然と言えば当然なのだが。ちなみに「拝聴録」の所在は不明とか・・・。

 ある意味、従来の天皇像(平和を望みながらも軍部にひきずられていっちまった、傍若無人な軍に対しては力及ばないこと多々あったけど、ホントは日本人のことを誰よりも心配していたとってもいい人)を壮大に演繹してるこの「実録」。やっぱ昭和天皇・マッカーサー会見では、あのマッカーサーの回想記の中の記述を引用してる。宮内庁の方々はよっぽどあの表現が好きらしい。で、敗戦間近の皇族会議にしろ、日米開戦間近の御前会議にしろ、肝心なところは、巧妙にフォーカスがかかっているようだ。靖国参拝についてもそう。

 1975年を最後に昭和天皇は靖国参拝を行わなくなった。A級戦犯合祀の後だから、これがきっかけなのはわかるけど、いったいどういう根拠でもって何を理由に不参拝に至ったのか、うさぎにはさっぱり見えてこない。

 個人的には、靖国にはずっと抵抗を感じてきた。戦死者の霊を慰める目的で作られたこの「人為的」神社(明治2年)。戦死者を「祭神」として祀っている。国のため死んだら神になる。死を痛むより讃える姿勢が前面に出ている。つまり、国のために死ぬことはすばらしいという論理が根底にあるってことだ。とてもじゃないけど共感できない。

 それでも、この昭和天皇靖国参拝取りやめには、おそろしく違和感を感じる。なぜなら、「死ねば靖国の神になる」と信じ込まされて死んでいった人があまりにも多いから。もちろん外面はそのふりをして、「靖国なんてまっぴらごめん」と亡くなっていった人も大勢いるだろう。でもですよ、「天皇のため、国のため」という戦地への駆り出し方が間違いであったことも含めて、その中心的存在であった天皇は、その名目で彼らを戦地へ行かせ、結果死に至らしめた厳然たる事実に頭をたれ、贖罪する必要があったのではないだろうか。

 よって、「ごめんなさい。すいません。許してください。あ”ー面目ないっ!」と生涯かけて靖国で謝り続けてくれたら、少しはすっきりしたかもしれない。が、A級戦犯合祀を境にストップ。なぜだ? これじゃあ死んでいった人たちに申し訳たたない。彼らは納得いかない思いでいっぱいなんじゃないのか。

 で、ここからはあくまで推測なんだけど、昭和天皇は身辺で戦争責任問題蒸し返されるの、恐れていたのではないだろうか。A級戦犯を一緒に祀った神社に参拝したら、彼らを容認したと受け取られかねない。そんなの困る。あくまで彼らとは一線画したい。ならば・・・行くのやめよ。新憲法で政治的行為が禁止されている天皇。にもかかわらず、こんな理由で参拝を取りやめていたとしたら、もしも・・・、ですよ、そんな小さなお心をお持ちあそばされていたとしたら、A級戦犯以外の戦没者に対する壮大な裏切りである。

 となると、どうしても昭和天皇を天皇とした天皇制とは何か(ここでは日本国民にとってと限定する)を考えざるをえない。1万ページも読めないから、超要点だけかいつまんで考えると、やっぱキーポイントは戦争責任しかないでしょ。やり方はこうだ。次の2点に分けて考える。

 ①昭和天皇に戦争責任はない。→天皇に様々な「特権」を持たせたにもかかわらず、天皇はその「特権」を生かせず、軍の暴走を止められなかった。結果的に天皇制は広がる戦争被害を阻止する手段にならず、国民に多大な犠牲を強いた→日本国民にとって天皇制に存在意味はない②昭和天皇の戦争責任はある。→戦争で国民に多大な犠牲を強いた張本人である。天皇制がなかったらここまでの被害を国民は受けなかった。→日本国民にとって天皇制は苦難をもたらす原因となりかねない。

 すなわち、責任あろうとなかろうと、いずれの場合でも天皇制は日本人にとってメリットがないという結論になる。これは昭和天皇に限ってだが戦争への関与がどうだったか真相をはっきりさせないと、誰が天皇やっても同じ結論が導かれる恐れは消えない。福島第一原発事故原因と同じである。

  ドライに考えたら天皇制なんて無用の長物。しかも国体保持にこだわって敗戦を先延ばしにしたのは明らかなこと。加えて、憲法改正に際しても、昭和天皇は天皇や皇族の「特権」 を残せないかいろいろ口をはさんでいたらしい。この期に及んでともとれる厚かましさ(失礼)も何のその、それでも、日本にとって天皇制は欠くべからざるものという信念(?)持ってる人は多い。

 日本で天皇制が維持されているのは、たぶん次に述べるような内外の人の存在があるからなのだろう。外の人は、前述の人、アメリカ政府も含めて、日本人は天皇という君主をおかないと統制が取れなくなる、といった考え方をしている人。一方、内の人は利権保持者。すなわち皇族一族や宮内庁その周辺の人々。彼らは皇室利権をひたすら守る立場にある。皇室というのは日本の最大のブランドだ。品位を保つという名目でぽんと1億円以上のカネが動く(高円宮家次女の結婚に国が支払う一時金)。世の中でこれほどおいしい境遇はないことは、自分と自分の身内がもしそうだったらと考えたら、よく理解できるだろう。

 今、原発利権というのが問題になっている。でもさ、天下り利権や防衛利権、その立場を利用した理不尽なカネつぎ込み構造、日本にいっぱいあるんだよね。そんで、それを容認するためのキーワードがあって、利権屋によって巧みに使い分けられる。電力安定供給だったり安全保障だったり、時には品位だったり、ね。

 えらく長い内容になってしまった。これじゃあまるであの実録と同じ。そろそろ結論にしたい。現在の日本で天皇制が維持される理由、それは皇室利権と彼らに都合のいい「伝統」にのせられ安心している人々がいるからである。長けりゃいいってもんじゃない。実録も系図も伝統も。(終り)

     それでも更に付け加えたいこと

もんくうさぎはかすかに覚えている。昭和天皇が戦争責任について問われ、答えたあの言葉を。「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究してないので、よくわかりません・・・」子供ながらに「ずっるー!」と感じた。こういう言葉でごまかす人生だけは送りたくないと思った。日本国憲法によると、天皇は日本の象徴だそうだ。ならば、戦争責任をあいまいにするスタンスも日本人が模範とすべき姿なのか。情けない話である。