長州に棲む日日

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日記@BlogRanking

高杉晋作夜襲の場所&俗論党の墓

2012年03月31日 | ★幕末維新の長州
何回も書いてるけど、大田絵堂の戦いが妙に好きなんですよねー。
「大田絵堂の戦い」というのは、長州の「内戦」。
知らない人も多いでしょうし、「長州ファン」でも、その関連史跡に行くことはあまりないと思います。

まあ、はしょって言えば
「幕府に恭順する萩政府軍(俗論党)と、倒幕派(正義派諸隊)の内戦で、諸隊が勝って、長州の藩論が倒幕に統一された」
というモノです。

詳しくは、以前めっちゃダラダラ記事にしてます↓

その壱
その弐
その参
その四
その五
その六
結 び


本日、そこらへんのウォーキングがあったので行ってきました。
まさかの、こんな↓旗立ててwwwww



ま、この催しで行ったのは、ほとんどこれまでに行ったことがあるところで、ただ、山中の旧街道を少し歩けたのが良かった。
またそのうち、記事にします。



で。これから書くのは催しのあと、単独で行ったところです。


数度の戦闘に負け続けた萩軍。
元治2年(慶応元年、1865年)1月16日。
すでに戦闘意欲を失いつつ屯集していたのが、絵堂集落より萩よりの赤集落(当時「赤村」、今は「赤郷」という)にある、正岸寺でした。



向こうの赤い屋根です。
ここらへんはちょっと平地になっているので、昼間に仕掛けるのはマズイ。
高杉晋作は夜襲を選びました。
詳しくは(あんまり詳しくないけど)、上のリンクの「その六」にあります。



本堂正面。


高杉率いる遊撃隊他は、大砲も使って攻撃し、この戦闘を最後に萩軍は萩へ逃げ帰り「大田絵堂の戦い」は終結しました。

この戦闘で出た、萩軍側の戦死者のお墓が、このお寺に残っています。

大田絵堂の戦いでは、萩軍の戦死者の墓はほとんどが萩の、それぞれの菩提寺にあります。
でもなぜか3人だけ、戦死した場所に近いところにあるんですよねー。

で、諸隊の戦士者は、大正時代に国によって正式に集めて祀られています。
(これは「招魂墓」なので、各菩提寺にも墓がありますが)
「敗者」となった萩軍の戦死者は、国が建てた墓に入れられることはありませんでした。



荻野隊 堀越松三郎

調べてみたら、萩の武士が多い萩軍の中で、この人は珍しく「伊佐(地名)の農」となってる。
どんな経緯で荻野隊に所属し、故郷ではなく戦死した地に葬られたんでしょうね…。

最近建てられた石舞台付きの大きなお墓の陰に、自然石の素朴なお墓がひっそりとありました。


・・っていうか、ひっそりすぎてわからず、えらい探したわ。
だって、こんなん↓ですよー。



緑の看板がなかったら見つからなかったよ…。


ほかの2名のお墓も行ってきました。
これがまたすっごいいい感じだったー。
また別記事にて。


※「菩提寺にも墓があります」と書いていますが、これは明治あたりに作られた「長藩殉難者名簿」の情報です。
 現在もあるかどうかはわかりません。無縁になって撤去されたりなどの可能性も大いにあり…。




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宮古湾海戦。これだけは言い広めたいっ!

2012年03月25日 | ★松岡磐吉・旧幕海軍・箱館等
今日3月25日は宮古湾海戦の日。(ホントは旧暦だからずれてるんだけど)
回天艦長、甲賀源吾の命日でもあります。

しっかしだな、何回か言ってるんですが、これ知ってください

蟠龍松岡磐吉艦長)は行方不明になったんじゃないっつーの!!!!

もうっ、殆どの本やサイトで「嵐ではぐれ行方不明」って書いてあるーーー。
違うのにいいいいいい!!!日本海軍史をがっつりまとめた全集「海軍」ですら
「三艦は離ればなれとなり、蟠龍は洋上をただよって行方不明」
って書いてる。ぶー(・ε・)


あのねー、離ればなれになったら、鮫浦港で待ち合わせるって約束だったんですよ。
きちっと鮫浦に入港して待ってた蟠龍が約束通りなんであって、そうせずに行った回天(甲賀源吾艦長)と高雄(古川節蔵艦長)の方が、むしろ「行方不明」なんだーーーい!


しかもその後も、どれ読んでも「蟠龍は、戦闘が終わった頃になって現れて、何事もなかったように箱館に帰った」みたいな書かれ方〜。

これも違うんだ。
かの甲鉄(ストーンウォール)に追撃され、アームストロング砲の射程に入ってしまうという危機一髪。

↓こちらごらんください↓
「宮古湾海戦異聞〜もう一つのアボルダージュ」

くーっ、松岡かっこいい・・・・・・・・・  ←結局そこ。




おまけ

1年前のお遊びw (苦手な方は超スルーお願いします)

「宮古湾海戦ごっこ前編」
「宮古湾海戦ごっこ後編」




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高杉晋作立志像にも梅の花

2012年03月19日 | ★幕末維新の長州
16日(金)に仕事で萩に行ったので、ついでとばかりに散策してきました。
(仕事中じゃないよww 仕事は2時からだったんだけど、10時半頃行ったのだ)

今年は寒さが続いて梅の開花が遅かったんですが、菊屋横町の晋作広場でもやっと咲いていました。



うむ、ナイスアングル

っていうか、ちっこい梅の木なんだよねー。しかもたった2本…
晋作広場なんだから、梅でいっぱいにしてほしかったり。
名前を残せる記念植樹なんか募ったら、全国からけっこうたくさん応募がありそうな気がするんだけど、いかがです?萩市さん。



今、萩博物館では、吉田稔麿展示の第3期(最終)もやってるので、これも見てきた。
結局全3期、コンプしてしまったw
しかも2期なんか2回行った気がw

今回、栄太(稔麿)のいとこの子供が8歳の時の写真ってのが出てまして、顔も性格もそっくりと言われてたそうな。
どっからみてもクソガk …活発そうなぼっちゃまでした。
栄太、あんな感じだったのかと思うと、なんか身近に感じてニヤニヤしてしまったww
この人、なんと平成4年没なんだそうです。
ってことは、平成の世に「私の父は、池田屋事件で死んだ吉田稔麿のいとこなんですよ」って人がいたってことで。
なんか、びっくりだ


それから、高杉家から期限付きで借りている雛人形も特別展示されてました。
「大きな内裏雛一対だけを床に飾る」という、古いタイプのものです。
道具には、毛利家の裏紋である沢瀉(おもだか。水生植物)紋が入ってて、どう考えても殿からの拝領の品。
さすがに高杉家ですなあ。


で、昼どきになったので、萩博物館レストランでランチ。
ここは、だいたい何食べても安くて美味しいのだ。
あんまり魚が好きじゃない私ですが、ふと気がむいて、魚フライ定食にしたら、
死 ぬ ほ ど う ま か っ た ん で す け ど !!!!!

もーーー、なにあの魚の美味しさ。卑怯じゃろ。
アジ、エビ、金太郎のフライ、さつまいものかき揚げ、ひじき煮、味噌汁、御飯 で650円。
ヤバイ美味しさだった。
人生で一番美味しい魚フライだったああああーーーッ!

栄太晋作が魚フライでふっとんだじゃないかwww


もうちょっとしたら、萩美術館で芳年展もある(しかも2期に分けて展示がえ)んで、やたら山越えしそうな予感です。
(うちから萩美・萩博は、山を越えて50分です)

 ↑追記:芳年展あるって聞いたのに、公式サイトに載ってなかった…。
  ガセかもしれぬので、とりあえず消しときます。




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新しい長州イベントガイド

2012年03月12日 | ★幕末維新の長州
ウオーキングついでに、近くの観光インフォに寄ってみたら、新しいイベントガイドが出てました。





おお、また色々あるなあ。
実はこの前の「大田絵堂ウォーク」は、内容を確認したら、わたし的にはパスだったんで参加しなかったんですが、今回はこれで見る限り、維新と関係ない長登銅山をはずして、赤間関街道が入ってる。
この街道は、大田絵堂の開戦のとき、行軍してきた道です。
おお、これは行ってみたい。


維新150年祭に向けての「ディスカバー長州博」の第2弾公式ガイドも出てました。




縁あって長州に暮らす幕末好きとして(幕府海軍に入れ込んでるけどww)、なんか関わりたいなあとは思うんですよね。
参加だけじゃなくて。
なんか出来ることあるかなあ。



ついでだが、こんなポスターも貼ってありました。



これは国宝、瑠璃光寺五重塔。
司馬遼太郎が「街道をゆく 長州路」で「長州はいい塔をもっている、と惚れ惚れする思いで・・・」とか書いてるヤツです。
ほんとに美人な塔です。
バランスが完璧〜。

で、ポスターをアップでよく見ると、



うははwww
スカイツリーと張り合ってました。


んなわけで、おいでませ山口。





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戒名に諱あり

2012年03月10日 | ★その他歴史がらみ
「昔の人って、名前が2つあるよね」。
そう、呼び名(字‐あざな‐)と、本名(諱‐いみな‐)があります。
榎本釜次郎(←字)武揚(←諱)的な。

呼び名は複数あったり、ころころ変えてもOK。
諱は基本的には変わらない。
例外はあるけど、諱は本来生前には使わないし、呼んではいけない。


武士には諱がある、でも武士以外でも持ってる人いるよね。
基準をよく知らんなー。すんません。

上級武士は生まれた時に諱を命名されますが、下級武士は、生まれた時には付けないんだそうです。
(一坂太郎さんの講演「吉田栄太郎と明治維新」の時聞きました)

で、武士しか持たないってわけでもないって例としては、百姓身分だった土方歳三の「義豊」(兄弟全員「義」が付く)とか、商人白石正一郎の「資風」とかありますよね。


この「諱」は、しばしば戒名の中に取り込まれています。

先の土方歳三の戒名は
「歳進院殿誠山義豊大居士」。
「義豊」の他に、「歳三」の「歳」の字、新選組にちなんだと思われる「誠」の字も入っています。

ついでに長兄の石翠さん(これは号。字は為二郎)は
「閑山院石翠義盛居士」。
盲人であったため、若くして隠居状態になり、趣味に生きた人らしいゆったりした戒名ですよねー。



で、ふと思った。

自分のご先祖で、諱を知ってる人は一人もいないと思ってたけど、戒名を見たらわかるかもしれない、と。

ありましたよーーー。

○○忠三道行 (明治35年没)
○○孫二郎與信 (天保15年没)
○○孫七信秀 (明治6年没)
○○助右衛門光朗 (文久3年没)

おそらくこれが諱なんだろうなー。
ちょっとワクワクしました。


維新後「名乗りはひとつに」と定められた時、字や他の呼び名を選んだ人もいれば諱を選んだ人もいました。

呼び名を選んだ例
 品川弥二郎日孜

諱を選んだ例
 伊藤俊輔博文

現代では初めから名前はひとつだけど、男性の名を見てると、通称風な人と諱風の人がいますね。

 

松岡磐吉の諱、知りたい〜。
以前、夢のお告げで(笑)、「順風(よりかぜ)」だったんですが、んなモン合ってるわけないてw
戒名がわかったら、もしかしたら入ってるかもしれません。




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戒名に人生あり

2012年03月04日 | ★松岡磐吉・旧幕海軍・箱館等
あっと思った戒名に出会いました。

戒名(宗派により、法号、法名)は、死んで仏になってつけられる名前(らしい)。
生前の仕事や人となりをあらわす文字が入っていることが多いです。

あっと思ったのは、小野友五郎の戒名です。

「観月院殿塩翁広胖居士」

小野友五郎は数学の天才と言われた幕臣で、長崎海軍伝習所出身。
専門は測量です。
いわゆる「測量」もするし、船に乗れば航海士でもあります。

そう、当時の海軍での「測量方」とは、今で言う「航海士」なのです。
常に船の位置を正確に確認し、潮流や気象の変化を把握して、船を安全に効率よく目的地に着ける役割です。

当時はGPSなどもないので、天体を見て船の位置を割り出していました。
その中で、当時最高の技術だったのが「月距法(Lunar distance)」というもので、月と恒星の距離を測ってナントカカントカ。
何やら計算がめっちゃややこしかったらしい。3時間くらいかかったとか。
これを小野は使いこなして、アメリカ海軍人を驚かせています。

戒名の「観月」とは、あきらかにそれを盛り込んだもので、いい名前だな〜と感動しちゃいました。


小野は鳥羽伏見のあと、突如伝馬町に投獄され(勝海舟による個人的意趣返しともいう)、幸か不幸かその後の戊辰戦争に関わることがありませんでした。

明治後は軍に関与しない仕事を続け、中でも製塩技術に力を注ぎました。
戒名の続きに「塩」の字があるのは、それを指しています。
そのあとの「広胖」は小野の諱(いみな)です。

「敗者」の側の人間ゆえにか、最新の技術をもって大きく世に出ることのなかった小野
でもこの「観月」の文字に、若き日の(伝習書の頃既にあんまり若くはなかったんだけどw)誇りや夢があらわれているようで、いい戒名だなーと、ちょい泣きそうになりました。



おまけ。
やっぱり出すよの松岡磐吉w

咸臨丸渡米時
 小野・・測量方筆頭(航海長)
 松岡・・測量方(航海士)

江戸湾富津暗礁測量(海図作成・岩盤調査)時
 小野・・責任者
 松岡・・補助

小笠原諸島探検回収時
 小野・・父島担当
 松岡・・母島担当

とかやってんですよねー。同僚すぎるw


ついでにこの富津測量の時は、甲賀源吾、荒井郁之助、澤えい太郎(えいは金偏に英。のち太郎左衛門)も手伝ってます。
小野・松岡・澤はこの時、築地の軍艦操練所の教授方ですが、甲賀荒井はどうだっけ?
生徒かもしれん。

海軍の人材はかなり限られてた時代なので、なんかやるたびに誰かとつながってますw

今ここに出たメンバーは明治元年夏、投獄・謹慎となっていた小野以外、全員が榎本艦隊で蝦夷に脱走。

松岡・・蟠龍艦長、投降後獄死
甲賀・・回天艦長として宮古湾で戦死
荒井・・海軍奉行、投降後投獄、赦免後初代気象台所長他
・・開陽艦長、開拓奉行、投降後投獄、赦免後海軍兵学寮(校)勤務


・・・どんどん余談が長くなるので打ち切り〜。

結論は、「戒名に人生あり」ってことか。じーーん。




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