後半はエジプト革命について語った。
1月25日「警察の日」前夜、予兆をまったく感じることのないまま、
当日はボスから自宅待機を命じられる。
この日からすでにツイッターが開けない状態。
そして翌日、いつもどおり会社へ出勤。やっと開いたPCで情報を得て、初めて事の重大さを知る。
(国民民主党事務所)
29年に及ぶムバラク独裁体制、汚職、賄賂を強要する警察の腐敗した体質、
留まることを知らない物価の高騰、相変わらずの低賃金、失業、若者の就業率の低下などに
ハリード・ザイード事件が発端となり、国民の不満が一気に火を噴いた。
娘のわずか2年の滞在中にも、家賃、電気代、食料品などの価格の高騰は異常だったという。
電気代に至っては倍にも料金が跳ね上がっていた。
エジプト人にとっては「生きるか死ぬか!」の決意を持って、反政権デモに参加したのだろうと語った。
騒乱が激しさを増し自宅待機が続く中、ついに娘の住むギザでも銃声が聞こえ始める。
通りを見ると装甲車も走るようになる。
1月27日不安に追い討ちをかけるように、唯一の情報源である
ツイッター、フェイスブック、SMS,インターネット、携帯電話と次々と遮断されていった。
そんな不安な最中、考古学者である河江氏が、AERA(米国古代エジプト発掘隊ヴィラ)に避難させて下さり
何の不安も無く最高の環境で、帰国までの5日間を過ごすことが出来た。
ヴィラの中での各国の考古学者が、徐々に神経質になる中
チームリーダーである河江氏が執られた緊急時の的確な判断と行動で
気持ちが前向きになり、ヴィラの雰囲気が次第に明るくなっていったという。
そしてここでの共同生活は、一生忘れられない素晴らしい体験になったと語った。
1月29日戒厳令が発令され、午後4時から翌朝8時まで外出禁止となった。
ヴィラの近くで違反した男性が銃で撃たれるという事態も起こった。
カイロ、アレキサンドリア、スエズでは非武装のデモ隊に対し、警察がゴム弾、催涙弾を発砲。
ラクダに乗ってデモ隊の中に乱入する者まで現れた。
(-もしも「楮」がカイロに出店したら- のコンセプトで作っていただいた 美味しかったエジプト風料理!)
騒乱の状況は、いよいよ悪化していった。
町から警察が消えると、入れ替わるように暴徒が現れた。
1月29日、暴徒はエジプト考古学博物館のかけがえのない遺物を盗み、ミイラを損傷させ
タハリールの店、ホテルを次々と襲っていった。
一般人だと思われていた暴徒は、私服警官や政府側に雇われた生活困窮者だったと判明した。
それに反して、反政権デモの人々は人間の鎖で博物館、遺跡を守ったり、
自警団を結成して、町や家族を自らの手で守り、非武装、非暴力を最後まで全うした。
(楮の若きシェフさん)
しかし反政権デモの人々の犠牲者は次第に増えていった。
無抵抗の男性が、いとも簡単に銃殺された映像がネット上では流されていたが
国営放送は騒乱の状況を報道せず、サッカーの試合などを放送し続けていた。
自国で何が起こっているのかを把握出来ないでいたのは、世界中で情報を遮断された
エジプト国民のみだったといえる。
退避勧告を発令した日本政府がチャーター機を飛ばしたと知ったのは、帰国した後だった。
ネット、携帯が遮断されていた状況下では、情報を収集することも出来ずにいた。
しかも、在エジプト邦人、旅行客の人数には到底達していない定員のチャーター機1機が
カイロ、ローマ間を3往復しただけで、その役目を終えた。
エジプトエアーは欠航、ネットが遮断されていたためエジプト国内では一切発券が出来ないという状況の中
大阪大準教授の金谷氏が、大変なご苦労を重ねてチケットを確保していただき
ネットの通じていないエジプトに、ファックスでE-チケットを送信していただいた。
2月4日大規模デモ「追放の金曜日」が帰国の日となった。
河江氏に空港まで送っていただいた朝、自身の目で見たタハリールの姿には、目を覆うものがあったという。
商店街、ホテルは焼け焦げ、ガラスは割られ、コンクリートは投石のために剥がされていた。
陽気で活気あふれたタハリールの面影は、まったく残っていなかった。
その無残な姿を車の中から垣間見た時は、やりきれない悲しみと、
エジプトの友人たちの犠牲が、これ以上増えることのないよう、しかし革命は完遂してほしいと心から祈ったという。
(会の皆さんからいただいた素敵な花束)
娘が自身の目で見てきたエジプト革命はここまでであるが、
2月11日ムバラクが退陣した2ヵ月後、再び一時エジプトに戻って見たものは、
明るいいつもと変わらない優しいエジプト人たちだった。
友人たちの多くが「革命は私たちの誇り、今が幸せ。」と笑った。
どんなに苦しくても、革命前には戻りたくない、初めてエジプトを自分の国だと感じたと語った。
娘はトークの最後に「皆さん!エジプトは魅力に溢れた素晴らしい国です。ぜひエジプトへ行ってみて下さい。
きっと皆さんも大好きになると思います。」と締めくくった。
元木曽川町長さんが、この会で知り合った方々と「ぜひツアーを組んで、エジプトへ行こう!」と提案して下さったことは、
娘にとって大変嬉しい言葉だったに違いない。
(元木曽川町長さん)