祝 ワールドカップ開幕
山口市にある、周布政之助(すふまさのすけ)の碑です。やたらデカイです
「周布公園」と名前が付いてるけど、碑のまわりにつつじといくばくかの樹木がある程度の、ちっちゃい公園。でもキレイにしてあるけどね。
碑は「明治に建った」と書いてあるものもあるけど、下のプレートには「昭和6年」って書いてある。よくわからん。
碑文を書いたのは毛利元昭公爵、下のプレート部分は枢密顧問官の江木千之(えきかずゆき)…って知らん、スマン。
周布政之助は、長州こまったチャンズ(高杉とか井上とか伊藤とか高杉とか高杉とかだ!)を『それぞれの仕事』が終わるまで、なんとか殺されないようにと、煽ったり・かばったり・焚きつけたり・やらかしたことの後始末をしたりしてるうちに、自分が死ぬ羽目になっちゃったんですが…
あとから考えてみれば、死ぬことはなかったんです。
元治元年(1864)9月26日、自刃。42歳。
そのわずか3ヶ月後には、高杉晋作が功山寺で挙兵し、大田絵堂の戦いを経て長州の政権は再び革新派が握り、藩論は統一されて、もう再び揺らぐことはなかったんですから。
あと3ヶ月生きていたら、新政権の大物ですぜ?
でも歴史って、そういうものなのだろうなあ…。
遺書には「道の近くに埋めてくれ。幕府が攻めてきたら、地下からにらんで止めてやる」と書いてあったらしい。
いいなあ、周布さん。
墓は山口・萩・長門・東京にあります。
山口のお墓は、碑と隣接する墓地にあります。
ただの「地区の共同墓地」です(ここの地区の人、なんかすごいうらやましい~!)。
墓地で目立つのは「吉富家」の文字。すぐ近くの大庄屋、吉富家とその傍系の墓地なんですね。
この吉冨家というのが、周布さんが軟禁されていて、その庭で自刃したという家です。
今も立派な大きな家が建ってます。
↑周布さんのお墓。
・・・ええええ・・・何もお供えがない。
近いうちにお酒と花持って行ってきます!特に酒!
しかし、そういいつつこのお墓、すごく好きだな。
(左奥に見えるのが、碑です)
お墓は「麻田公輔」という名前になっています。
文久2年(1862)に、土佐藩士の前で「おまえの殿さん、口だけ攘夷~」みたいなこと言ったのが容堂にばれて、容堂が長州に猛抗議、「周布を処断しろ」と申し入れた。
それに対して「酔った勢いで失礼したってんで、自分を恥じてもう切腹しちゃいましたよ~」と大嘘こいて、名前を麻田に変えさせました。
このあたりも長州だなあ。
有能な人材は、くだらんことで処断しない、という。これで吉田松陰先生も高杉晋作も命拾いしまくってますもんね。
昭和40年、碑のまわりを公園にして整備した時に、ここら一帯の町名が、
になりました。
周布政之助って、どこかマイナーですが、もっともっと日を当ててみたいすごい仕事をした人だし、キャラ的にもめっちゃ面白そうな人ですよ。
残ってる写真のうちの1枚も、片膝立てて酒ビン持ってて…ね
こないだ実物見に行ったもん~
・・・あああ・・・ギリシャだめじゃん…レーハーゲルぅぅぅ
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山口市にある、周布政之助(すふまさのすけ)の碑です。やたらデカイです
「周布公園」と名前が付いてるけど、碑のまわりにつつじといくばくかの樹木がある程度の、ちっちゃい公園。でもキレイにしてあるけどね。
碑は「明治に建った」と書いてあるものもあるけど、下のプレートには「昭和6年」って書いてある。よくわからん。
碑文を書いたのは毛利元昭公爵、下のプレート部分は枢密顧問官の江木千之(えきかずゆき)…って知らん、スマン。
周布政之助は、長州こまったチャンズ(高杉とか井上とか伊藤とか高杉とか高杉とかだ!)を『それぞれの仕事』が終わるまで、なんとか殺されないようにと、煽ったり・かばったり・焚きつけたり・やらかしたことの後始末をしたりしてるうちに、自分が死ぬ羽目になっちゃったんですが…
あとから考えてみれば、死ぬことはなかったんです。
元治元年(1864)9月26日、自刃。42歳。
そのわずか3ヶ月後には、高杉晋作が功山寺で挙兵し、大田絵堂の戦いを経て長州の政権は再び革新派が握り、藩論は統一されて、もう再び揺らぐことはなかったんですから。
あと3ヶ月生きていたら、新政権の大物ですぜ?
でも歴史って、そういうものなのだろうなあ…。
遺書には「道の近くに埋めてくれ。幕府が攻めてきたら、地下からにらんで止めてやる」と書いてあったらしい。
いいなあ、周布さん。
墓は山口・萩・長門・東京にあります。
山口のお墓は、碑と隣接する墓地にあります。
ただの「地区の共同墓地」です(ここの地区の人、なんかすごいうらやましい~!)。
墓地で目立つのは「吉富家」の文字。すぐ近くの大庄屋、吉富家とその傍系の墓地なんですね。
この吉冨家というのが、周布さんが軟禁されていて、その庭で自刃したという家です。
今も立派な大きな家が建ってます。
↑周布さんのお墓。
・・・ええええ・・・何もお供えがない。
近いうちにお酒と花持って行ってきます!特に酒!
しかし、そういいつつこのお墓、すごく好きだな。
(左奥に見えるのが、碑です)
お墓は「麻田公輔」という名前になっています。
文久2年(1862)に、土佐藩士の前で「おまえの殿さん、口だけ攘夷~」みたいなこと言ったのが容堂にばれて、容堂が長州に猛抗議、「周布を処断しろ」と申し入れた。
それに対して「酔った勢いで失礼したってんで、自分を恥じてもう切腹しちゃいましたよ~」と大嘘こいて、名前を麻田に変えさせました。
このあたりも長州だなあ。
有能な人材は、くだらんことで処断しない、という。これで吉田松陰先生も高杉晋作も命拾いしまくってますもんね。
昭和40年、碑のまわりを公園にして整備した時に、ここら一帯の町名が、
になりました。
周布政之助って、どこかマイナーですが、もっともっと日を当ててみたいすごい仕事をした人だし、キャラ的にもめっちゃ面白そうな人ですよ。
残ってる写真のうちの1枚も、片膝立てて酒ビン持ってて…ね
こないだ実物見に行ったもん~
・・・あああ・・・ギリシャだめじゃん…レーハーゲルぅぅぅ
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42歳のわりには頭が・・・・・・・・
ちょっとキューピーぽいよね(笑)
(高杉さんが)すごくお世話になりました。
深々m(__)m
周布政之助の「周布」とは玖珂地方の周東を云います。従って、嚴島神社棚守が本家で、党首は「神祇官、朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫」であります。その関係で、常に嚴島に訪れています。その日常生活が周布政之助で有りました。嚴島で使用していた羽織が遺されて居ます。