土塊も襤褸も空へ昇り行く:北村虻曳

随想・定型短詩(短歌・俳句・川柳)・写真
2013/11/11開設

近畿大学

2015-06-12 | 随想
(写真:「近大をぶっ壊す:超近大プロジェクト」、いま東大阪キャンパスは大改造中です。)

<近畿大学>

かって自分の居た、そして形式的な縁も切れてしまったところであるが、近畿大学について、良い所、悪いところ、思っていることを書く。世評のズレを歯がゆく感じているのである。

関西の私学の受験序列では、まず関関同立があって、その次が産近甲龍ということになってきた。入試の「偏差値」で順位をつけるとそうなるのだろう。
しかしこれは学術的な大学の評価とはかけ離れている。最新の University Ranking by Academic Performance (URAP) によると、近畿大学は日本で25位、私学だけでいうと、慶応、早稲田、日本、東京理科についで5位となっている。日、理、近は23,24,25位で肩を並べているのだ。次が立命で32位、関関同ははるかに下である。この順位は、論文数、その引用数、国際協力などを計算して出されている。有名な
Thomson Reuters のランク付けも悪くなかったと記憶する。たしか、そこでは立命が近大より上になる。

この高評価は旺盛な研究活動によるものであろう。それが可能になった一つの要因としては、学会、研究会の発表に対して出張旅費をかなり自由に出してくれたことがあるのではないかと思う。個人研究費で書籍、ソフトが買えるのも大きかった。上に挙げた上位の私学もおそらく似たような、あるいはそれ以上の環境であろう。理学の理論系や文化系の多くでは、巨大な設備ではなくて情報交換、発信が大切なのだから、大金額でなくても、個人で、申請などが手軽に、自由に使えれば成果は出るのである。何処かの大学で大きな不正事件があるたびに不自由になっていくのだが。

私の専門:理学科数学コースで言えば、私が就職した頃は、論文を出し続けている同僚はいなかった。私も同様であった。しかし就職難の時代が来て優秀な人が入り、さらに研究職に対する公募制が導入され、我々旧人も刺激を受けた。退職する頃には科研費を取得している同僚は、常に2/3にのぼった。これは採択率、つまり応募した人数に対しての割合ではなく、所属全研究者14人ほどに対する割合であるから、飛び抜けて高いといえるだろう。もっとも設備はあまり要らないし、事務に頼れない小世帯なので種目は主として個人中心の「基盤(C)」となり、取得金額は多くはない。
人事がオープンになったことで、入る人だけでなく他大学へ転出する人も多くなった。これは活発な人が入っている当然の帰結であるが、相変わらず「弟子」からだけ人を取ることに熱心な学科からは「数学の人事は見る目がない」などと批判を浴びているようだ。そのままお返ししたい言葉である。転出の主原因はおそらく持ちコマ数の多さと、下に述べる入試業務の負担であろう。これもずいぶん改善されたが、私学全体の情勢から見てこれ以上はなかなか難しいであろう。

しかし世評は近畿大学に対して厳しい。スポーツなど元気で売っている大学で勉強方面はダメと見られている。これは、経営者、事務等の中枢の人たちが、受験生人数を中心評価軸にして、教員、学生の質を軽視し、研究一般についても軽視してきた伝統がもたらしたのではないかと思う。事務員の研修で「うちの教員はレベルが低い」と吹き込んでいたようなふしもある。またむかし、大学のトップから「たくさん受験生を集めるために、入試問題のレベルを中学生に解けるところまで落とせ」という話が出たことさえある。理工で「数学IIIを受験科目から外せ」という指令が出たこともある。これはさすがに優秀な受験生から苦情がたくさん出て、1年で取り下げられた。この頃は、我々や入試事務室では事情がわかっているが、その情報が上層部に届かないのであった。直訴に激怒する事務管理職もいたのだ。ご存知のように、私学では事務管理職の力はとても大きい。実力不相応なポジションに就いた人が無理に業績をあげようとすると大変なことになる。「俗流営利主義」の横行だ。むろんとても尊敬すべき優秀な人もいたが、苦労されたであろう。事務の人事はそんなわけでとても大事なのであるが、過去においてはコネが横行していた。現在はどうなのだろう。

最近はスポーツだけでなく、マグロ養殖の大成果もあって、実用的な成果が見える研究については、大学外でも大学内でも評価されようになった。これはむろんとても結構であり、私学の採るべき有力な方向ではある。
しかし基礎的な学問については今も正当な評価はされていないのではないだろうか。大学内では、教育、高校生への宣伝、人事、補助金申請など多岐にわたる用務をこなしながらも、研究成果を上げている教員の努力を評価してもらいたいものだ。授業コマ数、試験採点料、入試問題作成など多量の業務をこなしながら、研究では他大学の研究者と対等に渡り合っているのである。

私の経験で言えば、私自身は教育、学外での宣伝は無能、無様であまり携わっていないが、入試業務についてはかなりの仕事を行ってきた。連年数人のチームで、4題のセットを4組作成していた。就職以来33年、1年も休んだことはない。私の聞く国立大学では2,3年に1題作成する程度である。出題ミスは多方面に迷惑をかけるのでとても神経を使うのであるが、私の眼を逃れたはっきりした出題ミスは、たしか6セット作成していた時の1度だけである。問題内容についても耳に入る範囲では「難しいが考えぬかれていると」好評である。

大学内で基礎的な研究も高く評価していただければ、それは大学外にも伝わり、さらに良い教員と学生を呼ぶ事につながる。そして大学本来の力の評価を高めることになるだろう。近年、延べ受験者数日本一についたのだから、今度はアカデミックな質の向上に取り組んでもらいたいものだ。研究を一部の大学に限ろうとする最近の文部省の大学改革方針の前に、こんな言は一笑に付されそうであるが。

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2 コメント

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その後 ()
2016-06-12 10:45:59
これを書く前に「固定概念を、ぶっ壊す。」という広告が出て2013年度朝日広告賞をとっている。これは「関関同立」への挑戦であろう。2014年からの受験者数日本一で余裕も出たのか、2015年正月には「マグロ大学って言うてるヤツ、誰や?」という話題を呼んだ広告を出している。大学中枢が研究・教育の水準全般に関心を寄せ始めているのであろう。余力をいいところに注いではしい。
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Unknown (北村虻曳)
2017-06-12 10:17:35
この1,2年、大学自身が教育と研究の質についてアピールすることに力を入れはじめた。また内外のいろいろな大学評価で、研究面でも高い評価を受けている。例えば
http://kindaipicks.com/article/000934
これ一つではない。上の文で希望したことはかなり実現された。
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