街活ワーキング2080・・・通称、マチワグ

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自助・互助・共助・公助とは。その本質をズバッと読みとく!

2011年01月23日 | 諸課題解決にむけた提案
まずは、言葉の意味から。 (1)自助とは、他人の力によらず、当事者である自分(本人)の力だけで課題を解決すること。 (2)互助とは、当事者の周囲にいる近しい人が、自身の発意により手をさしのべること。家族や友人、そしてご近所。これらの方たちが、自発的にかかわることです。 (3)共助とは、地域や市民レベルでの支え合いのこと。非営利団体や協同組合などによる事業やボランティア活動。つまりシステム化された支援活動のことを指します。 (4)公助とは、行政による支援のこと。さまざまな公的なサービスにより、個人では解決できない生活諸問題に対処することです。 コミュニティビジネスは、一般的には(3)の共助であると思われますが、どうでしょうか。 じつは、(3)共助を目指していては、問題が解決しないということ。 それは、なぜか。 この共助は、仕組みとしては、現在でもあるのです。 社会福祉協議会が、各市町村にはすでにありますね。 いつも頭がさがる思いでみていますが、 しかし、なかなか問題は解決には至っていません。 民生委員の成り手が不足していたり、そもそも訪問した 当事者から拒否されたりもしています。 すごく良い仕事を それもボランティアでされているのに 評価はひくい。(当事者や、されているご本人自身) 虚無感も生まれてきます。 わたしは、「自助」にもっと眼をむけるべきではないか! そう考えました。 いや、眼をむけるのではなく、中心に据えるべき!とでも 言うべきでしょうか。 この考えは、ありとあらゆる問題の解決の第一歩にはず。 それは、どういうことかと申しますと、 それは、福祉をうける当事者自身が、「これではいけない! 」そんな意識をもってもらうということです。 それには、 福祉・医療と、「自助努力」を組み合わせた支援にすれば よい!です。 . . . 本文を読む

元気大学も昨年末に終了、CB学習組織として再出発。今後なにをすべきかを検討してみる!

2011年01月16日 | 気になった事
いよいよ「2011年」となりました。 これから、地域社会は大きく変わりますね。 それは団塊世代の方々の大量退職。 その数は、驚くべきものでしょう。 わたしが、この元気大学で実感したことは、 60代70代の方々に素晴らしい考えをもった人が多いということ。 たぶん、高度経済成長をささえた、これらの年代の人。 どなたも知識や能力は、おどろく程のモノをお持ちです。 まさに「地域の宝」といっても過言ではないでしょう。 そんな人が多く輩出される時代です。 これらの方たちを活かさない手はないですね。 ということは、 大きな網の目のネットワークをつくって、 ひとりでも多くの人たちを取り込んでいく。そんな組織が あればと、考えています。 初めは「遊び」や「趣味」の活動だっていいんじゃないで しょうか。とっかかりが必要ですね。 そして、そこからこれらの人が、地域に目をむけていただく そんなコトに一役できれば、 それだけでも、価値がありますね。 そう、地域デビューの第一歩の提供です。 当組織が、ボランティアやNPO諸団体、さらには地域のCB事業者、公的な組織とのパイプ役にもなれればいいんじゃないでしょうか。 . . . 本文を読む

コミュニティ・ビジネスの意義。その役割りについて説明します!

2011年01月06日 | コミュニティ・ビジネスとは
平たくいえば、地域のさまざまな諸問題を収益をあげる事業 として解決していこう!そんな取り組みのことをいいます。 ボランティアでなく、利益のみを追求する一般企業でもなく、 その中間に位置する事業というわけです。 なぜ、こんなものが必要とされるのか。 無償サービスとしてのボランティアでは、ほんとうに善意のみ が頼りとなりますね。でも、それが出来るという人は、ほんの 一握りの人間ということでしょう。人はお金が無くては生きて いけません。どこか別の所からの収入があるということが、 ボランティアができる大前提です。 逆に、収益だけを求める普通の事業。これですと、どうでしょう。 日本では、なかなか成功しないということがあります。まず、米国のような新しい事業を育てるというような仕組みがありません。米国には、ビジネス・インキュベーションという役割をもった 団体が、全国的にあります。そこでは、起業を目指す人たちに 投資家を紹介したり、他の事業者との連携を促したりと、さま ざまな支援をおこなっています。また、国も税制面などで優遇。 いわば、米国は、起業大国といっても言い過ぎではないでしょう。 . . . 本文を読む

事例研究!蘇った名古屋「大須商店街」、その理由とはなんだったのか!

2011年01月01日 | 事例の紹介
新年、第一弾の投稿は「商店街の活性化」事例。 大須は、歴史のある街ですね。江戸時代の初頭に、家康が名古屋城を築城。寺社仏閣を大須に移し、門前町として4百年にわたり栄えました。ところが、今から40年前の1970年代になると、急激に寂れていきます。理由は、交通網の整備にありました。市内に4百メートル道路が通り、大須を中心繁華街である栄地区から分断。大須に入って来ていた市電も廃止され、さらに近隣に地下ショッピング街ができていきます。 この煽りをうけて、昭和40年ごろには、全国に先駆けてシャッター商店街と化していきました。まさに、陸の孤島といった有り様。 もう、どうにもならない!そんな雰囲気が街には漂っていたそうです。鯱こんぶ本舗の志那河屋・店主である品川常吉さんは、これに非常なる危機感を抱きました。なんとかならないか!街おこしの起爆剤となるようなコトが出来ないか!を日々考えていたようです。 そんなある日のこと。昭和50年6月大須商店街で、名城大学の学生を中心とした若者たちの祭「アクション大須」が開催されました。これは、池田芳一助教授のゼミが企画したもので、都市問題に関する討論から生まれたそうです。大須で、今までにない祭りをやれば、賑わいが戻ってくるのでは!そんな意味を込めてのことだった。企画は昔ながらの大道芸。猿回し、小屋掛け、がまの油売り、バナナの叩き売り、のぞきからくり、七味唐辛子売り、人問ポンプなどが行われて、人々の関心を集めたといいます。 . . . 本文を読む