すべての山に登れ

日々のできごとと山の思い出

春風駘蕩の金剛山

2017-04-25 19:15:57 | 山登り
4月25日(火)
 
〈なんぼでも歩くことができると豪語していた男の「事の顛末」〉
 「山ではなんぼでも歩くことができる」というのが、私の唯一の自信のあるところであった。しかし、鬼井氏と平地の竹内街道を歩いて以来、臀部に違和感が生じ、それが左股関節の痛みとなり、長時間歩くのがしんどくなった。今では、歩き始めるとすぐに痛みが発生するという状態になってしまった。固くなった梨状筋が神経を圧迫している可能性が考えられるということで、PT(理学療法士)の指導でストレッチを行っているところである。
 痛みを我慢しながら歩いていたので、ブログも闘病記のようになりそうで遠のいていた。早く治そうと思っていたところ、14日に鬼井氏から竹内街道の続編のお誘いの電話があり、「実は」と延期してもらった次第である。そこで、この際、この間の行動を復元することにする。


3/24(金)
〈竹内街道を歩く〉
 鬼井氏と竹内街道の西の起点である堺市大小路で待ち合わせて、羽曳野市古市を目標に歩く。出発してほどなく開口神社に立ち寄る。神功皇后にゆかりのある所である。地図と道標を頼りにしながら、金岡神社へ。この神社は、日本画の始祖、巨勢金岡を祀っているところだと知る。複数のクスノキの大木があった。松原市内に入り、昼食。
 羽曳野市に入る。かつて太子信仰で賑わった野中寺で休憩。ここの鐘楼は大晦日に撞かせてくれる。ここでベンチに座り鬼井氏としばし健康談義。仁賢天皇陵に立ち寄り、日本武尊白鳥陵を横に見て歩く。墳墓は鬱蒼とした木々に隠れ、濠は豊かに水をたたえている。日本武尊の子どもが仲哀天皇。(仲哀陵は隣の藤井寺市にある)仲哀天皇の皇后が先述の神功皇后である。ほどなく古市に到着。時間がまだ早いので、駒ヶ谷まで歩くことになる。「次回はここから、最終の長尾神社へ。」と鬼井氏。東海道を間もなく踏破予定の鬼井氏は私以上に健脚であった。 

3/26(日)
〈春風の金剛山〉 
 起床時、「今日は暖かいな。」と言いながら準備。私たちの登山の格好は、半袖Tシャツのうえに長袖ジップシャツ。その上にジャケット。これが秋から春までのスタンダードの服装である。真冬だと厚めのジャケットになるけれども。この日は念仏坂を水場まで歩いたところで、汗ばんでジャケットを脱ぎ、ほどなく半袖になった。マスクで花粉症対策をしている私たちには、わずかに流れる春風が心地よい。
 頂上付近で、下山してくるMさんが大げさに体を揺すり、手を振ってくれる。「もう寒いのも終わりやな。」「そうですね。」と応じる。次いでSさんが2人の女性と下りてくる。このところ3人連れである。「3人お揃いですね。3人娘。」「いやあ、3人娘やて。」とみんな元気に笑う。
 下山は半袖では寒く、長袖を着る。

4/1(土)
〈目黒川花見ウォーク〉
 東京在住の大学時代の友人たちが主催する「観桜会」に参加。豊能在住の友人と新大阪で落ち合い、待ち合わせ場所の渋谷ハチ公前へ。総勢7人で東急田園都市線で池尻大橋まで移動し、目黒川沿いにJR五反田駅まで散策。目黒川の両側の桜並木は、自己主張し過ぎず小さく縮こまらず、中層のビル群に溶け込んでいて、美しい。地元の人たちの保存の努力が偲ばれる。桜は五分咲きというところ。ほとんどがソメイヨシノらしいが、一重の花びら一枚一枚はかなり大きく、色も淡紅色というより白色で、ソメイヨシノの特徴とちょっと違う気がした。
 夜は青物横丁の「いさりび」で宴会。ここはかつての品川宿である。近くの公園に山内容堂の墓がある。北品川には鯨塚もあるらしい。自ら鯨海酔侯と称した容堂には相応しい場所なのかもしれない。宴会のみ参加の1名を加えた8名で気分は大学時代にすぐ戻り、酔侯となって大いに盛り上がる。
  
4/2(日)
〈千鳥ヶ淵花見ウォーク〉
 1日の宴会を終えて、解散後豊能の友人と蒲田のビジネスホテルに宿泊。1泊6400円。食事なし。友人が言うには「そこは出張で使ったことはない。安いけど、楽天でとったから多分大丈夫だろう。」この時期で日曜日に空室、ちょっと心配だったが杞憂であった。
 蒲田と言えば、深作欣二の「蒲田行進曲」よりも山田洋次の「キネマの天地」が懐かしい。有森也実の演技が初々しく、バックに流れる蒲田行進曲の軽快なメロディーが今も脳裏に浮かび、あの頃身近にあった希望を感じさせる。。
 この日は、皇居に行き、天守台から千鳥ヶ淵へ。多くのボートが水上からの花見を楽しんでいる。華やいだ雰囲気である。足を伸ばして神田神保町の古本屋街を巡った。友人とは帰りの新幹線の車中も学生時代と同じようによくしゃべった。
 
4/8(土)
〈なかなか春にならない金剛山〉
 今日は先週と違って、とても寒い。樹木の根元に雪が残っている。この季節でも寒の戻りというのだろうか。文殊尾根を下山中、登ってくるTさんに会う。「今日は寒いですね。昨日は何度でした?」「昨日は来てへん。」そうそうTさんは2日に1回だった。「おとといは2度。雪が20センチほど積もっていた。アイゼン借りて登った。例年、4月に入っても1回は、雪が積もるなあ。」
 「アイゼン、どうやって返すんやろ。」と妻が心配する。「次に会ったときやろ。次はいつ、どこで会うかわかるんやろ。」Tさんは70後半。両手にポールをもって、懸命に登ってくる。「しんどいわ。ええなあ、もう下山で。」とよく言われるが、「2日に1回は来んと調子が悪い。」とも。真摯な方である。なお、この下山中に、左股関節にあった違和感が強い痛みに変わったのであった。

4/15(土)
〈花咲き鳥啼く金剛山〉
 股関節に負担がないように、念仏坂から文殊尾根コースで行くことにする。このコースは岩場がなく、腰に優しい。冬場は風が強く寒さが増すが、大阪平野がよく見えるので春から秋にかけては上り下りともによく利用される。
 念仏坂からコースに入ると、ミソサザイが鳴いている。聞きなしは、ピピスクスケスチルチルヒョロヒョロピリピリリリルリリルだそうだ。(「鳥630図鑑」日本鳥類保護連盟)支稜から文殊尾根に合流する辺りで、遠くからアーアオーアーアオーという鳴き声が聞こえる。アオバトである。この声の主がアオバトというのはNHKの「ダーウィンが来た!」で知った。また少し上ると、ツツドリのポポッポポッという鳴き声も聞こえる。繁殖のため留鳥や夏鳥が金剛山にやってきている。
 下山後駐車場をスタートすると、道路脇の桜が満開になっていた。

4/17(月)
〈応神陵一周〉
 股関節痛に配慮し、週末を除くほぼ毎朝続けていた早朝ウォークを休止する。その代わりに、古墳巡りをすることにした。この3月で定年退職をし、4月から勤務形態の変わった妻が同行。宮内庁書陵部事務所に車を停めて歩く。古墳の周囲を歩いていると、フェンスで外部と遮断された内堤をバイクで走っている人がいた。地図を見ると、1周できそうな細い道がある。妻が驚いて、あとで事務所を訪れて尋ねると、宮内庁の職員が巡回をしていたことがわかる。「私たちも申し込んだら、歩くことができますか。」と妻が大胆なことを聞く。若い職員は「それは無理です。」と真面目に答えてくれた。
  
4/18(火)
〈大塚古墳一周〉
 大塚古墳は宮内庁によって、大塚陵墓参考地として管理されているが、想定されている被葬者は雄略天皇陵である。墳丘規模は日本で5番目に大きい。恵我ノ荘の有料駐車場に車を停めて妻とともに出発。応神陵に比べ、壕のすぐそばを通ることができるところが多く、古代を身近に感じることができる。雄略天皇陵は藤井寺市にあるが、規模は小さく「倭王武」(「宋書」倭国伝)には相応しくない。大塚古墳が雄略天皇陵であるとする説が有力である。  

4/20(木)
〈允恭陵一周〉
 道明寺天満宮に車を置いて、歩き始める。今日は一人である。道明寺天満宮と道明寺の間の道をほぼ北上。近鉄線を越え、大和高田線に出ると、目の前に突然山が現れる。允恭天皇陵である。濠は空濠で一面に菜の花が咲いてる。墳墓には山桜が咲いている。春らしい光景である。
 允恭天皇の父は仁徳天皇、祖父は応神天皇である。そして、允恭天皇の子どもが雄略天皇である。允恭天皇は中国の史書「宋書」倭国伝に記された倭王「済」にしばしば比定される。この墳墓の被葬者が允恭天皇かどうかは諸説あるが、允恭天皇が実在の人物であることは間違いない。
  
4/22(土)
〈春風駘蕩の金剛山〉
 今日も文殊尾根を上る。ミソサザイ、アオバト、ツツドリの鳴き声を聞く。ウグイスの鳴き声もキツツキが木をつつく音も聞こえた。早朝から鳥たちも活躍している。
 頂上でMさんに会う。早朝の金剛山で私たちのようにマスクをしている人は、ほとんどいない。Mさんもそうだ。「花粉症はないんですか。」「私は野生やからな。ないよ。」林道近くまで下りていくと、女性のMさんに会う。「カタクリ見た?」「まだでしょう。」「もういい頃よ。私はまだ見ていないけど。」そう言えば、毎年4月下旬が見ごろである。もうどこかでちょっと首を傾けた可憐な花を咲かせているのだろうか。
 道路脇の桜は、半分ほどが葉桜になっている。千早赤阪村の農産物販売所で、妻は堀りたてのタケノコと春菊とタラノメを買う。春風駘蕩の季節になった。

4/23(日)
〈仲津姫陵一周〉
 早朝の金剛山登山は休み、妻とともに仲津姫皇后陵に行く。仲津姫は応神天皇の皇后である。道明寺天満宮に車を置いて、地図を片手に右周りに歩き始める。墳墓が住宅に隠れ見えにくかったが、しばらくして視界が開けた。前方後円墳が現れた。だが、それは古墳公園のようである。濠にあたるところは平面になっており、一面にクローバーが育っている。墳墓を上ると周辺の家々が見下ろされとても眺めがいい。ごみ一つなくそれも気持ちがいい。墳墓の頂上で体操をしている男性に聞くと、藤井寺市が管理している古室山古墳とわかる。藤井寺市だけでなく、きっと地元の人たちも尽力されているのだろう。男性は仲津姫陵とその回り方を教えてくれた。
 仲津姫陵は古室神社のところで右に曲がり、墳墓の横を見ながらほぼ一周して終了。


〈最後に〉
 初めてコメントをいただいた阿乱怒論氏にお礼と遅くなったお詫びを申し上げたい。鬼井氏にもいつもお気遣いいただき感謝申し上げたい。股関節痛は改善の兆候は見えず、まだしばらくお試しで歩いてみるような状態である。まあそのうち何とかなるだろう。