COMPARTMENT

またの名を「みのりんnoバ~」
短歌がメイン、日記はサブ、誰がなんと言おうとです
by Akinaka Minori

♪大勢の中の一人にするのならこちらですぐに切ってあげます

2010年07月31日 | Weblog
0か100かと言われても現実はそんなに簡単じゃない。70くらいあれば十分ということもざらにあるし、30でもありがたいということもある。しかし、多ければ多いほどいいという基準ではなくて、ある程度以上でなければ意味をなさないときもある。よくあるところでいえば、40点未満は赤点で落第というのであれば、38点、39点だろうと40点はないと意味がないのだ。どれだけあなたと仲良くなっても、必要とされないのであれば私にとってそんなものに意味はないのだ。あなたに必要とされない私に私は用がない。

♪会いたいと会いたくないを漂ってまるで月夜の砂の舟です

2010年07月30日 | Weblog
泥の船よりもさらに砂の船の方がシュールだと思うのです。みゆきの歌詞から言葉を借りましたが、なんて悲しくて明るい諦観なのだろうと感じます。漂っているうちに沈み込んでいくような気がします。もうどちらにも行けないし、行く気持ちもなくなっていくのだろうと。はじめからどこかに行くというのは間違いだったのかもしれません。どこかに行くつもりなら砂の船になど決して乗ってはいけなかったのです。たとえ小枝でも木の葉でも浮かぶものをつかんでいるだけの気持ちがないといけなかったのです。はじめから叶わないと分かっているものは遊びだけでよかったのです。

♪答えならとっくに出てる気づかない気づきたくない途方にくれる

2010年07月29日 | Weblog
好きな人のことは何でも知りたい。そしてそれはどうしたっていい方向には向かない。知ってしまったら知らなかった時には引き返せないからだ。知らないフリはできるし、知らないままの行動もできる。だけど、知ってしまった自分の心まではだませない。「必要な鈍さ」、ニーチェの言葉らしいが、まさに今の私には必要なものだろう。それとは気づかれないようなさりげなさで恋することができたらどれだけいいか。もっと強くなればいいのだろうか。しなやかになればいいのだろうか。どうすればいいのだろうか。

♪理由などホコリが窓についていた程度でいいの すぐに会いたい

2010年07月28日 | Weblog
うれしいことがあったりするとついつい連絡を取って話したくなる。そんな相手が友人だけであればどうということないけれど、恋愛が絡んでしまうととたんにいろんな色合いが出てきてしまって面倒くさい。この場合内容によってということではなくて伝えること自体が目的となってしまう。話を聞いてほしいのだ。どんなネタだってかまわないのだ、話ができるのが大事。ちょっとしたすきを狙って引き戻そうとする。私の中の裏切り者はなかなかしつこくてしたたかである。

♪今井美樹よりも山下久美子でしょあるいは薬師丸ひろ子かな

2010年07月27日 | Weblog
これを短歌といっていいのか。いいのだ。ちゃんと音数はあっている(それだけか?)。とりあえず、いろいろあるけどさっさと別れてさっぱりした方が勝ちってことか。勝ち負けじゃないかもしれないけれど、やっぱり勝ちだな。目指すはそこだ。少年ジャンプが好きなやつとはつきあってらんない。そんなのに限って少なくとも私とはろくな恋愛にならない。友情だ仲間だとカッコつけたところで、女や恋愛となるととたんにオレ様が世界の中心で@@@を叫ぶみたいなのになってしまう。それをかわいいとかなんとか思えればきっと幸せなんだろうけれど、ミジンコの小指ほどにも思わない。あんたなんかいらない!!これがきっと私のスローガンになるのだろう。

♪どうしても欲しいオモチャをあきらめる今年の夏は苦みがきつい

2010年07月26日 | Weblog
一番暑い時期の一番暑い時間帯にエアコン効かせて横になる幸せは何ものにもかえがたいかもしれない。なんだか働く気がしない。一生懸命働いている人には失礼だろうが、もうそんなことはどうでもいいような気がしている。そんなときなんだろうな。まだいくぶんでも動いているだけましだと自分に言い聞かせる。どうしても欲しいものはなんとか努力して手に入れてきた思い出はいくつかある。がんばれば何とかなるのを知るのは大切だけれど、何とかならないことも歴然としてあることを心底知るのも大切だ。あきらめることの功罪はいまだ計りかねている。

♪打ち上げる花火のような恋じゃなく中庭でする線香花火

2010年07月25日 | Weblog
今日は天神祭の本宮。学生時代にはブイブイ言わせていた祭りですが(笑)、今となってはすっかり大人しくなり、エアコン効いた部屋でボケーッとする毎年。花火を見る場所をとるために昼過ぎからいったこともあるけれど、あれは一生に一度でいいわ。経験したということが大事なものだ。花火を見ているのか人を見ているのか分からない場所でズンズンと響く打ち上げ花火の音はまるで若さ故の狂騒そのもの。それはそれでいいのだけれど、若い時にしか体験しない方がいいものもある。縁台に座って帰りを待ちながらスイカや麦茶の準備するっていうシチュエーションの方が今は魅力的。もちろん現実には、いくら待っても誰も来やしないんだけれど。

♪とうとつに無理矢理ちからづくで手をつないだけれど思い出にする

2010年07月24日 | Weblog
部屋の片づけをするように思い出も片付けることができます。ええもう年々。いいことだけを思い出にするのは後で結構しんどい思いをしてしまうという経験則から導き出した私のルールは後になって笑えることを思い出にしてしまうというもの。ちょっぴりこっぱずかしいことの方が一人でも笑えるネタになる。一人でいる時にいいことや辛いことを思い出すのは結構しんどい。けれど、笑えるネタなら思い出としてちょうどいい。おひとりさまの老後っていう言葉がシャレにならなくなってきた気がする。

♪ねぶりつく夜風に君の手のひらがそこかしこから思い出される

2010年07月23日 | Weblog
熱中症時代。僕の先生は~、フィーバー♪ではありません。訛りまくりの北野広大でもありません。家の中に公衆電話ボックスを思わせる電話スペースがある校長の家がインパクト大でした、ってわけでもありません。とにかく暑い。ということです。夜になっても30度近い気温。夜風の概念をぶっ飛ばしてくれるようなじとっとくる暑さ。ちなみに今のBGMは工藤静香の恋一夜です。なんてそれっぽい。むごん色っぽい。何なんだ。沸騰する鍋にふたをしても吹きこぼれるだけ。それならということで、とことんなめ尽くしてやろう。おそらく一番早い解決は回り道のようでも飽きるまでやりつくすこと。ただ、蛇よりもしつこいからな~、私は(笑)。

♪もういいと思う心の裏切りを見て見ぬ振りでカルピスを飲む

2010年07月22日 | Weblog
なんとか思いをきりたいと思ってあれこれと考える。けれど、最後の一線にはさみを入れるところまでは行き着かない。私に心の中には裏切り者がいるのだ。どうしても最後の最後で邪魔をする。そしてその邪魔者をうっとうしく思うものの最後にはそれを感受してしまう。裏切り者のせいで事が前に進まないというアリバイができるのでそれにのっかってしまうのだ。もっと強く出ればどうにかなるだろうけれど、自分で自分を傷つけることが分かりきっていてそれが恐くてたまらないのだ。先延ばしにしてどうにか日にち薬でなおってくれないだろうかと願わずにはいられないのだ。しばらく葛藤するのだろう。

♪会いたくて会えてしまえるさみしさを抱えて少し歩いてみよう

2010年07月21日 | Weblog
もういっそ会えないということならばあきらめもつけやすい。なくなってしまったお店のように出かけていってもそこになかったらどうしようもない。しかし、会おうと思えば簡単に会えてしまうのだ。学校や職場のように毎日会わなければいけないような状況ではないから、まだましなのかもしれない。いや、今ふっと思った。もしそんな状況ならば恋になっていないんじゃないかと。見えない部分がかなりあって、それを見たいという気持ちにさせる程度の合わなさだったと今にしては思う。毎日会っていたらけんかをしていたかもしれない。もっと嫌なところをさっさと見ていたかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。本当に今そう気が付いた。仕組まれた恋だったのか(笑)。

♪一つずつ嫌なところを探し出すまるで告白するかのように

2010年07月20日 | Weblog
夢に君が出てくる。いや、出してしまうのだろう。私に都合のいいようにふるまわせる。夢の中だから勝手にあり得ないようなことを言わせ、あり得ないようなことをさせる。それで何かが変わるというほどのものではないけれど、不思議と少しずつ未練を消化しているようだ。いわばいろいろな音や映像を材料として取り込み、CGのように作り上げていく感じ。いろんなバージョンを作って楽しむ。そうすると現実の方が色あせてくる。これはれっきとした現実逃避。けれど、現実的な距離感を取るにはいい方法だ。ドライブがかかっている思いはそう簡単にはおさまらない。下手に断ち切ろうとしてもうまくいかない、急がば回れだ。

♪気の抜けたコーラのような距離感がたぶん二人を眠らせている

2010年07月19日 | Weblog
いろいろあったからね~とちょっとしたため息まじりに話せたらきっともっと楽なのだろう。張りつめた風船が破裂するまでの緊張感と破裂した後の急降下感のギャップ。しかし、いつまでも興奮状態ではいられない。一度浮かび上がったら、ちゃんと着地しないといけない。重力から逃れられないのだから。失う予定だったものが予定どおりに失われただけで何もおかしなことはない。今しばらくは少しばかり睡眠時間を延ばすベクトルになっているだけ。少しずつ少しずつ、何でもなかったようになっていくのだろう。寂しいけれど、二人は笑う。二人は笑うけど、寂しい。多分どちらも嘘ではなく。

♪焼きもちは留まることを知らなくてたとえばキミの子どもをさらう

2010年07月18日 | Weblog
大事なものって何だろうか。なくしたくないもの、傷つけたくないもの、側に置いときたいもの、一緒に生きていきたいもの、なかったら生きていけないものと同じだろうか。どの言葉も当を得ている(的を得る/的を射るの面白くもない議論があるのであえてこっちを使う)ようで何かずれている気がする。ただ、定義として水平的にずれているというよりも、裏表というか逆のような気がしている。なくしたいもの、傷つけたいもの、側に置いときたくないもの、一緒に生きていたくないもの、なかったら生きていけるもの。平穏に生きていくには、大事(おおごと)なものはいらない。だから。

♪はじめからいない人だと思いこむせめて三日はそう思い込む

2010年07月17日 | Weblog
恋愛をしている二人。傷心か空虚、どちらを選ぶと言われたらどちらを選ぶだろうか。森瑶子は傷心を、ムッシュは空虚を選んだ。そして後にムッシュは言うのだ、二人とも望んだようになったじゃないかと。私はどちらも選べない。そしてそのことによって、どちらも手に入れてしまうことになるのだ。傷を負い、それが癒えるにしたがって空虚になっていく。ここぞという時に選べなかったものはどちらも味わうことになる。まるで、それ相応の罰でも受けるように。まるで依存症患者だ。