アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

5.エジプト考古学者 娘のJICAレポート

2017年01月21日 | 日記

11/21/2012

エジプト好きの私にも、どうしても敵わない人がいます。

エジプトへの愛がとても深く、畏敬の念でエジプトと接し、きっとエジプトへの興味が一生尽きることはないだろうと思う人がいます。

その人、エジプト考古学者の河江さんに初めてお会いしたのは、前回のカイロ滞在時終盤のことでした。

                           

                                              

1月25日、エジプトで突如大規模デモが起こった直後のこと、私はその前日まで普段と何ら変わりないカイロの町で仕事をしていました。

SNSを使い若者たちがデモを呼びかけ、それに対しエジプト政府はデモの拡大を恐れそれらのツールを遮断しました。

まず携帯のSMSが送信出来なくなり、続いてフェイスブックやツイッターにアクセスが出来なくなりました。

最終的にはインターネットも携帯電話も全て遮断されてしまいました。

                    

国営放送は、テレビを見て人が集まらないようにと、デモの映像を一切流さずサッカーや映画を流し続け、エジプトの情報を得ることが出来ないという状況でした。

しばらくして、やっとエジプト国内の携帯通話のみが復活し、在留邦人のほとんどが、国外避難の準備を始めていました。

町から警察が消え、刑務所から脱獄する犯罪者が増加、銀行や食品スーパーなども営業を停止してしまいました。

そんな状況では、私たち外国人が安全に滞在出来る保障はなく、平和的にデモが終息するという見通しも、全く立ってはいませんでした。

インターネットが使えないので、飛行機のチケットも空港で直接購入するしか方法がなく、

ATMやクレジットカードの機能も停止しているので、沢山の外国人が混雑する空港で寝泊りし、チケットが買えるのを待っていました。

                      


日本にいる家族とも連絡が取れず、しかもカイロから少し離れ、ギザのピラミッドの近くに住んでいた私は、完全に取り残されました。

「単身エジプトに飛び込むことはいいけど、万が一何かあったらどうしよう。ま、たかだか2年だし、そんな危険はないか!」

甘く見ていたことが、現実になってしまったのです。戒厳令(外出禁止令)が出され、外では銃声が響いていました。

そんな時、後先考えずエジプトに飛び込んだどうしようもない私を助けてくれる人が現れました。

それが、エジプト考古学者の河江さんです。

                    

                     

河江さんはギザのピラミッドで、ピラミッドを作った人たちが暮らしていたピラミッドタウンの発掘調査を行っていて、

ちょうどこの頃私のマンションの近くに滞在していました。

「一人では心細いでしょうし、食べ物もなくなってしまうでしょうし、よければ発掘隊のアパートに来ませんか?」

今思い出しても、本当に有難い一言でした。

このまま日本へ帰国という可能性もあったので、慌てて荷造りをし、発掘隊が滞在するアパートへ転がりこみました。

                     

河江さんは、日本にいらっしゃるご友人の金谷先生と、私のチケットの手配までしてくださり、

金谷先生の一言で、エジプト騒乱時の約一ヶ月、ソフトバンク社ではエジプト・日本間のSMSの送受信が無料になりました。

金谷先生は大変なご苦労をしてチケットを確保してくださったのだと思います。

                      

自分の考えの甘さを痛感し、大好きなエジプトやエジプトの人々が傷付いていくのを目の当たりにしている悲しさと

救いの手を差し伸べてくださる河江さんと金谷先生に対する申し訳なさと感謝の気持ちで一杯という複雑な気持ちのまま、

各国から集まる考古学者の方たちと共同生活を送るという、一生忘れられない数日間を過ごしました。

                    

日々激化してしていく革命の中、神経質になっていく各国の考古学者の方々を、的確な指示と、時にはユーモアで励まし、

乗り切られている河江さんを見て尊敬の念を抱きました。

                     

私が協力隊としてカイロへ赴任ししばらく経った頃、再び河江さんとお会いする機会がありました。

「是非またエジプトで!」と言って別れたことが現実になりました。

河江さんにお会いして言われた第一声が、

「本当に戻ってきましたね!あの時話していたことを実現させましたね!」でした。

この言葉を聞いて、あー、私戻って来れたんだ!と実感し、気合いが入りました。

そして、私が今エジプトで活動が出来るのも、私一人の力ではなく、沢山の方のお力添えがあったからこそだと思いました。

                     

                     

講演会にも一度お邪魔したことがありますが、河江さんは専門知識のない私たちにも分かりやすくお話してくださり、

スピーチがお上手で、聴いている人たちを引き込む魅力があります。

エジプト、エジプト考古学への愛に溢れたお話でした。

                     

河江さんは体を鍛え、健康にとても気を遣っています。

きっと灼熱の砂漠で調査を続けるのには、相当な体力が必要なのだろうと思います。

真っ直ぐで、妥協せず、自分に厳しく、人に優しく、ユーモアがあり、国籍問わず、エジプト好きは勿論、多くの人をも惹きつける方です。

とても尊敬する人生の大先輩です。

 

そんな河江さんの愛には、さすがの私も敵うはずがありません。

それでも、河江さんのおかげで私のエジプトへの愛情もまだまだ増加中です。

そして(勝手に)「エジプト革命に遭遇した仲間」という親近感を抱いています。

                       

SNSで起こったエジプト革命。

実は私が助けられたこの縁も、SNSでのものでした。

感謝の気持ちは、河江さんの愛するエジプトへの精一杯の活動でお返ししたいと思います。

                        

 

 

 


4.モニア 娘のJICAレポート

2017年01月13日 | 日記

09/30/2012

私には年の離れた親友がいます。彼女と初めて会ったのは、今から5年前。

彼女がまだ小学生だった頃です。

          

                        

大好きで尊敬するエジプト人女性の娘さんで、私の住んでいたマンションの隣のマンションに住んでいました。

彼女は私の大親友で、私のアラビア語の先生でもありました。

もし彼女がいなかったら、私はアラビア語を話せるようにはならなかったと思います。

エジプトに来たばかりの頃、アラビア語が全く話せず毎日撃沈していた私に、

根気よく24時間体制でアラビア語を教えてくれたのがモニアでした。

             


モニアのお母さんは、日本語の観光ガイドとしてばりばり働く素敵な女性で、ほぼ独学で習得したという彼女の日本語は、とても自然で美しい。

いつも「ご飯を一緒に食べよう!」と電話をくれて、私は遠慮もしないで毎日モニアの家にお邪魔していました。

モニアのお姉ちゃんや従姉妹たちと一緒に、買い物や映画に連れて行ってくれたり、

女子だけのリラックスした楽しい時間をいつも過ごさせてくれました。

                         

                    

モニアは、バービーや折り紙で遊んだり、ベリーダンスを教えてもらったりの遊びの中で、

会話に出てきた新しい単語を私がノートに書くのをじっと待ち、意味を正確に理解するまで、妥協せずあらゆる方法で根気強く教えてくれました。

モニアのお姉ちゃんや友達と喋っている時も、私に分かるように通訳し、面倒がらずにいつも勉強に付き合ってくれました。

私もそんなモニアの気持ちを無駄にしたくなくて、習ったことは必ずその日のうちに頭に叩き込んだり、

辞書を一冊暗記したりと、今までにないくらい必死に毎日勉強しました。

                 

 

小さいのに思いやりがあって人の気持ちを汲み取ることの出来る子で、

言葉がなかなか通じないながらも、モニアの友達との悩みを聞いたり、

離れて暮らすモニアのお父さんの話を聞いたり、本当に沢山の時間を二人で過ごしました。

                       


前回の帰国前日は、モニアのお母さんの提案で、

私がエジプトに着いた日と同じように、朝ご飯とお昼ご飯を家族みんなで一緒に食べました。

でもやっぱり帰る時に二人で大泣きしてしまい、きちんとお別れが出来ませんでした。

2年間過ごした愛するエジプトに再び戻ることが出来るのも、

モニアに再会出来るのも、遠い先のことだとこの時は思っていたからです。

                       


帰国する日の朝、名残の尽きない私たちは、モニアが学校に行く前にもう一度会うことにしました。

朝7時にスクールバスが迎えに来るので、私たちは6時半にマンションの下で待ち合わせをし、ベンチに座って少し話をしました。

お揃いで持っていようと思って前日の夜買った、二人の名前の入ったミサンガを渡し、

学校に行く前だったので、笑顔でお別れをする努力をしました。

                                                                 


3月にエジプトに派遣され再会したモニアは、身長も高くなり、美しく成長していました。

今回もまた、私のアラビア語のノートにいっぱい言葉が増えていくといいな。

そしていつか、モニアがもう少し大きくなったら、

今度はモニアが日本に来て、私の家に泊まって夜遅くまで色んなこと話したり、

観光や買い物に行ったり、エジプトでの友情のお返しをするのが私の夢です。

                              

 

 


3.名トリオ目指して 娘のJICAレポート

2017年01月11日 | 日記

 

10/22/2012

エジプトの人は約束の時間を守らないとか、時間にルーズだという話をよく聞きますが、

日本にも色々な性格の人がいるように、エジプトの人たちもみんながみんな時間にルーズなわけではありません。

少なくとも私の友人にそういう人はいないと思っています。

特に日本語観光ガイドの友人たちは、職業柄時間にはとてもきっちりしています。

私の職場には、同じチームで仕事をしている仲間がいます。


                       

チームリーダーで事務所の姉御的存在・38歳4児の母モナと、31歳冗談大好き、真っ直ぐで熱い心を持つ男性・バドルです。

主に私たち3人で女性支援活動を行っているのですが、最初、このバドルとどうしても気が合わないことがありました。

このままじゃお互いいけないなと思いながら、少しづつ、真面目な話や日常生活の話、くだらない冗談を言い合ったり、出来るだけ沢山会話をするようにしました。

活動が始まり、毎日顔を合わすようになって半年。

今はバドルの仕事に対しての悩みや目標も分かって、考え方に共通点が多いことも分かり、ノリの合うとてもいい相棒です。


バドルも、すごく時間にきっちりした人。

先日、カイロから列車で2時間程のアレキサンドリアへ3人で出張へ行った時のこと。

私たちは朝8時の列車を予約していました。

バドルは朝5時に、支度に時間のかかる女性陣・モナと私に

モーニングコールをくれました。

                            

私は二人との待ち合わせ時間より随分前に駅に着いてしまったのに、

バドルはもう駅にいて、予約していた列車をチェック中。

                      

ところが、モナが駅へ来る途中渋滞にはまってしまいました。

ひやひやしながら列車の窓から顔を出し応援する私とバドル、猛ダッシュでプラットホームに向かうモナ。

しかしモナがプラットホームに辿り着いた瞬間、無情にも列車の扉は閉まってしまうというギャグチックな出来事が!

珍道中のスタートでした。

(その後モナも運良く次の列車に乗れたので、無事にアレキサンドリアでの仕事も終わりました。)

                


                     

 

その数日後、カイロ市内で活動する先輩隊員の施設へ3人で訪問するセッティングをしました。

聴覚障害者の人たちが働くこの施設で、先輩隊員は商品のデザインなどの技術指導をしています。

温かみのある可愛い商品ばかりで、エジプトに住む日本人にも大人気。

私は先輩の作った商品を私の事務所に置きたいという目的の他に、先輩の仕事の細かさを二人に見て欲しかったのです。

         

先輩にアポを取り、3人で待ち合わせ時間と場所を決める際、私はふと出張のあの出来事を思い出し、こっそりバドルを呼び出しました。

モナが遅刻するかもしれないということを見込んで、早めの集合時間にすることを提案しようと思ったのです。

さて何て切り出せばいいかなーと思っていると、バドルは「千明が何言いたいか分かるよ~!」と一言。

私が考えていることを彼はお見通しでした。

結局二人で相談し、先輩隊員との待ち合わせより少し早く3人で集合することにしました。

                           

当日、集合場所に私が向かっていると、時間ぴったりにモナから「着いたよー!」と電話が。

疑ってごめん、モナ。

たまたま今まで何か事情があって遅れがちだったのか、私の先輩との約束だからきちんと時間通りに来てくれたのか、

どちらかは分からないしとても些細な出来事かもしれないけれど、私はすごく嬉しかった。

バドルが同じこと考えてたということも嬉しかった。息が合ってきたのかな。

やっぱりよく言われる「エジプト時間」なんて、私の周りには存在しません。

 

                       

どうしても一日中職場でアラビア語で会話をしていると、分からないこともあるし伝えることに疲れてしまうこともあるけれど、

せっかく巡り合った3人、毎日顔合わせて一緒にいる時間が長いのだから、色んなこと話して抜群のチームワークで仕事が出来たら素敵だなと今は思います。