向こう側を見ると青島が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。
よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。
赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと言っている。野だは絶景でげすと言っている。
絶景だかなんだか知らないが、いい心持には相違ない。
ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。
「あの松を見たまえ、幹がまっすぐで、上が傘のように開いてターナーの絵にありそうだね」と赤シャツが野だに言うと、
野だは「全くターナーですね。どうもあの曲がりぐあいったらありませんね。ターナーそっくりですよ。」と得意顔である。
ターナーとはなんのことだか知らないが、聞かないでも困らないことだから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと回った。
波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平らだ。赤シャツのおかげではなはだ愉快だ。
できることなら、 あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。
つけられんこともないですが、釣りをするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。俺は黙っていた。
すると野だが「どうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんか」とよけいな発議をした。
赤シャツはそいつはおもしろい、われわれはこれからそう言おうと賛成した。
このわれわれのうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青島でたくさんだ。 (夏目漱石 小説「坊ちゃん」より)