合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

ワイン城の葡萄ジュースと鈴木宗男

2005-08-31 23:56:47 | Weblog
 8月もとうとう最後だ。キャンプ場でゆっくり飯を食い時間を潰す。近くの「義経の館」9時オープンを見るためだ。1Fに展示室あり。三好京三氏の「生きよ義経」の生原稿とか、義経や弁慶、静御前の人形なんかがあるが、この地方にどうゆう義経伝説があったのかがよく分からない。どうも昨日書いたように、この地方のアイヌに伝わる12匹の狼を連れてやってきたサマイクルカムイ(文化の神)の伝説を、13人の義経主従に置き換えたというのが本当らしい。
 池田町に。十勝川資料館は前も来ている。展示はあまり変わってない印象。クイズがあって、全問正解し認定状を貰う。対面にあるワイン城に。山ブドウが自生してるくらいだから葡萄も栽培できるだろうと始めたのだとか。冬は凍らないようにブドウの木の枝を土で埋めたりと苦労は耐えない。ワイン城のレストランは高いので隣のカレー屋でかつカレーを食う。試飲のワインが運転のため飲めないので葡萄ジュースを購入し我慢。
 新田の森記念館に寄る。300円。新田グループの創始者新田長次郎、彼の五男愛祐が中心となって展開したベニヤ事業や酪農などの業績を紹介。昭和22年の映画「愛よ星と共に」ではここ幕別新田牧場がロケ地となったらしい。
 幕別町蝦夷文化考古館は無料。アイヌ出身の吉田菊太郎氏が昭和34年に作った館で、彼の死後町に寄贈された。小さい館ながら、昔の写真がたくさんあって当時のアイヌ社会を実感させる。アイヌの女性の写真というとお婆さんが多いが、若いメノコが子守をしてる写真もあり、結構美しい。猫の写真の横に、戦時中は「ニャン子の皮も献納したもの」とコメントがあり、哀れお国のために散ってしまったのかと心配になる。
 この後、幕別町ふるさと館に行こうとしたが時間切れ。変わりに札内駅前で新党大地・鈴木宗男の演説が見れた。札内川付近で寝る場所を物色しているとき、帯広の町に向かう宗男の車とすれ違う。上半身を完全に車から乗り出している。暴走族のハコ乗りに近い。こんだけバイタリティに溢れているとやっぱ当選するんだろうなあ、と感心する。
 マックで夕食を取りながらPCを充電しブログをアップする。

関寛斎、松山千春、デスモスチルス

2005-08-30 23:05:20 | Weblog
 朝飯を食い、キャンプ代の500円を支払って、陸別駅に。ブログなどを打ちながら関寛斎の資料館のオープンである9時半を待つ。列車待ちのおばさんと話す。やはりこのままだと銀河線は来年の春頃になくなってしまう予定だとか。代替のバスが走っても大変と不便になることは否めない。何とかならんものか。赤字路線だから切り捨てるという発想はおかしい。他の路線で儲けてるのだから、そこの利益を回しても動かすべきだ。職員の人員削減とか、コストダウンの手法はいろいろあるだろう。
 オープンと同時に入館。300円。関寛斎は千葉の出身。医師で、徳島藩に仕えたりその関係で戊辰戦争時は官軍の医師として働いたりするが、新政府とは関わらず平民に戻って医療を行う。貧しい人たちには一切無報酬で治療に当たったという。71歳の時北海道への移住を決意。医師ではなく、鍬を持ちトマンの地を開拓、農場を経営する。雪や疫病で馬を大量に死なせ、妻も失うなど大変な苦労をする。82歳の時、モルヒネを飲んで自殺。息子らの財産争いに嫌気がさしたのではないか。司馬遼太郎の「胡蝶の夢」という小説でも描かれており、館内には生原稿などのある司馬遼太郎コーナーもある。ともかくも、壮絶な人生の人だった。

 足寄へ向かう。33キロの距離だが、上りはなくあまり苦にならない。2時間ほどで到着。足寄駅が道の駅も兼ねている。1Fでは等身大の松山千春と写真を撮れる場所も。2Fには松山千春コーナーがある。昔の、髪のある千春の写真が多量に並んでいる。
 そば屋でおろしそば(650円)を食べる。郷土資料館があるというので行ってみたが、どう見てもやってそうにない。足寄には動物化石博物館があるのだが、ここが火曜は休館なのだ。コンビニで立ち読みなどしながら、先へ進もうかどうしようかと考えていると、ふと同博物館の展示のポスターが目に入った。それによると「8月は無休」とあるではないか! 立ち読みなどしてる場合ではない。
 博物館は300円。平成10年7月にオープンしたらしい。ベヘモトプス発見25周年と書かれている。1976年に足寄で最初に発見されたアショロアはデスモスチルスの祖先にあたる。復元図を見るとカバに似ている。人と時代によってはゾウやオットセイ似のものもある。デスモスチルスとは歯が束ねた柱状であることからついた名前。他にパレオパラドキシアの骨などもある。奥の方にはクジラの骨。クジラ類の進化についての展示がある。
 流氷に閉じ込められ亡くなったシャチの歯も展示してあった。体の方は今処理中。子供の体からは高い濃度のPCBが検出されたと新聞記事があった。

 本別までは17キロ。これも平坦な道で走りやすい。歴史民俗資料館があったので入る。無料。昭和20年7月15日に本別は空襲を受けており、その企画展が1Fでなされていた。2Fが常設展で、中央に開拓小屋があり、考古遺物、アイヌ、町の開拓の歴史、産業・交通・教育と、まあ他の道内の郷土資料館とあまり変わらないパターンの展示だ。
 本別公園にキャンプ場(無料)があるので今日はそこに寝ることに。明日は公園内にある義経の館から見学を始めよう。この地にも義経伝説があるが、本当のところはアイヌの伝説に出てくる英雄に義経を当てはめただけらしい。
 奥のキャンプ場の方が眺めがいいというので行ってみたら、奥は自分一人だった。公園内の旅館の温泉に入湯する。400円。お湯はぬるく、しょっぱい。明日は帯広へ向かう予定だ。

遠軽から陸別まで走る

2005-08-29 23:03:14 | Weblog
 今日は月曜日。見学できる博物館施設もなく、走るだけだ。朝食を取る時間も惜しいと出発する。タイヤの前の空気圧が随分甘いことに気づく。つい数日前、紋別で入れたばかりだ。パンクしているのか?
 生田原を通過し、留辺蘂(るべしべ)に。ここの手前に、常紋トンネルの殉難者の追悼碑があったので見てみる。大正2年から2年間、本州で集めた人たちを強制労働させ、粗食や病気、リンチなどで百数十名の人が殉難したという。こうした恐るべきタコ労働は歴史の闇みたいなもので、教育委員会も極力知らせたくないのか、博物館の展示にもほとんど見ないが、積極的に教えるべきだと思う。歴史の闇を覆い隠すのは後世の人間の罪とも言える。ここは小学校の跡地だが、よくこんな何もない(近くに金華駅があるだけ)場所に学校を作ったものだ。
 留辺蘂のコンビニで牛丼の朝食。スーパーで食料も調達する。国道242を南へ進む。留辺蘂の町の絵はキツネが湯に入っているものだったが、置戸町は森林をバックにした木の器だ。駅でかしわそばを食べる。ここ、ふるさと銀河線も存亡の危機に立たされているらしい。何とかならんものか。森林工芸館でお土産の割り箸などを購入する。
 タイヤの前の空気圧が足りないせいか、自転車が思うように走らない。それでも4時前には陸別に到着。ちなみに陸別町の絵は、マイナス30度の寒暖計を抱えて凍えている子どもの絵だ。日本でもっとも寒い土地らしい。自転車に乗り続けたせいかケツが痛くなってきた。昨日の下痢と無関係ではあるまい。
 道の駅は陸別駅にある。ここには関寛斎の資料館があるらしいが月曜日は休みだ。ちなみに銀河の森天文台は月・火が休み。鮭のチップなどを購入する。
 以前、「北海道ではどこでも寝られる」みたいなことを書いたが、あれは街中の話で、ここみたいに道路と線路以外には自然しかないような場所では、下手なとこにねるとクマが寄ってくるからそれも困る。キャンプ場となると、この先は30キロ先の足寄になる。 そこで今日はここのかぶとの里キャンプ場(500円)で寝ることにする。実は関寛斎資料館を見ておきたかったのだ。この人については何も知らなかったが、実に71歳の時に北海道に渡る事を決意したらしい。そんな凄い爺の資料館を見ないわけにもいくまい。
 キャンプ場でパンク修理。見るとタイヤに大きな穴が開いていて、案の定その箇所のチューブに小さな穴が開いていた。修理後、ガソリンスタンドに持っていって空気を入れてもらう。ついでに「ふるさとの湯」(370円)に入湯。何日ぶりの風呂だろうか。ケツも痛かったし丁度良かった。全身のマッサージ機(100円)も体験し、テレビも見て戻ってきたのは8時過ぎ。キャンプ場は真っ暗で、設置しておいたテントもどこにあるか分からない状態。月がなく、星がたくさん空に瞬いており実に綺麗だった。

上湧別ふるさと館JRY

2005-08-28 23:02:10 | Weblog
 朝飯を食ってから蚊の多かったコムケ国際キャンプ場をあとにする。湖の眺めは最高なんだが、虫さえなければ……。
 湧別町郷土館は無料。隣の公民館事務所に言って鍵を開けてもらう。98年にナウマン象の臼歯が発見された。忠類村のナウマン象は12,3万年前、長野県野尻湖のは4~2万年前、ここのは3万年前くらいで、北海道に10万年間ナウマン象がすんでいたことが分かったとか。小学生が絵を描いたナウマン象の絵本もある。
 展示室中央に開拓小屋の再現があり、周囲を展示品が囲んでいるつくり。開祖・半沢真吉氏の写真や、110名以上が亡くなった「悪夢の機雷事故」の展示と機雷の破片もある。
 国道242を遠軽方面に移動。道の駅「チューリップの湯」へ。ここには鉄道資料館があるが、実際には昔の駅のホームに車両が停めてあるだけ。中に若干の展示らしきものはあるが、鍵がかかっているので車両の外から眺めるしかない。TOMという建物の中に漫画美術館がある。オホーツク国際漫画大賞というのが開催されているそうで、その入賞作品や、選考委員の作家の絵、漫画関係のグッズなどが並ぶ。浜中町出身のモンキー・パンチのカラー漫画原稿なんかもある。道内の漫画家では岡本一平やいがらしゆみこ、ささやななえとかがいるらしい。
 チューリップ公園に。ここには上湧別ふるさと館JRYがある。ジェリーと読むのだそうだ。名前は町民による公募で付いたらしい。腹が減ったので、コレステロールを気にしながら隣にあるレストランでカニ・イクラ丼(1000円)を食べる。これが今回道内で最初に食べた海関係の食べ物。やはり紋別でカニ(ゆでたやつ)を食べたかった。
 ふるさと館は400円だが、展示の仕方がユニークで気に入った。2F屯田兵の展示から見るが、体験談などがたくさん書かれ、リアルに伝わってくる。船内の籤で土地と家が割り当てられるのだが、やっとたどり着いた家は柱と屋根しかなく、床にはクマザサが生えていて、不安と望郷の念から泣き出す女性の人もいたという。また互いの方言で言葉が通じず、最初は身振り手振りだったというのもおかしい。
 1Fに降りると展示室中央に屯田兵屋が再現されている。こいつは北海道遺産43号になっている。さらに屯田兵肖像画展示室というのがあって、旧1万円札の聖徳太子の絵を描いた馬堀法眼善孝氏が寄贈した、屯田兵382人の肖像画が圧巻である。

 遠軽町に。遠軽郷土館は100円。ここが残念なのは、解説シートが軒並み切れていることだ。展示にはハッカ蒸留器や分村記念茶碗、バチバチ橇などが並ぶが、2Fの展示室の方がいろいろなものがあって見ものである。ただし2Fの方にはあまり細かな説明や解説パネルはない。
 先史資料館というのがえんがる公園にあることを知る。木楽館に行こうか迷うが、そちらは木製品の展示販売という感じらしいので、先史資料館に行くことに。少々早いが、ついでにそこにあるキャンプ場(無料)に寝てしまえと思う。どうせこの時間では、生田原のオホーツク文学館には間に合わないのだ。
 先史資料館に入ろうとしたら急に下痢を催した。さっき500mlの牛乳を飲んだのがいかんのか。100円を払ってギリギリでトイレに。何とか間に合う。やっぱ牛乳が原因なのか?
 1Fには大きな黒曜石の石器がたくさんあってびっくりする。こんな巨大なものは今までの博物館では見たことがない。肉切りナイフのように使った尖頭器、あるいは細石刃を作るもととなった石刃核なのだという。ここは遠間資料室と名付けられた遠軽出身の遠間栄治氏のコレクション。一番大きなものは長さ38センチもある。2Fにも他の寄贈者の石器や土器片などが並ぶ。筑波大学歴史人類学実習室もあり、毎年ここに実習に来ているらしい。また、去年は民間旅行会社が企画した道内考古学ツアーというのがあり、46人の考古学ファンが3泊4日で札幌や旭川の遺跡や博物館を見学したという新聞記事があった。今年はなかったのだろうか?
 キャンプ場は蚊も少なくていい感じ。しかし食料がいよいよなくなってきた。買わなければ。

オホーツクとっかりセンターと紋別市立博物館

2005-08-27 23:00:53 | Weblog
 朝ネットでたまっていたブログをアップ。同宿の人全員に旅名刺を配り、9時前に宿を出発。紋別港へ出て、とっかりセンターに行く。200円。とっかりとはアイヌ語でアザラシのこと。ここにはゴマフアザラシを中心にたくさんのアザラシがいる。魚網にかかったり、海岸で弱っているアザラシの子どもなんかをここで引き受けて海に帰したりしている。10時の餌やり体験に参加。アザラシにホッケを上げる。アザラシに触ったのも実は初めてだ。アザラシマニアには垂涎の場所だろう。

 800円という金額に悩んだ末、オホーツクタワーに入ることに。ここは沖合1キロのところにつくられた氷海展望観測施設。電気バスで入り口まで運んでくれる。実は大して期待してなかったのだが、なかなか面白かった。海面下のB1は流石に寒い。ここは外の海も見えるのだが、魚の水槽もあり、ナメダンゴウオというやたらと可愛い魚も見れる。2Fにもいろいろと展示があり、流氷のできる仕組みを映像で学べるし、またクリオネの詳しい展示がる。クリオネはリマキナという貝のなかまをエサにしてるのだが、その食事風景の映像がここでは見れる。頭部から6本の触手を伸ばして食べる光景はみものだ。噂にはきいていたが。お土産に100円のクリオネのCD(「動画で学べるクリオネ図鑑」)を買う。
 近くにある道の駅は、道立オホーツク流氷科学センターの建物を兼ねていた。昼食に牛丼を食べてから科学センターに。映像こみで760円。ここは以前にも来たことがある。-20度の世界は、防寒具を着てても物凄い寒かった。ここでも流氷のできる仕組みを学ぶ。
 市街地に戻って紋別市立博物館に。無料だがなかなか素晴らしい展示だった。鴻之舞金山関係の展示、ニシン漁の高野番屋の再現展示、2Fだての収蔵展示室など。ムシロ編みやロープ結びの体験コーナーではモニターでやり方を説明してくれる。

 前輪のタイヤの空気圧がやけに甘いので、自転車屋をみつけて空気を入れさせてもらう。本当はここらで豪勢なカニ料理など食べたかったのだが、食べそびれてしまう。カニ食べ放題60分3000円と書かれたチラシなどを見てその気になっていたのだが場所が遠い。ついでにコンビニで食料調達もできないまま紋別市街を離れてしまう。
 明日は湧別の郷土館から見るつもりなので、コムケ国際キャンプ場で寝ることに。昨日から20キロも走っていない。
 キャンプ場は200円。アブと蚊が多くて辟易する。蚊取り線香がないので団扇で殺しまくる。自転車で回っている二人連れの男女(新婚旅行らしい)と知り合い、夕食にお呼ばれして酒を飲ましてもらう。ここでも人生相談的みたいに一方的に話をしてしまう。家が近いので(埼玉の人)帰ったら会いましょうと、名刺とメアドを交換する。

パンク修理とライダーの宿

2005-08-26 23:59:26 | Weblog
 起きて走る。まず最初に天北峠を越えるのだが、これは気がついたらあっさり越えてしまった。なんか拍子抜け。
 道の駅にしおこっぺ花夢に着くが、10時オープンでやっていない。その隣に鉄道資料館がある。かつて名寄本線の上興部駅だったところ。ここも開くのは10時だが、列車があってドアが開いた。見ると半分に畳が敷いてあり、ツーリングトレインみたいになっている。この場所は水もあるしトイレもあるから泊まることができるのだろう。
 コンセントを発見。ラッキー。待ち時間の1時間ほど充電しよう。ここでこれまで回った博物館数を打ち込んでみると、すでに今年の新館500プロジェクトの目標値500を達成していることが分かった。また、全訪問博物館数もあと7つで1500に達する。一応、当初の目的は達成したようだ。
 10時になって、どこかから人が来て資料館の鍵を開けてくれる。中を見学。道の駅に戻ってスタンプを押す。中央に巨大な木製のオルゴールがあり、30分おきに稼動する。丁度演奏が始まるところだった。

 西興部の森の美術館木夢(こむ)というのがあった。500円。中は木製の巨大な遊具(滑り台とか乗り物とか)や木製のパズルがあって親子が遊んでいる。隣のIT夢(あとむ)と続いていて、こっちには「冒険の森」と題したアトラクションがある。木でできたおもちゃの部屋もあるのだが準備中。「木夢の島」の上演時間も外れてしまった。ここを博物館施設と呼ぶのは難しい。敢えて分類するなら遊園地やプレイランドになってしまうか。オホーツクにはこうした木をテーマにした関連施設が9つもあって、オホーツククラフト街道と呼んでいるらしい。
 国道239を東へ走る。基本的には下り。道の駅おこっぺに。雨が降ってきた。ここにも綺麗な車両が停めてあって、無料で宿泊できるよう。しかし幾ら雨でもまだ2時前なのでここで寝るわけにはいかない。道の駅の中には簡単な鉄道関係の展示コーナーもある。ざるそばを食べる。所持金が千円になったので、郵便局でお金をおろす。
 オホーツク国道を紋別に向かって走る。ほどなくしてオホーツク海に7年ぶりの対面。この道も以前走っているが全く覚えていない。
 道を下り始めたら突然違和感が。見ると後輪がパンクしている。やれやれ。雨の中のパンク修理はやなものだ。近くにガソリンスタンドがあったので、「パンクしちゃったので修理させてくださーい」と声をかけながら自転車を押していく。荷物を外す。「こっち持ってきて」といわれる。屋根のあるところで直させてくれるのかと持っていくと、いつの間にか修理を始められていた。パンクなど当然自分で直すつもりだったのだが、声をかけそびれて修理されることに。まあいいか、と諦める。どうせ自分で直しても空気が中途半端にしか入らないんだし。さすがにプロは手際がいい。自分なら30分はかかるパンク修理を半分ほどの時間でやっていた。ちなみにパンクの原因はガラスの破片。どこで踏んだか全く記憶がない。修理代1000円を払う。郵便局でお金を下ろしといてよかった。

 もう今日は博物館を見ることはできない。とゆうより紋別に何件かあるのでこのあたりで寝る必要があるのだ。雨は激しく降ってきた。しつこいくらいに「ライダーの宿」という看板が並んでたので、そこに行くことにする。先客はバイクの人が一人。あとからどんどん来て、全部で7人になった。僕以外はみなバイク。宿泊費は1500円だ。
 飯を食い、2Fの部屋で寝ていると、管理人のおっちゃんが帰ってきたというので起こされ、下で受付を済ます。そのまま自己紹介と酒盛りになる。旅人では当然僕が最年長で、次に若い人は33だった。19歳の子で、今日函館から800キロを走ってきたとゆう人もいて驚く。おっちゃんは11時頃に引き上げたがそのまま飲んでしまい、結局1時くらいまで喋っていた。
 部屋に、昔「TVジョッキー」に出てきた「白いギター」があったのだが、説明しても誰も知らず。ついでにチェリッシュの「白いギター」を歌うのだがこれも通じない。ネットで検索したページを見せて納得してもらう。そんなわけで昔の話(大阪万博やウルトラQなど)を延々としてしまった。悪い癖である。

世界の羊と名寄岩

2005-08-25 23:29:39 | Weblog
 北海道に上陸してからすでに2週間が過ぎている。行きの船で一緒だった自転車の二人は二週間の予定と言っていたから、もうすでに本州へ戻っているかもしれない。こちらは折り返し。日程だけでなく、地図の上でも折り返さねば。
 北海道の夏はとうに終わってしまった。朝晩は寒い。キャンプ場は自分一人。トイレに行ったら、雨でもないのにしきりに雨の音がする。霧が立ち込めていて、林立する木々の葉っぱから水滴が落ちるので雨の音がするのだ。自分のいるところは林でないのでこんな不思議になる。
 朝飯を食い、ブログを打つが、ネットにつながらずアップできない。ゆっくりと出発。管理棟に女性がいて、あそこの別荘が和泉雅子さんの別荘であると教えてくれた。表に旗が立っているときはそこにいるらしい。とゆうことは、今日は在宅ということだ。別荘の前を通過して「世界のめん羊館」に行く。9時オープンのここを見るため、敢えてのんびりしていたのだ。200円。いろんな種類の羊がいる。大体大人しいが気の立ってるのもいる。メスに乗っかろうと頑張ってるのもいる。エサが100円で売っていて、エサをやっていい羊にはマークが出ている。ダイエット中の羊もいた。
 展示では羊が関連した漢字(美とか義とか)・諺を知ったり、サフォちゃんという羊ロボットにスタンプを押してもらったりできる。羊クイズもある。

 風連町に向かう。特産館で大福や牛乳を買い、公民館隣の民俗資料館へ。十数年前にもここは訪れている。公民館の人に言って開けてもらうのも以前と同じだ。「大したものがないから地元の人も一度見たらもう来ない。」とそのおじさんは言っていた。
 展示ではやはり「フーレンのクマ」が印象的で、これは前と一緒だった。フーレンのクマは樺太犬で、第一次南極越冬隊に同行した犬。タロ・ジロの父親でもある。置き去りにされた15頭の犬のうち、7頭は鎖につながれたまま雪の下で亡くなっていたが、8頭は鎖や首輪を外したりしたようだ。クマもその一頭。生き残ったのは一番若くて体力のあるタロ・ジロだけだったが、他の犬は生まれ故郷を目指して移動したのではないかという説がある。なお、二頭が生きて発見される数ヶ月前に、犬が高い確率で生きていると予言した犬養教授という人がいた。
 他に印象的なのはサカノタイソンという、ばんえい競馬で28戦26勝という凄い成績をおさめた馬の展示。平成8年から11年にかけてのことなので、前回の展示には当然なかった。
 子馬の剥製、ミシン(何故か6台もある)、2Fには屯田兵屋などもあったが、確かに他の地域の資料館と同じで、前出の二つを除いてはあまり印象に残るものがない。公民館の人がまた来た。これから名寄に行くというと、「名寄には立派な博物館がある」という。北国博物館のことを指してるのだろう。学芸員が常駐し、企画展や特別展、各種催しを行うようでないと人は来ないに違いない。それには人と予算という問題が関わっていて難しいことではある。郷土資料館の存在意義、という根幹の問題につながるだろう。ここだけの話ではなく。

 名寄市。駅近くのロッテリアで昼食を食べ、スーパーでコロッケなど今日の夕食の買い物をする。切れていたインスタントコーヒーも買う。コーヒーがあるとなしでは大違いだ。
 名寄市北国博物館は200円。外に珍しい機関車の実物展示がある。特別展ではきのこを扱っている。健康食品で注目を浴びているカバノアナタケの写真と説明もある。ガンやエイズに聞くとのことだが、疑わしい。
 常設展。展示ごとにキーワードがあったりして、何か哲学を感じる。北海道というと寒い地域という印象があるが、名寄の北緯は44度。地球儀で見るとハルピンやブカレスト、ジェノバといった市のあたり。イギリスなんか全然上なのだ。ロシアなんか全土が北海道より北だ。いかに寒い地域の多くの国があり人が住んでいることか。こうして見ると日本は結構南に位置していると思えなくもない。
 ここは「北国」という名称がある通り、寒さや雪というのが展示を貫いている。その証拠に竪穴式住居を元とした復元家屋の屋根には雪が乗っている。寒さを如何にしのぐか。暖をとる(ストーブ・こたつ)、寒さをふせぐ(手袋・コート)、雪をのぞく(雪押し・ジョンバ)といったそれぞれの機能ごとにその道具が並んでいる。また利雪という観点からは、雪上を歩く(スキー・かんじき)、雪上を運ぶ(橇)といった感じ。
 郷土コーナーでは天然記念物の高師小僧や鈴石といった変わった石、アイヌ伝承者の北風磯吉、「怒り金時」の異名をとった相撲取りの名寄岩が紹介されている。特に名寄岩については、受付でパンフをただで貰える。
 2Fには図書のコーナーもある。「月刊たくさんのふしぎ」という雑誌があって面白い。

 下川町に向かう。市街地を右に折れ、万里の長城のある桜ヶ丘公園に。公園内のロケットのようなユニークな形の建物がふるさと交流館だ。200円。展望台に上った後、展示室に向かう。各種動物の剥製、考古遺物、民俗資料が並ぶ。体験コーナーがあって、レコードを聴いたり(ステレオが故障中でこの日は聞けず)、足踏みオルガンを弾いたり、クマなどの毛皮に触れる。また箱を引き出して自由に中のものを触ったりできる。(馬橇の鈴とかサイレン、けん玉、手動計算機など)
 サンル金山というのがあり、大正15年より発掘。住宅や学校なども出来て市街地を形成した。戦時統制で閉鎖するが戦後に再開。昭和51年に休止。「鉱山のくらし」という写真があるが、カラーの写真も混ざっていた。
 バチバチと呼ばれる2台の橇を組み合わせたものもある。木材を山の土場から市街地へ運ぶのにかかせない道具。帰りの馬は道を間違わないので、馬夫は寝たり、焼酎を飲んだりできたらしい。そうしたことを書いた解説シートがたくさんある。企画展では昭和30年代の「下川新聞」を展示していたが、これは見る時間がなかった。
 
 公園を後にして先へ。峠があるので、それは明日に回すことにして名寄川の河原にテント。今日は6時前とまだ明るいうちにテントを張り、夕食。早めに合羽などを着て寝袋に包まる。ラジオを聞くと、関東は台風の影響で軒並み電車が止まっているらしい。長距離フェリーも運休とか。北海道まで来るのは明後日ぐらいだろう。
 

「遠い海の記憶」と「にゃーこちゃん」

2005-08-24 23:27:46 | Weblog
 恐ろしく寒い。マジでセーターが必要だ。日中はTシャツに半ズボンだが夜は長袖のシャツとGパンをその上に着る。そして寝袋に包まるのだが、昨日はそれでも寒く合羽の上下を着た。朝起きると、外は一面の霧である。ラジオを聞く。稚内では4度を記録したという。道内で5度以下になるのは50何日ぶりだとか。
 NHKのラジオを朝夜に聞くのだが、時として懐かしい歌が流れる。昔、NHKの少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」のエンディングの音楽が流れてきた。このアンニュイでどっか不気味な感じのメロディ。曲名は「遠い海の記憶」だそうだ。歌詞も部分的に覚えていた。ああ、70年代。
 飯を食って出発する。塩狩峠にさしかかる。ここで塩狩峠記念館というのを発見。何でも三浦綾子の旧宅だそうだ。入館料は無料だが、パンフ代200円を払う。三浦綾子が「氷点」を書き上げたときの雑貨屋だった家。それが後に解体されることになった時、保存する運動が持ち上がって、結局ここに移築されることになった。「塩狩峠」は三浦綾子の小説の作品名でもある。キリスト教徒だった蒸気機関車の機関士が、連結機の事故で暴走した客車を止めようと身を挺した話で、実話に基づいている。三浦綾子の半生を詳しく紹介しており、昨日見た三浦綾子記念館より細かに書いている部分がある。ここでユニークなのは口述筆記が体験できることだ。CDから三浦綾子の声が流れてくるので、それを原稿用紙に書いていく。これが難しい。話す方も結構大変だと思う。
 館を出て出発しようと思ったら、突然フロントバッグにトンボが止まった。よく見ると羽虫を食っている。トンボは肉食なのだ。大きな頭と小さな胴に、このでかい羽虫がよく収まるものだと感心して見る。すっかり食い終わるのを見届けてから出発。
 和寒町郷土資料館は無料。公民館の隣にあり、公民館の事務室で見学を申し出る。謎の人面石もある。ペオッペ川流域で砂金が発見されて賑わったとか、マッチ工業、そして和寒の特産品となった除虫菊の加工工場。一時期は東京から夏の間アルバイトの学生を雇うほどで、アルバイトをした早稲田生の作った「除虫菊小唄」の歌詞も飾られている。
 エンドレスで流れているテープの文句が素晴らしいのでちょっと紹介する。「(昔の人の生活について)何故かと考えたり、恵まれている今日と比較したりすることによって、今の自分を正しく見つめ、これからの生き方や、ふるさと和寒の文化発展について考えてみたいものです。」--どうです。素晴らしいでしょう。
 ちなみに和寒では「日本玉入れ選手権」という催しが9月に行われるそうで、もう10回にもなるらしい。札幌の方では雪合戦の世界大会(かなり本格的)をやっていたが、いろんなことを考える人がいるものだ。
 
 和寒を後にして剣淵町へ向かう。ここは絵本の里だそうで、剣淵町絵本の館に入る。無料だが、絵本の原画展をやっておりこれは300円。ここは図書館のような感じで、いろんな絵本が見れるし、一般の本もある。けんぶち絵本の里大賞の投票をやっていたので、何冊か気になったのを見る。サカナくんが絵と文章を書いた本もある。自宅出産の絵本があって、これは絵でなく写真なのだが、小学生(中学生?)の息子にへその緒を切らしてる写真があって凄いと思った。結局、「にゃーこちゃん」という絵本に一票を投じた。僕も猫好きなのでよく分かるが、見開きの「ああ、にゃーこちゃん!」という頁に作者の思いが詰まってると思った。多分実話だろう。
 すぐ裏に剣淵町資料館がある。ユニークなのは、入植時代、大正時代、昭和十年代、昭和三十年代とそれぞれの時代ごとに屋内の再現展示を並べているところ。だんだん人間らしい生活になってゆく。木材の搬送道具(バチバチ一式)が展示室中央にある。2Fは軍隊関係、屯田資料、生活用具など。3人のボランティアの人々が分類・整理・展示したのだそうな。

 急いで士別市へ。士別市立博物館は100円。士別ゆかりの人として、畠山みどりや輪島功一、和泉雅子も紹介されている。例によって開拓移住、林業、畜産などと展示が続く。面白いのは昭和45年の新聞で、クマと出会って鎌で一撃し撃退したおじいさんの記事が出ていること。後に仕留められた時毛皮を購入し、剥製に仕立て上げて町に寄付したという。残念ながら博物館の中にそれらしいクマはいなかったが。
 奥に士別公会堂だった建物があり、こちらにも展示がある。一つは北方圏北極地域資料室で、和泉雅子さんが北極点に到達したときのスノーモービル「エクセル川」やビデオ、北方民族の人形や生活用具などが展示されている。もう一つは彫刻家・阿部晃工の作品の並ぶ部屋。最初はあまり関心がなかったが、22歳の時に東京で生活苦のため故郷に帰ろうとした時に、母から来た手紙というのが凄かった。「乞食でも野良犬でも食べています。」「食べられなければ食べずに死になさい。」といった激しい文面で、まるで今の自分を叱咤されているようだった。そうだ。食えなければ食わずに死ねばいいのだ。この手紙を読んで一念発起し、東京美術学校へ合格、彫刻家として成功したのだと思う。

 博物館の近くにキャンプ場があることが分かり、そこで泊まることに。近くのホテルで入浴し、ついでにレストランでサフォークラム丼(1050円)を食べる。北海道に上陸しながらあまり豪華なものは食べてないので、こうゆうのは食べておかないとあとあと後悔すると思い食ってしまうのである。キャンプ場はさすがに時期外れか、無料であるのに僕のほかは誰もいなかった。


三浦綾子と川のおもしろ館

2005-08-23 23:26:25 | Weblog
 今日は火曜日なので、月曜休館だった施設を軒並み見るつもり。朝飯を作る気力がなく、コンビニでおにぎりを買って食う。
 まずは道の駅あさひかわに行ってスタンプを押し、市の博物館に。何と無料。擦文時代の竪穴住居、アイヌのチセ(上川ではササが用いられる)、屯田兵屋が並び、中央には木が立っている。地下は細かな展示。神居古潭のおう穴群、擦文時代の遺跡から出土したふいごの羽口(鉄器を作っていた)、ペニウンクル(上川地方のアイヌの総称)の生活など。中央は自然や生き物の展示。冬眠動物の不思議が示されている。その向こうは屯田兵や第七師団、戦後の生活などと続く。タダなのになかなか面白かった。平成5年の開館とのこと。ショップでは、マスコットキャラのドグーのストラップやクッキーも売っている。
 三浦綾子記念文学館は500円。氷点ブームを巻き起こし小説「氷点」で文壇に華々しく登場した三浦綾子だが、戦時中国民学校の教師として皇軍教育をしてきたという十字架を負い、その後も結核や脊椎カリエスで寝たきりの闘病生活をしてきたとは知らなかった。特別展では最後の長編小説「銃口」を扱っている。戦争に対する強い思いがこの小説にも表れている。この作品は第一回井原西鶴賞を受賞しているが、自宅での授賞式の映像を見ると、とても受賞作家としての華々しい姿とはほど遠い、自らを責めるような謙虚さが映し出されている。しかしこの夫婦は本当に仲がいい。世の一般的な夫婦と比べると驚くほどだ。
 常盤公園に行く。「川のおもしろ館」は前にも入ったことがあるが、中は全然変わっていた。間違い探しや、カヌーに乗って川を下りながらクイズに応えるなど、いろいろと面白い展示がたくさんある。すっかり楽しんでしまった。
 隣の青少年科学館に入ろうとしたら、何と移転したとの張り紙。7月にオープンしたばかりの科学館サイパルまで走る。常設展は400円。プラネタリウムとの共通券は500円だが、流石に見てる時間がない。(この後、井上靖記念館を見たいため) いろいろと最新の展示があるのだが、人気の高いものは整理券を配っているので、早い時間に行かないと楽しめないかも。真っ暗な空間を手探りで歩くのは単純だが面白い。ロボット犬でサッカーをして人工知能犬と戦うコーナーは盛り上がっていた。北国の動物が大きくなるというベルグマンの法則を説明する展示、人体の輪切りの映像を見るコーナーなどいろいろとある。ここもパスポートが1000円なので安いと思う。
 再び常葉公園に戻り、さらに昨日行った北鎮記念館のある自衛隊の敷地の後ろを回って井上靖記念館にたどり着いた。ここは何と無料。井上靖はここ旭川の出身。父は軍医だった。映像もあって、氏の人生がよく分かる。新聞記者時代に美術を担当し、何人もの一流の芸術家と出会ったのが後の作家生活の肥やしになっているようだ。
 隣には中原悌二郎記念彫刻美術館がある。もう4時50分くらいだったので見れないだろうと思っていたが、無料だし入館を断られなかったので急いで見て回った。流石に1Fの特別展は見れなかったが。
 北へ向かう。6時。10キロ先の峠の向こうのキャンプ場にたどり着くのはちょっと無理そうなので、石狩川に出て河原にテントを張る。ラジオを聞くと、駒大苫小牧の暴力事件とか、あるいは選挙(田中康雄とか)の話とかが盛んだ。
 いろいろ不安を感じながら寝袋にくるまる。 


旭山動物園と人魂

2005-08-22 23:24:48 | Weblog
 朝にはまだ雨が少し降っていたが、飯を作って食い、テントを畳むころには雨は止んでいた。美瑛川を見ると、木の枝は勿論、木がまるまる一本流れていたりして凄いことになっている。
 国道39から道道140に入り東に向かう。旭川兵村記念館は500円。最初に5分程度のビデオ「旭川の夜明け」を見る。麦茶を貰う。樺戸の集治監が作ったという官給井戸や屯田兵屋。末武安次郎が考案したタコ足式直播器などの農具が並ぶ。流産鍋というのもある。屯田兵の嫁が臨月の時、この鍋を下ろして二度も流産したといういわくつきの鍋だ。旭川出身の「空の四勇」という展示もある。また、この地方は四国出身者が多かったため浄瑠璃が流行ったというのも面白い。特別展は「靖国神社の花嫁人形展」。独身で清いからだのまま散っていった兵隊の母や姉たちが、花嫁人形を靖国神社に奉納し、せめてあの世で添わせてあげようとしたもの。こうした戦争関係の展示を見ると、当時の軍部や日本政府の無能にふつふつと怒りがこみ上げるのは自分だけではあるまい。最近、当時の戦争を肯定しようという動きがたびたびかいま見えるが、侵略戦争かどうかなどという以前に、こうしたものを見ると、特攻兵器などを考えたあの戦争を到底首肯できないのは当然のことだ。
 140をそのまま進み旭山動物園に行く。今や日本一の動物園として全国的に有名になった場所。関連の書籍も何冊も出ている。果たして評判通りなのか否か。入園料は580円。年間パスポートが1000円だからこれは安い。2回で元が取れるなら市民はみんな買うだろう。「ととりの村」という水鳥の施設。あまり飛んでる鳥がいない。金網と違ってネットだから安上がりでできるのかも。ぺんぎん館に入る。ぺんぎんが泳ぐ姿を真下から眺められる。人が多いので立ち止まれず、泳いでくれるぺんぎんも少なくてあまり堪能できない。もうじゅう館へ。アムール虎が目の前で寝ている。何故ここで寝るの?という感じ。ユキヒョウも2頭、観客の真上で寝てくれている。凄い。
 カバの隣に片羽のカラスがいる。通常こうして持ち込まれたカラスは有害鳥獣として処分されるのだそうだ。悲しい話ではある。こいつはそうした展示効果を狙って展示している。
 腹が減ったのでやきそばなどを食べる。札幌市の円山動物園と比べると、売店の数は圧倒的に少ない。まあ向こうが多すぎるのか。常に混んでいるので、もっとあってもいいとは思うが。
 くもざる・かぴばら館は最近できたばかり。かぴばらは寝てるだけで、あまり一緒にいる必然性を感じない。おらんうーたん館では綱渡りを見逃してしまう。サル山は実際の木があったり土の部分があるのが新しいと思った。まあ今までの岩山スタイルが不自然すぎたわけだが。でもサル的にはどちらでもよさそうだった。
 アザラシとホッキョクグマも見る。ホッキョクグマは残念ながら寝ているだけで泳いでくれなかった。アザラシは、陸の部分に港の風景を再現しているのがユニークだなと思って見ていたら、カモメがいた。羽を切って飛べなくしたカモメを置いている、ということなのだろうか。

 案の定動物園で時間を取りすぎたので急ぐ。男山酒造り資料館。酒造りの工程とその道具が並ぶ。面白いのは江戸時代資料室で、江戸時代の浮世絵に男山の酒樽がよく描かれているのだ。吉良を討ち果たした赤穂浪士の面々が「江戸の名だたる男山を」飲むシーンもある。当時は北海道に酒蔵があったわけでもないから、いつこちらへ移動したのか、その辺の歴史がどうもよく分からない。1Fの試飲コーナーでは、盛んに車の運転ではないか聞かれてしまった。社員教育がよくできている。表にある水をついでにボトルに汲んでくる。
 北鎮記念館に。ここは自衛隊の敷地内だ。4時までなのだが、点いたのが3:45。十分ぐらいしか見る時間がない。表面だけを見る。屯田兵の歴史、そして旭川第七師団の歴史の展示。日露戦争や太平洋戦争との係わり合い、最近ではルワンダ難民救援やイラク復興支援の展示もあったりする。
 川村カ子ト(かねと)アイヌ記念館は500円。川村カ子トはアイヌ出身の測量技師で、長野県飯田線や北海道滝川線の敷設に貢献している。戦後、記念館を設立。トナカイがアイヌ語だというのはさっき動物園で知ったが、他にもラッコ、エトピリカ、コンブ、ルイベ、マタギ、ハスカップなどがアイヌ語だそうだ。アイヌの刑罰の展示は他であまり見ないので面白かった。大正3年のイヨマンテの写真もある。

 昨日寝た場所の近く、美瑛川の河原にテントを張る。すでに夜だったが、川面に不思議な青い光が動いていった。人魂か、と思ったが、よく見てみると、その数分後、全く同じように光が流れていく。川の流れと全く同じスピードだった。これを考えるに、灯篭流しの明かりではないかと思う。人魂かと期待したのだが残念だった。