アロハなひととき

気になる印刷ショップの社長のアロハな日々。

関寛斎と濱口梧陵

2014-11-01 08:02:02 | 日記



関寛斎は「1830年(文政13年)、上総国(現在の千葉県東金市)東中の農家の子として生まれる。養父の儒家関俊輔に薫陶され、長じて佐倉順天堂に入り、佐藤泰然に蘭医学を学び、26歳の時銚子で開業。豪商濱口梧陵の支援で長崎に遊学、オランダ人医師ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに最新の医学を学び、銚子を去って徳島藩の典医となる。戊辰役には官軍の奥羽出張病院長として、敵味方の別なく治療に当る。信ずるところあって徳島に帰り、一町医者として庶民の診療、種痘奉仕などに尽力し、「関大明神」と慕われる。
1902年(明治35年)、72歳にして一念発起し、原野だった北海道陸別町の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの土地を開放し、自作農創設を志すが果たせず、1912年(大正元年)82歳にして服毒により自らの命を絶つ。」(ウィキペディアより)

関寛斎は銚子に来て、中央町の大阪屋薬局あたりで医院を開業し、ヤマサ醤油の濱口梧陵と交流し援助を受け、長崎に蘭医学の留学にいく。

銚子では、コレラの防疫に成果をあげ、現在の予防医学の観点から旧「磯屋ホテル」あたりに海水浴場を開設したり、近くにサナトリウムのような療養所を作ったという。

濱口梧陵は「稲むらの火」で有名だが、紀州広村の津波復興に私財を投じて巨大な堤防の建設を「住民百世の安堵を図る」として成し遂げている。

今回のシンポジウムでは、地域医療と防災の視点から二人を捉えていく。


銚子市長、関寛斎が生まれた東金市から東金市長、5代目子孫の梅村氏、北海道から開拓の祖としている陸別町長などを、お迎えして開催します。



実行委員長の越川氏に巻き込まれ、会計役にされてしまった。よろしくお願いします。

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