昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

2回目の有人島全島制覇へ向けて 第一回目の島旅 1回目 沖島

2017-03-08 04:30:00 | 18東海・滋賀県
これからはできるだけ、島に宿泊を前提に島旅を続けたいと思っています。
今回は、琵琶湖の沖島、香川県の志々島、讃岐広島へ出向いた時の投稿です。

沖島は、琵琶湖の東岸。近江八幡市宮ヶ浜の沖合2kmに浮かび、湖沼にある島の中では日本で唯一の有人島。保元・平治の乱に破れた近江源氏の落武者が住みついたといわれている。元亀3年(1572)織田信長が浅井長政の小谷城を攻めた時、沖島からも軍船を送って加勢したことから琵琶湖の一里四方を専用漁場として与えられ、漁業の島として栄えてきた。江戸時代からは石材(石英斑岩)の切り出しも盛んに行われた。今でも大半の住民が漁を営むが、近年は島外への勤労者も増え、若い後継者も減ってきている。夏は釣りなどの観光客も多く、民宿もあって湖魚料理が楽しめる。平成14年10月には光ケーブルが敷設され、対岸の市民病院との間で遠隔医療がなされるようになり、目下「沖島21世紀プラン」のもと市と住民が一体となって振興施策が進められている。

志々島は、詫間港の北西5.5Kmの海上にある標高100m余りの島。本村・宮ノ浦・横尾・北浦の4集落がある。山頂まで開墾され、良好な漁場にも恵まれて明治以降漁業も繁栄してきた。しかし高度経済成長に伴い次第に衰退し、200戸1,000人を数えた住民も昭和30年代から激減、今では50人足らずとなった。現在は花き栽培が営まれている。島名は十握剣を納めて神霊島、また京都の紫宸殿に似て紫宸島、また西行法師が行脚の途中でこの島を見て「獅々に似たる島」として獅々島とされたといわれている。

讃岐広島は、丸亀市の北12.5kmの海上にあり、塩飽諸島の中で最大の面積をもつ島。戦国時代の末期、長宗我部氏に敗れむた香川一族と長尾一族の落人が住みついたのが始まりとされ、本島と同じく人名の島でもあった。主要産業は採石業で、島の南西部で古くから花崗岩(青木石)が採掘されている。また、従来の沿岸漁業に加えて、近年フグなどの養殖漁業もなされるようになった。ヤシの木に囲まれた美しい海水浴場も完成し、夏期の休日は多くの海水浴客で賑わっている。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から

渡島した島の人口は、沖島 343人、志々島 24人、讃岐広島 281人
出典:(財)日本離島センター発行の「島々の日本」(2013.11.18)から、H25年住民基本台帳登録から
(写真撮影:2016.06)
コメント
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