COMPARTMENT

またの名を「みのりんnoバ~」
短歌がメイン、日記はサブ、誰がなんと言おうとです
by Akinaka Minori

♪思うほど体は熱くなるらしい膝を抱えてひやおろし飲む

2010年09月28日 | Weblog
季節はもう移り変わっていたのですね。馴染みの酒屋さんからボジョレーヌーボー予約のはがきが届きました。例年、ボジョレーは飲まないのですが、今年はなんだか飲んでみたい気持ちです。ただし、解禁日ではなくてゆっくりと。しかしそれより前に日本にはひやおろしという日本酒が出まわります。本来は暑さが落ち着いた秋の酒なのですが、年々出荷を早くする蔵もあって8月の下旬には出ているものもあります。今年のひやおろしの出来はどうなのでしょう。ちょっと確認の旅に出るとしてみますかね。

♪明らかな未練を見据え身じろぎもできないままに過ぎ行く夜更け

2010年09月27日 | Weblog
どうしてもあれこれと思ってしまう。秋の涼しさがそうさせるのか。息をするのもしんどい。もうどうにもならないものだと思い切ったのにもかかわらずどうしてこんな気持ちになってしまうのか。ふとしたときに首をもたげてくるのだ。仕事に打ち込もうにもなんとなくぼんやりしてしまう。忙しければいいのだが、それほど忙しくないので、なんだか時間をもてあましてしまう。余計なことを考えないように忙しく立ち回るようにしよう。ちゃっかり、仕事をしっかりしているという評判を手に入れてやる。

♪最後まで好きでいるとは欲深な私といえど思えなかった

2010年09月26日 | Weblog
昨日に引き続きおとなしくている。今日動いたのは友人ちにやっと本を返しにいったくらい。それも自転車ではなくバイクで。いつもと違う道でいってみようと信号が少ないであろうルートを地図で確認して出かけたというのにしっかりと道を間違えて予定の3倍弱も時間がかかった。まあ、知らない町を何となくの方向だけをたよりに運転するのも気分転換にはいい。その代わりに帰りはしっかりと道を覚えていたので、予定以上に早く帰ることができた。最短距離のルートではなかったが、今までで最短時間のルートを見つけた。やはり信号で捕まる回数を減らすだけでかなりの短縮になる。なんだかぐっと友人自体が身近になった気になるから不思議なものだ。

♪半袖で風切るときの肌寒さいったい何と戦っている

2010年09月25日 | Weblog
整体にいってきた。もう体中が悲鳴を上げている感じ。ストレスもあるのだろうが、体の動きが重いったらない。肩も腰も足も腕もピキピキいっている。ストレッチと休養が必要とのこと。なもんでこの土日はぐうたらです。活発さとは縁のない一人の週末。一瞬ものすごい寂しさに飲み込まれそうになったけれど、あれこれやってなんとか紛らわした。ダイエット中だしおいしいものを食べて発散するわけにもいかないし、どこかに出かけるにしても体がついてこないし、本を読もうにも集中力が続かない。ほんとにどうしようもなくなっている。

♪気軽さを手放すほどのしがらみを欲しいと言えばくれただろうか

2010年09月24日 | Weblog
疲れが溜まってきているのだろう。足がよくつるようになった。運動した後の整理体操をなめてはいけないらしい。腰や右足がかなりしんどくなっている。自転車通勤をはじめた頃の筋肉痛とはちがうしんどさが今私を包んでいる。運動でも何でも後始末が大事ということか。確かに後始末はうまくない。それにも関わらず公私ともに後始末をすることが多い。笑えないさよならばかりしてきたというのに。

♪影一つ残さないまま過ぎ去ったあの夏の日をなんと呼ぼうか

2010年09月23日 | Weblog
残暑がないままいきなり秋かいとつっこみたくもなる天気。早朝と言うか夜明け前の雷で一度目が覚めてしまった寝不足の今日。なんだか気分もいまいちでそれでもやっぱり仕事があるんだな。まあ、退屈せずにすんでいるから良いんだけれど。これで給料が3倍くらいになったらいうことないんだけど。まあ、世の中そんなに甘くないので、祝日だというのにがんばったわけです。夏の余韻に感傷的になる間もなくいきなり涼しくなって風邪を引かないように注意しましょう。やつはいきなりやってきます。

♪行き先の違う電車に乗り込んでしばらく気づかないような恋

2010年09月22日 | Weblog
はい、今日は電車を乗り間違えました。行きは何にも問題はなかったのですが、帰りに違う方向の電車に乗ってしまいました。自分では確信を持って乗り込んだので軽くショック。思いっきり自分の方向感覚を責めましたが後の祭り。ちゃんと案内版があるというのに、それを確認せずに自分の感覚だけでいっちゃいました。二駅も過ぎたところでやっと気が付きましたが、それでも終点まで気が付かないよりかはましだと言い聞かせて自分を慰めました。駄目だったらすぐに引き返してくればいい、そんな気持ちではじめた恋ではなかったんだけど。

♪来るはずの電話を待っているように心がずっと縛られてます

2010年09月21日 | Weblog
こない電話を待つのはバカですが、くる電話を待つのは当然です。しかし、電話を待つという行為はなかなかに切ないものです。なにせこちらからはかけられない状態ですからね。もしそうできるならとっととそうしてますから。つまり、自分の先のことが人に握られているということです。これは結構しんどい状況です。何か自分の努力で何とかなるというものではありませんから、ひたすら待つしかないわけです。それも何時にかかってくるという約束ならいいのですが、ただ向こうからかけるという状態というのは生殺し状態と言ってもいいでしょう。何かほかのことに没頭しきれない自分がいます。ずっと見えないひもで縛られているようです。

♪ささやかな思いが風に飛ばされてここまでおいで月がからかう

2010年09月20日 | Weblog
祝日だというのに仕事です。おまけに友人と楽しく遊び過ぎて朝帰りです。私はいったい何をしているのでしょうか。誰か教えて。まあ、昼からだったからまだ良かったのですが、なんだか帰りは疲れを通り越してハイテンションになっていました。自転車を漕ぐペースがいつもよりも速くてリズミカル。風を切ってグイグイと帰ってきました。そんな中、ふと彼のことを思い出しましたが、もうすぐ名月となる月にせせら笑われているようで。今日で丸4週間お酒を飲みにいってない。ダイエットにはいいけれど何か物足りない。けれど、その物足りなさにもなれてきたようだ。時折ぶり返すけど。

♪玄関を開けたら空がかき曇り雨が降り出す日曜をいく

2010年09月19日 | Weblog
昨夜はとっととふて寝をしてしまったので、今日はとっても体調がいい。昨日あれだけ飲みに行きたい衝動に溢れていたというのに、起きてみると嘘のように落ち着いている。これはどういうことだろう。私の情熱はその程度のものなのか。そんなことを思いながら友人ちにお出かけ。本を返しに行ったのだが、いつも借りているので私の持っている本で借りたいものがあったら持っていくよということになってその準備をしていた。で、友人ちについてバッグをあけてみたら返すはずの本がないのだ。やっちまった。貸す本だけ持ってきて、返す本を忘れるなんて、私はどこまで抜けているのだろう。そう出かける時に玄関を開けたら雨が降っていたのは、ちょっと家にもどれということだったのかと。後の祭りというのはこういうことをいうのです。

♪この町の浮かれ具合をはかりかね一人レールを外して歩く

2010年09月18日 | Weblog
無性にインスタント食品を食べたくなるときがあるように無性に飲みたくなるときってあるでしょ?それが今夜だったのさ。でも、行きつけのいくつかのバーは満席。そう、世間は3連休の初日。地元の飲食店はどこも人でいっぱいでした。だからといってどこかに出てまで飲もうとは思わなかったので、とっとと家でふて寝。どうしても飲みたい時に限ってこんな感じだなんて、神様が私の飲ませないようにしているに違いないと思うようにした。きっとダイエットに協力してくれてるんだって。くそ。

♪どこよりも仕分けをしたい場所として仕事をしない上司の頭

2010年09月17日 | Weblog
人に頼むよりも自分でやってしまったほうが早いと感じることがままある。それは人によって違うことだろうけれど、私は事務仕事をするときにそれをよく感じる。好きか嫌いかと言えばどちらでもないのだが苦にならずに得意なようだ。だからだろうか、誰かの事務仕事が遅いといらいらしてしまう。もっと効率よくちゃっちゃっとしてくれよ!って思ってしまうことが多い。そんな時に自分でやってしまえるのならとっととやってしまうのだが、担当が違ったり、役所だとそういうわけにはいかない。ガソリンスタンドのように、セルフでやってしまえることはたくさんあるはずだからそうなってくれるといいなと思う。特に愚図な上司がいる場合には。仕事が遅いというよりもしない。orz

♪うっすらと疲れて眠る毎日をたとえば君に抱かれたとして

2010年09月16日 | Weblog
その時はどうしても欲しい思うものが、喉もと過ぎれば熱さ忘れるのたとえどおりに、それほど欲しくなくなってしまうということがある。まあ、もちろんゆり戻しがたまにあるのはご愛嬌として。毎日毎日をほぼ規則正しくそれほどの娯楽があるわけでもなく過ごしていると、ついつい妄想を抱いてしまうこともある。それは口にはできない願いだったり、ああこうすればよかったかもしれないというものだったり。けれどそれを実際にやってみても良いと思うことはあまりない。瞬間だけなのだ、それに生活することを考えればどれだけ甘い妄想だろうと邪魔になることが多い。妄想することそのものではなくて、妄想の内容が。妄想でいいのだ。そう思い切るのと毎日を生きていくということの違いが実はよく分からなくなっている。