チェコ共和国の世界遺産
チェスキー・クルムロフ
チェスキー・クルムロフ
■2015年3月2日(月)
午前中、チェコ共和国の世界遺産プラハの歴史地区を訪れました。プラハ城や聖ヴィート教会などを観光し、カレル橋を渡って旧市外を散策しましたが、予想以上の美しい町並みに驚愕でした。特にカレル橋から望む景観は、どこかフィレンツェのアルノ川の眺めを彷彿とさせましたが、単純に美しさの観点からすれば、断然この地が勝る。あー負けたわ~フィレンツェ。上には上があるものですね。
プラハの様子は、又後日綴っていくことにして、この旅行で私が一番訪ねたかった場所、チェスキー・クルムロフの町並みをこの旅程最後の旅日記として、感動もまだ新鮮なうちに簡単にでも、記しておきたいと思います。
お城から庭園に通じる屋根付き通路プラーシュチョビー橋
実は、プラハ観光を終えてチェスキー・クルムロフに来る途中、雨が降り出しました。今回の旅行は、なかなかお天気に恵まれず、ずっと傘を持ち歩いていましたが、前述の通り、今日の午後も結構な雨脚になってきてため息をついていたのです。ところが、到着寸前に雨が止んで青空も見えはじめ、心底ほっとしたのでした。雨にたたられると、どんな景色も魅力は半減するし、何よりも傘を広げなければならないストレスに見舞われます。ほんとに雨が止んで良かった!
バスを降りて、上記写真の橋の下をくぐり、先ずは、チェスキー・クルムロフ城の中庭に入って行きましたが、いわゆる要塞の一部から見える旧市外の光景には息を飲みました。
要塞から望む旧市外
わっー綺麗っ
1992年、景観の美しさと歴史的価値の高さから、ユネスコの世界遺産に指定されたこの町の歴史はとても古くて、何と6000年も前にさかのぼります。又、お城の広場から住民の生活の跡が発見されたのだそうですが、こちらも驚くことに3500年前の住居跡だったとか。
正面に見える塔は、ネオゴシック様式の聖ビート教会
町を流れる優雅なブルタヴァ川
フィレンツェに、メディチ家、ドイツにハプスブルグ家という大財閥の貴族が存在したように、ここにも強大な貴族が居てこの地を統治していました。最初の記録は13世紀、ヴィーテク家が居を構えたのを皮切りに、ロジュンベルク家、エッゲンベルグ家、そしてシュワルツェンベルク家へと引き継がれていきますが、その間に、様々な改築が行われ、一時は衰退したものの、やがては復活して繁栄の一途をたどります。
町の中に建つ三つの塔
左から、城の主塔、旧聖ヨシュタ教会、聖ビート教会
この地域には、地震が少なく、川の氾濫はあったものの、大した工業や産業がなかったからでしょうか、19世紀以降は、町全体の景観は大きく変わることもなく、ただただこの中世の雰囲気と景観を維持してきました。これが、チェスキー・クロムロフが「眠れる森の美女」と称される所以(ゆえん)だろうと思います。
確かに来たぞー(^_^)vチェスキー・クルムロフ!
しかしながら、当初から貴族たちは、城内に庭園や畑をはじめ、ビール醸造所やバター、チーズ製造所などを作り、領地そのものは多岐にわたって繁栄していたようです。
知れば知るほど、魅力的な歴史が浮上して、町と言うよりもひとつの国家のような気がしてきます。とてもとても旅日記だけでは綴れそうにもなくて、ちょっと時間切れ。又帰国してのち、続きを記したいと思います。
町の散策途中にも、ニョッキと顔を出す城の主塔
小さな町にそぐわない、大きなお城の塔がやけに目立っていました
■余談
上記は町の案内版ですが、黄色の矢印、旧市外のど真ん中のホテルに宿泊しました。小さな館のようなホテルですが、内装はとても可愛くて、部屋の居心地もとてもいい。窓を開けると広場が見えて心も安らぐし、ホテル内の無料Wi-Fiも意外に快適でした。
ホテルの私のや部屋
恐らく、ツアーと言えどもオフシーズンの為に手配出来たのでしょうが、観光シーズンならとても予約は取れそうにない気がします。季節はずれのこの時期のメリットを、どの国に行っても享受しました。
さて、明日はいよいよ最終日。ホテルを出て再びドイツ、ミュンヘンへ向かいますが、バスで走る距離は300キロ。朝は5時起床予定です。着後、ミュンヘン観光をして、午後帰国の途に着きますが、最後まで強行軍の阪急トラピックス。さすがです!(^o^)