「憂鬱な朝」日高ショーコ先生

日高ショーコ作 「憂鬱な朝」に惑溺して抜け出せなくなったblog。

その45 言葉の変化 -「憂鬱な朝」 日高ショーコ先生

2017-03-28 00:58:30 | 憂鬱な朝
ご来訪いただきありがとうございます。

今回は、ふたりの言葉使いの変化について。

以下、ネタバレ含みます。(既刊7巻まで)

以降、よろしくお付き合いください。

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暁人様は、現在、智之のことを「お前」もしくは「桂木」と呼んでいます。
智之は、「暁人様」。機嫌が悪いと「旦那様」です。

いつか、”二人で肩を並べて歩く”ことができるようになった時、お互いどう呼びあうのか。

暁人様は、自ら「呼び捨てにしてほしい」とお願いしそうです。
智之は「暁人」とは呼べないと抵抗しそうですが。

「智之」「暁人」。
字面から、若干違和感がありますね。
いつかこのハードルを飛び越える日が来るのかどうか。

智之は通常、丁寧語や敬語を使っています。
SSの同級生設定みたいな感じで、暁人様にタメ口がきけるのか。

あの頑固な智之がそうそう口調を変えるとは思えませんが、案外やってみたら良い感じになるかも。
ついでに、二人の痴話喧嘩も見てみたいですね。(こぶしで会話するタイプの喧嘩じゃなく)
二人ともちょっと子供っぽいところがあるので、きっと可愛い遣り取りが見られそうです。

その44 留学 -「憂鬱な朝」 日高ショーコ先生

2017-03-28 00:46:14 | 憂鬱な朝
ご来訪いただきありがとうございます。

今回は、作中頻出する「留学」について。

以下、ネタバレ含みます。(既刊7巻まで)

以降、よろしくお付き合いください。

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暁人様は、嘉世子様より借財をし、私費留学します。

私費留学には多大な費用がかかりますが、官費留学も政府から莫大な費用が給付されていました。
明治6年、財政難により一旦官費留学制度が全廃になったほどです。
例えば、教科書ひとつとっても非常に高額でした。

この時代の著名な留学生といえば、夏目漱石です。
1900年に英国へ官費留学をしています。
前記事に出てきた、石崎家のモデルとされている三菱財閥岩崎家の四代目、小彌太も同時期にケンブリッジに留学をしています。

ーーー実は、夏目漱石もここに入りたいと思い、同じ頃ケンブリッジを訪ね、小彌太の親友の一人に面会した。
当時、日本から英国に子弟を留学させることができたのは、ごく一部の資産家に限られていた。(三菱グループHPより抜粋)

漱石は、年額1800円の官費では到底お金が足りないことを悟り、入学を諦めることになります。
岩崎小彌太は、政治家を目指し、私費でイギリスに留学していたわけですが、留学先での岩崎小彌太はディナーだのなんだのの交際費で、とんでもない額を費やしたそうです。

暁直様の場合は、さすがにそこまで…とは思いますが、あれほど洗練された紳士になるには、暁直様も結構な額を費やしていたのではと思います。
(もちろん資金捻出は桂木祖父が担っていたでしょう)

暁人様の場合は、10人分の留学費が入用になるわけですから、考えるまでもなく、莫大な資金が必要になります。
いったい、嘉世子様からいくら借金をしたのやら。

ーーー彼らは、ただ箔をつけるために聴講生として大学に籍をおくだけの者と、本格的に勉強する学生とに分かれていた。小彌太は(現在の)東京大学法学部を中退し、ケンブリッジの入学試験に挑戦した。英語はもちろん、ラテン語や古典まで勉強し、本科学生として入ろうと、受験準備に2年を費やした。(三菱グループHPより)

暁人様は、学院高等科で首席の位置を保ち続けていました。
しかし、ケンブリッジのような一流大学の本科入学ともなれば、前述の小彌太のように、並大抵の勉強では追いつかなかったはず。
智之が勉学に厳しかったのも、こう考えれば納得がいきます。
ドイツ語の原書など読まされていたようですし、留学のために前々から準備してしたのですね。
暁人様も認められたいという一心から、よくぞここまで頑張ったものだなと思います。
もちろん、智之も同じように、幼少期から猛烈に勉強してきていたわけですから、智之もすごいです。

さて、暁人様と書生たちは、英国で何を学んでくるのでしょうか。
政治学?経済学?先進技術の取得?人材育成のための教育学?
それとも語学…でマニュアルを読んだり、交易をしたりするのかな。
彼らがどんな風に成長して帰ってくるか、結果が大変楽しみです。