goo

■ 鬼怒川温泉 「元湯 星のや」 〔 Pick Up温泉 〕



鬼怒川温泉 「元湯 星のや」
※ 2010年後半に廃業、下記は営業時のデータ
住 所 :栃木県日光市藤原2 (旧 塩谷郡藤原町)
電 話 :0288-77-1013
時 間 :10:00~15:00(要事前確認) / 不定休
料 金 :800円(レポ入湯時は500円)
紹介ページ (@nifty温泉)
紹介ページ (栃木の温泉宿(求人ジャーナル社))

なんと、鬼怒川の名湯「星のや」が廃業してしまいました。
Web上で複数の廃業情報が流れていて、HPにアクセスすると”Forbidden”、TELしたら個人宅につながって「旅館は去年やめてしまいました。」とのこと。
「鬼怒川温泉の良心」ともいえるすばらしい湯づかいをしていたので、記録の意味でUPします。

鬼怒川温泉は元禄四年、村人によって発見され、日光神領内であったために、村人と日光奉行との所有権争いののち奉行側の所有となり、江戸時代には日光詣での大名や日光山の僧侶などの位の高い人しか入湯が許されていなかった格式の高いお湯でした。

かつて”滝の湯”と呼ばれたこのお湯は、「傷は川治、火傷は滝」と称されるように、火傷に特効があることで知られ、明治に入って庶民にも開放、昭和二年、東武線の開通に合わせて”鬼怒川温泉”と名を改めました。
以降、立地やアクセスのよさから、関東有数の大温泉地として急速な発展を遂げたのは周知のとおりですが、団体旅行や歓楽温泉のイメージがあまりに強くなりすぎ、グループ客や個人客が主流となった近年の風潮にアジャストできず、バブル期の過剰投資のツケにメーンバンクの足利銀行の破綻も重なって、構造的な課題が表面化している温泉地ともいわれます。
(筆者後註:現在、中国をはじめとする外国人観光客の受け入れに活路を見いだすうごきあり。)


【写真 上(左)】 玄関
【写真 下(右)】 内湯入口

大正十四年創業の老舗「元湯 星のや」は、温泉教授松田忠徳氏が著書「日本百名湯」のなかで絶讃された宿で、はっきりいって外観はかなりくたびれています。
でも、水上の「天野屋」や伊香保の「青山旅館」などもそうですが、有名温泉地ではあまり設備投資をしていないかな?的な佇まいのお宿(失礼 ^^;)にいいお湯が潜んでいることが多いので、期待できそう・・・。

ご主人は誠実そうな感じの方で、わざわざ浴室まで案内して下さいました。
驚いたのは、エレベーターまで案内され、行き先ボタンを押したご主人は乗らないので、あとは自分で浴場をさがすのかと思いきや、エレベーターの扉が開くとくだんのご主人が立っていて「どうぞ、こちらです!」と案内をつづけたこと。
おそらく、ご主人はダッシュで階段を駆け上がったのでしょう。
わたしも、たくさんの温泉旅館で日帰り入浴していますが、こういう気合いの入った(?)案内をされたのはここだけです。

男女別の内湯と混浴の露天岩風呂がありハダカ移動不可。もちろん両方入りました。


【写真 上(左)】 かわいい露天
【写真 下(右)】 露天からの眺め

露天岩風呂は、目の前に緑と鬼怒川の渓谷をのぞむ気持ちのなごむロケーション。
屋根付きの岩造りで、6-7人の熱湯ゾーンと3-4人の適温ゾーンが岩で仕切られお湯の行き来があります。


【写真 上(左)】 露天
【写真 下(右)】 露天の湯口

熱湯ゾーンに石膏らしき析出の出た2本の塩ビパイプ(熱いのとぬるいの)から投入し、適温ゾーンに流し込んでザンザコにオーバーフローしている様は壮観です。
カラン5のお湯カランも温泉だと思います。


【写真 上(左)】 男湯
【写真 下(右)】 女湯
 
鬼怒川の渓谷を見下ろす二面採光の味わいある内湯。
みかげ石枠タイル貼10人以上の大きめの浴槽は、湯抜き栓だけのシンプルなもの。
こちらも石膏系の白い析出が出た湯口ふたつからそれぞれ30L/minほどを投入で、全量を豪快にオーバーフローの完璧なかけ流し。


【写真 上(左)】 男湯の湯口
【写真 下(右)】 見事なかけ流し

自家源泉かけ流しということで、湯量は相当にありそうで、湯口そばにはコップもおいてありました。
カラン4、シャワー・シャンプー・ドライヤーあり。
週末14時でいずれも独占!。


【写真 上(左)】 男湯の湯口&湯色
【写真 下(右)】 露天の湯口&湯色

かなり熱めのお湯は無色透明で白とうす緑(露天岩風呂は茶色)の湯の花が綺麗に舞っています。
ほぼ無味でよわい石膏臭。
ヌルすべとキシキシの入りまじる湯ざわりで、熱湯ということもありますがとても温まり、浴後は爽快感が出てきます。
露天、内湯とも鮮度感は文句のつけようがありません。
ビシっとくる清澄な熱湯は、湯檜曽や奥利根鎌田、会津湯野上などに似たイメージかな・・。


【写真 上(左)】 露天の湯色-1
【写真 下(右)】 露天の湯色-2

温泉好きのあいだでは、なにかと揶揄されがちな鬼怒川温泉ですが、こんな贅沢な湯づかいをしている宿が残っているとは正直おどろき。
納得の一湯です。
わたしはこのほかにも鬼怒川のお湯にいくつか入っていますが、ここを越えるお湯はいまのところありません。
「仁王尊プラザ」が対抗馬か?、ただ、お湯の個性は「仁王尊」の方があるものの、お湯の格はこちらの方が上のような気がする。)


【写真 上(左)】 洗い場への流し出し(露天)
【写真 下(右)】 古い分析書

状況はきびしいものがあるとは思いますが、接客もよさそうだし、このすばらしいお湯とともに固定客をしっかりとつかんで続けていってほしいと思います。

----------------------
筆者後記:
またひとつお湯のいいお宿が廃業になってしまいました。
背景は、渋川温泉 「保科館」に書いたとおりだと思います。
いくら温泉好きが絶賛し声援を送っても、続々と廃業がつづきます。
こういう「古きよき昭和の温泉旅館」は、もはやその使命を終えたということなのか・・・。
なんだかよくわからなくなっている今日このごろ。

〔 源泉名:宝の湯 〕 
単純温泉* 50.2℃、pH=9.0、湧出量不明、成分総計=589mg/kg
Na^+=114.0mg/kg、Ca^2+=73.4、総鉄=0.014、F^-=2.9、Cl^-=91.7、SO_4^2-=235.1、CO_3^2-=9.6、陽イオン計=190.5、陰イオン計=344.2、メタほう酸=49.7、メタけい酸=4.6 <S62.2.24分析> 
*) アル単では・・・?

〔館内掲示より / 元湯温泉の由来 (原文のママ引用)〕
元湯名湯と言ひ伝えられて久しい
当温泉の起こりは 川釣り好きの初代星献吾老が 川の中から湧出する温泉を発見県に申請いたしましたのが始りです(古文書蔵)
当時ひの辺りにハ 住む人なく 石造蔵のみを建立し、その后七年経て大正十四年 初めて旅館として木造建て地上二階地下一階十五室が立ちました
玄関前の街道はその昔戊辰の役戦跡として多勢の武士そして農民が苦戦した会津西街道のなごりとどめる唯一の古戦場でございます
現在の会津西街道は附近の里人達が小原不動尊様、帝釈天様戊辰戦没者を祭る慰霊碑を大切に奉賛とを続けて居ります
これらハ今は亡き多くの古老の方々が語りついで守りつづけた歴史でございます
弊館ハ限りある大地の恵を大切にいたして温泉の湯量に合せて収容力を増さず 薬効力を弱める事なき様 日夜努力いたして居ります
以上 館主敬白

「当館では、浴場の温泉の循環を一切しておりません。」(浴場掲示)

○ 元レポは「みしゅらん掲示板 特集クチコミ情報」でもご紹介いただいています。

〔 2011/02/04内容補強のうえUP (2004/07/09レポ (2004/07入湯)) 〕


E139.43.31.056N36.50.2.830
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ■ 新座温泉 「... ■ 蔦木温泉 「... »