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こまつ座 『國語元年』 観劇メモ 朝海ひかるも好演していましたが‥

2015年10月17日 | 観劇メモ
兵庫芸文センターで、久しぶりにこまつ座の芝居を観てきました。『國語元年』です。
芸達者ぞろいなキャストでした。中でも一番の関心は朝海ひかる。退団後舞台で観るのは初めてだったので、楽しみでした。
ただ、余裕の演技で変わらぬ姿を見せてくれましたが、彼女の力量からするといささか役不足で、ちょっと物足りなかったですね。
でも本当に充実したキャストで、芝居の面白さを堪能しました。


話は明治維新後の標準語制定をめぐる話です。

あらすじです↓
時は明治七年。
維新で廃藩置県となったが、日本の話し言葉はテンデンバラバラだった。維新までは、農民たちは原則各藩に縛り付けられていたので、話し言葉は藩ごとのお国訛り丸出し。
そこで明治政府は、文部省官吏の南郷清之輔に対して、全国統一の話し言葉を制定するよう命令を下した。
しかしその南郷家では、家長の清之輔が長州出身、その妻と、同居している妻の父は薩摩出身なので薩摩弁。
そして三人の女中たちは、江戸・山の手言葉の女中頭と、その配下の女中が下町のべらんめえ、もう一人の女中は羽前米沢のズーズー弁。
おまけに車夫は遠野弁、そして書生は名古屋弁。さらに南郷家に押しかけてきたお女郎は河内弁、そしていつのまにか居候を始めた貧乏公家は京言葉。
最後は会津藩士が押し込み強盗で入ってきて、さながら南郷家は日本の言語状況の見本となっていた。


とまあこんな感じで、とにかく方言が乱れ飛び、台詞の洪水です。

ただし、私がすんなりわかるのは女中頭の江戸山の手言葉と、同下町べらんめえ、そして女郎の河内弁ぐらい。あとは名古屋弁がなんとか聞き取れますが、その他はかなりあやふやなリスニング(笑)。それだけでも、維新前後の混乱がわかりますね。

ということで感想ですが、主人公・文部省官吏の南郷清之輔を演じる八嶋智人は大した役者さんでした。

NHKの連ドラでおなじみになりましたが、失礼ながら舞台でこんなにしっかりした演技ができる人とは思っていませんでした。
帰宅後ググッてみて、まず分かったのは私の無知さ。(笑)
バラエティ番組をはじめドラマや映画、ナレーターまで幅広い活躍ぶりでビックリでした。それと、テレビでの活躍に比べると舞台での経験はそれほど多くはないようですが、台詞も演技もしっかり芯があって、舞台役者完成度が高く、感心しながら観ていました。こまつ座の芝居によくあうキャラクタだと思いましたね。
彼が何度も試行錯誤を重ねて標準語制定のための案を練るところが見せ場になっていました。

今回初めて観てびっくりしたのが、女中頭・秋山加津役の那須佐代子

役としては、もとは旗本の奥方だったが、夫が彰義隊に参加したため没落し、自宅だった南郷家さの屋敷に住んでいるという設定です。当然抱いているであろう、世が世ならばと思う気持ちを押し殺して、でも元の身分の矜持はしっかりと持って仕事に励む秋山加津が光る演技でした。女中の身ながら、実際は彼女が南郷家を仕切っていました。
観劇の途中からまたまた私の脳内の自動追尾機能が勝手に立ち上がって、視線は常時彼女にロックオン状態。(笑)
また舞台で観たいと思った女優さんでした。

で、ようやく朝海ひかるです。

そもそもこの舞台を観ようと思ったのは、こまつ座公演というのが第一ですが、朝海ひかるの出演というのも大きかったですね。いえ別に、「あの人は今?」みたいな週刊誌的関心でじゃなくて(笑)、退団後の彼女の舞台は初めてだったので期待していたのです。ほんとです。(←ムキになるところが怪しかったりして(殴))

役は南郷清之輔の妻・光。おっとりとして上品でたおやかな妻ですが、話す言葉は薩摩弁。このあたりのギャップも面白く、演技は余裕綽々、劇中の歌でも変わらぬ歌唱力を披露していました。でもちょっと役不足ですね。台詞も少ないし、話の進行にそれほど絡んでいないし。
もう勿体ない感大ありでしたね。でも全員で歌うアンサンブルになると俄然本領発揮。とくに澄んだ高い声が耳に残りました。

ちなみに彼女、終演後のアフタートークにも出ていました。私たちはいろいろ面白いエピソードなどを披露してくれるかと期待していたのに、あまりしゃべらないのが残念でした。
八嶋智人と竹内都子の間に座っていたので、今に話をリードしてくれるのだろうと思っていても、話題を振られたら応じるものの、いつまでたっても自分から話を切り出さないのが超意外。在団時もこんなに控えめだったのかなと思ったり。でこれに関連して思ったのが舞羽美海。在団時は他の娘トップと同様、男トップの影で日陰に咲く花みたいな風情でしたが、退団したら一変、スカステなどでもよくしゃべっているし、表情も別人のようで、あの楚々とした娘トップは何処へ?と、今昔の感に堪えない昨今です。(殴)

それはさておき、今回の芝居は最初に書いたように芸達者ぞろいでしたが、たかお鷹の演じた貧乏公家・裏辻芝亭公民(うらつじたみてい きんたみ)も超絶品。

違和感ゼロの京言葉で、落魄の身でも気位だけは高く、でもしたたかな打算も透けて見えるという人間臭い役を怪演していて、登場するなり客席を沸かしていました。この人もずっと舞台を追い続けてしまいました。

あとは、組曲虐殺にも出ていた山本龍二が魁偉な容貌を生かした(殴)押し込み強盗(笑)でド迫力でした。
でもただの悪人ではなく、彼も彼なりに維新の犠牲となった哀しい事情がわかり、つい同情してしまったり。この役、組曲虐殺でのどこか哀愁の漂う刑事役にも通じるいい味が出ていました。


同姓同名の男にだまされて南郷家に押しかけてきた女郎役の竹内都子の河内弁がやはり耳に馴染みました。(笑)
でも今では、さすがにあんな河内弁は地元でもあまり聞くことはないですが。

持ち前のコメディセンスがよく生かされていて、いい登用でしたね。

こまつ座ですっかり常連の久保酎吉は朝海ひかるの父・南郷重左衛門(ということは主人公は入り婿?)。
この人もいい味の演技で、これまで観たこまつ座の芝居の中では一番役にハマっていました。よかったです。

この人がプログラムで、
">「この芝居の舞台となった明治7年は、徴兵制が始まった頃。精之輔の台詞にも軍隊を作るには共通語が必要だとありますが、軍国主義への足音も示唆している戯曲です。そのあたりが民意とかみ合わないまま政治が進んでいく”今”に通じる気がします。」と記していますが、まさにこの芝居を今上演する意味がよく伝わってきました。

今回もいつものこまつ座公演と同じで、他の役者さんもみんなレベルの高い芸達者ぞろいで、見ごたえがありました。

しかし、話の結末は結構悲惨。(笑) 

結局、主人公の案はどれも不発に終わり、それがもとで清之輔は精神に異常をきたして東京癲狂院に収容され、明治27年秋に病死。
それとともに一族は離散し、妻・光は清之輔の入院後に鹿児島に戻り、明治12年に病没。
その父・南郷重左衛門は明治19年に田原坂で討死。秋山加津も南郷重左衛門とともに鹿児島に行き、身に付けていた技術を活かして和裁教室を開き、明治20年に死去します。ほかの人々もそれぞれの人生を送ります。

で、肝心の標準語がどういう経過でできたかは劇中では明らかにされていませんが、途中で出てくる、参勤交代のために各大名が作った各藩の方言と江戸言葉を対比した単語帳のようなものがベースになったのでしょうね。
井上ひさしの次の言葉がそれを示唆しています。

使っている人の言葉のそれぞれが日本語で、その総和が日本語なのだ 井上ひさし

ということで、ちょっと感想としては肩透かし感があって、幕が下りてヨメさんはたった一人スタンディングしていましたが、私は立てなかったです。^^;

さて、いつもと同じ締まりのない感想になりましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました。

次は梅芸の『夜への長い旅路』ですが、これはもうとても私の手に負えない舞台でしたが、なんとかアップします。(^^;
でも期待しないでください。(殴)


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