神秘の島

これは、日本海域に浮かぶ離島で暮らしていたアカネが、郷里に帰ってからも巻き起こす、陳腐な体験の数々である・・・

もう、老婆であろうとネタにするしかない。

2008年10月20日 | 日々是好日
「幸子ー?サチコー?」
 祖母が誰かを呼んでいる。家には、祖母とアカネと父の三人しかいない。アカネと父は二階で寛いでいるところだ。
「幸子って誰やろねぇ?」
「幸子って・・・アカネのことやろ。」
「えー!・・・ついに孫の名前も忘れた・・・。」

 アカネは幸子になりきり、二階を下りて行った。
「なにー?」
「トイレ連れて行ってや。」
「幸子って誰?w」
「・・・。・・・・。何て名前やったかねぇ・・・。」
「アカネやけど。思い出した?」
「・・・・・・?」

 というわけでみなさんご無沙汰でした、幸子です。

 
 アカネがJohnのところへ行き、ついでにリンカーン島へも寄って10日ぐらい家を空けていた間に、おばあが呆けていたのだ。
 祖母は、病気で目が見えない。視力の喪失と共に生活力が衰えていくのを受け入れることができず、ネガティブな思考へと滑落して行った。ここ1年くらいで、さらに見えなくなったとかで、一切外に出ようとせず、寝るだけの日々が続いている。そんだけ刺激がなくて、死にたい死にたいって思って暮らしてたら、呆けるの早いだろうなぁ~と思ってたら、物忘れが酷くなって、アカネが家を空けてた間にあっという間に前後不覚になっていた。

 明け方、祖母が母を呼ぶ声がするので声をかけてみると、
「あたし何処におる!?」
「いつもんとこにおるけど、お婆ちゃん。」
「みんなぁおるかねぇ!?」
「おるよ。」
「あたしどっか知らんところに来たと思うて、急いで出て行かないかんと思いよった!」
「出て行くって、何処に?」
「知らんけんど!」

 今日の朝は、リュックを背負ってえらい怒っていた。
「どうしたが、お婆ちゃん。」
「なんでこんなにも部屋の中変えてしまうろう!」
「どこが変わったが?」
「ここら辺かわっちゅうろう!」
 そう言って祖母は辺りを手探りする。もちろん、どこも動かしたりしていない。
「一言ゆうてくれたちえいに。お婆ちゃんはあんたが夕べたんす漁るき、どきどきして眠れんかったぞね!」
「あたしが何漁ったが?」
「知るかね!自分の胸に問うてみい!ちょっとおらん間にそんな娘になったかね!」
 ・・・その内、お金盗られたって言われるんやろうなー。
 まぁいいか。

 起きた時は、夢と現実の境が全くなく、混乱している。その内母が起きてきて、皆が下りてくると安心して落ち着くのだ。

 刺激が全くなく、自分の殻に閉じこもりがちなため、デイサービスの話も出ている。今までもあったが、祖母の性格を考えると反発するに決まっているため出せずにいたのだが、突然呆けてパニックになったことで、母も本人も決心したらしい。
 デイサービスの手続きに何故か1か月もかかるらしいので、その間にボケの進行が進まないか心配だ。
 
 ・・・・って書きよったらよ、また祖母が呼んでいる。(パソコンは二階にあるのだ)

「千恵ちゃーん?」

 ・・・という訳で、千恵になって来ます。

アカネのお遍路道中記Ⅱ~⑤尺八遍路さん

2008年10月01日 | 旅日記
 室戸岬で、自分がお遍路をする理由も意味も完全に海の藻屑と化したアカネは、ただ惰性で最御崎寺(ほつみさきじ)に登り、読経した。でも、どうしても気持ちが入らない。いつだって信仰心や願い事があったことはないけど、今回は息が続かないのだ。
 アカネの周りで、バスの参拝者が大勢やってきては、潮が引くみたいに帰って行く。
 今朝宿で一緒だった人たちは、一人もいない。アカネが岬でぼーっとしている間に、みんな先に行ってしまったのだ。

 みんなは、何を抱いて歩いてるんだろう?
 どんなことを感じているんだろう?

 誰かと話してみたい。
 自分の虚しさを吐き出したい。

 だけど、そんな話を聞いてくれるような人は、誰もいない。
 空海が残した遍路道は、アカネにとって大き過ぎる。

 
 アカネは次の津照寺、金剛頂寺へと、ただただ歩いた。その間、歩き遍路さんとは、一人も逢わなかった。
 金剛頂寺の駐車場のベンチに座りこんでいると、近くに車が止まり、白髭のおじいさんが下りてきた。
「お遍路さんですか?」
「ハイ。あなたもお遍路さんですか?」
 おじいさんは、Tシャツに短パンで、遍路衣装を何もつけてなかったのだ。お寺で尺八を吹きながら、車で巡礼しているという。
 アカネが名刺代わりに納札を渡すと、彼は自分で書いた写経を渡してくれた。一日一枚書いているという。
 名は、環山と言った。

 この人なら、アカネが思ってることを聴いてくれるかもしれない・・・。それに、この人の思いも聞いてみたい。

「あの、お疲れじゃなかったら、お話してもいいですか?」
「はい、いいですよ。」
「私、興味本位でお遍路始めて、何にも考えずに歩いて来たんですけど、今朝室戸岬の絶景とみくろ洞見て・・・空海の意志の強さにちょっと触れて、こんな自分が一体どういう気持ちで空海の跡をたどったらいいのかわからなくなっちゃったんですよ。」
「みんなそうですよ!」
「??」
「私だって、信仰心があるのかって言われたらよくわかりません。“あるのか!”って聞かれたら、ない、って言いますけど、“ほんとにないのか!”って聞かれたら、“・・・ちょっとある”ってぐらいでしょうか。」
「え、だって環山さんは写経をなさったり、仏に尺八を捧げたりしてるんでしょ!?仏に尺八を聴かせてあげるって、人間相手じゃないから反応が返ってこないのに、それでも巡礼でそうされてるんですよねぇ!?」
「はい、確かに反応は返ってきませんね。・・・というより、仏から返ってくるのは“無”ですよね。
 私は地元で尺八をやってて、地元のお寺で吹いてたんですが、そこの住職に写経を勧められて、それで書くようになりました。たくさん書いたから、どうせなら四国に来て巡礼して、写経を納めようかなって。それで、尺八も捧げるようになりました。
 だから・・・私も信仰心があってやってる訳じゃないですけど・・・。」
 
 自分でもよく説明できない何かがあるのだろう。アカネが、お遍路をしたい理由がよく説明できないように。

「私からすれば、歩いてる方の方が凄いです。やはり一歩を踏み出すのに、強い決心があったと思うんですよ。本当に頭が下がります。」
「そうかな・・・?歩くのは基本的な移動手段だし、足腰が健康な人だったら誰でもできるじゃないですか。尺八を吹きながら巡礼されるなんて環山さんにしかできないし、そっちの方が凄いですよ!
 私は県外の方が言われるように、お接待を受けても人生観が変わるぐらいに感動しないし、四国で育ったからかもしれませんけど、県外の方が“四国の人は優しい”とか“都会と違う”って言ってる意味もわかりません。こんな私が歩いてる意味あるのかな、って・・・。
 四国の人って、優しいと思いますか??」
「僕がお寺に行ったとき、お遍路さんたちにお饅頭を手作りして配ってる方のお接待を受けたことがあるし、納経所で冬に手がかじかんで尺八が吹きづらかった時に、ホッカイロもらったりしましたよ。」
「それはお寺の中で、環山さんの尺八に感動したからでしょ。お遍路さんの格好してない人には見向きもしませんよ、きっと。」
「う~ん、僕こんな格好してるけど、道を聞いたらわざわざ先導してくれたり、地図を描いてくれたり、親切にしてもらってますよ。
 まずお接待っていう風習、考えそのものがないから、県外には。都会は特にみんな他人には無関心っていうか・・・。」


 そんな調子でいろいろと疑問に思っていたことを話し、尺八も聴かせてもらった。
 彼は、息を強い調子で長時間吐き続けて、時に震わしたりしながら、幽玄な音色を奏でていった。

「凄いです!むっちゃ奇麗な音色だし・・・お寺の雰囲気と合ってます!」
「こういうのもあるよ。」

 彼は、その後も何曲か披露してくれた。お寺の演奏は2分ぐらいで全身全霊で吹く、とおっしゃってたが、それがよくわかった。お腹も肺も精いっぱい使って吹き続けるから、一生懸命じゃなければ演奏できないのだ。
 

 お遍路は、こういう普段だったら絶対話すこともないような人たちと出会えることが醍醐味なのかな?と思った。
 アカネが熱くお礼を述べると、
「喜んでもらえて、私も嬉しいです。」
といい人100%の答えが返ってきた。


 この先、続きをいつ歩くか、また歩くのか、ということは、自分の中でよく決まっていない。お遍路をするには、自分はまだ足りなさすぎだという気もする。
 でも、次に歩いたときもきっと、不思議な縁は巡ってくるような気もする。

 今回は25日までの区切り打ちだったから、次の日には家に帰らなきゃいけなかった。次の日は適当なところで電車に乗り、ちょうど実家周辺をうろうろしてたヤスくんを我が家にお接待した。
 
 とりあえず、今回のお遍路の旅は、26番金剛頂寺で、お終いだ。