妄想日記

妄想・考察・スロット

夏休み前フォトメ相談室(3)

2006年07月25日 | コラム

■Q3■
『カレシ募集、という言葉に抵抗があるのですが…』

[質問]
 カレシがほしくてほしくてたまらないのでフォトメに投稿しようと思うのですが、でも、「カレシ募集」と書くことに抵抗があります。
 募集してすぐ手に入っちゃう恋愛って、なんだか超お手軽っていうか、間に合わせの恋愛ゴッコみたいで…。
 でも、「カレシ募集」と書くのがためらわれるからって、「友達募集」って書くと嘘になっちゃいますよね。欲しいのはやっぱりカレシだし…。第一、フォトメで友達を募集するっていうのも白々しい気がします。
 いったいボクは、どう書いて投稿したらいいでしょうか。


[回答]
 なるほど。気持ちはよく分かります。
 あなたと同じように、
「フォトメで知り合って、いきなり恋人同士になるなんて嘘臭い」
 と感じる人は多いと思いますよ。
 そしてそういう人々はいろいろと投稿文を工夫しているのです。
 …が、
 しかし、「カレシ募集」に代えて考案されたそれらの文章(代替文)にも、どこかしら問題があるのが現状です。

 今回は、そういったよくある代替文の例と、その問題点および改善案を紹介して回答に代えることにしましょう。



▼よくある代替文例(その1)
『まずは友達から始めて、恋愛関係に発展できるような人を募集します』

 ネットで募集していきなり恋人同士になる…というウサンくささを解消することを主眼においた投稿文で、恋愛に対するマジメさを適度にアピールできることから、非常に広範に用いられています。
 が、
 恋愛に対するマジメさに気を遣うあまり、友情に対するマジメさが顧みられていないのが惜しまれるところです。
 相談者の指摘にもあるように、そもそもフォトメで友人関係を築こうとする発想を受け入れ難く感じる人も多く、もしそういう人たちがこの代替文を目にすれば、
「友達から始めて…」
 という部分に大いに違和感を覚えることでしょう。

 しかし、それは言葉のアヤというもの。
 ここでいう「友達」とは何も、厚い友情で結ばれた人間関係のことなどではなく、ただ単に、恋愛関係に至る以前にワンステップが欲しい、という心情を表現したものに過ぎないのです。そしてその「ワンステップ」は、人により様々な関係が想定されていることでしょう。

 では、投稿者が考える「関係の発展の仕方」に則した投稿文にするため、次のような文章に変えてみてはどうでしょうか。

(1)『まずは顔見知りから始めて、恋愛関係に発展できるような人を募集します』

(2)『まずはセフレから始めて、恋愛関係に発展できるような人を募集します』

(3)『まずは援助から始めて、扶養関係に発展してくれるような人を募集します。住むところもなく困っています。なんでもするので助けてください! 家事は得意ではありませんが、フェ○はうまいとよく言われます!』



▼よくある代替文例(その2)
『カレシ候補を募集します!』

(カレシは募集して見つかるようなものじゃないと思うけど、でも、「友達募集」っていうのは本意じゃないし…)
 という思考の末に生まれた迷文がこれです。気持ちは分かるのですが、しかし、かなりヘンテコな文だと言わざるをえません。

 なぜ、奇妙に感じられるのでしょうか。

 その原因はもちろん、「候補」という言葉にあります。
 ちょっと考えてみましょう。相手が「候補」なら、投稿者(あなた)はなんなのでしょうか?
 面接官?
 審査員?
 いずれにせよ、候補者の当落を決定する側の人間ということでしょう。
 もちろん、相手をカレシにするもしないもあなたの心ひとつなわけですから、この例えは適切なものだと言えます。

 しかし、もうちょっと考えてみてください。果たして審査しているのはあなただけでしょうか?
 そう、
 相手も同様に、あなたを審査しているのです。視点を変えれば候補者と審査官が入れ替わるわけで、つまるところ両者の立場は同じなのです。(もちろん、それぞれが相手をどう評価するかにより恋愛関係におけるパワーバランスは崩れますが、今はその前段の話です)

 つまり投稿者には、本来「審査官」と「候補者」という二面性が備わっているわけですが…
 ここで、
「カレシ候補を募集します!」
 とフォトメに投稿するとどうなるでしょう。
 これはすなわち、自分の立ち位置を「審査官」に特化しようとする行為です。と同時に、他の人間を否応なく「候補者」として自分の下に這いつくばらせようとする行為にほかなりません。
 あくまで主権は自分にあるのだというその傲岸不遜極まりない宣言は、
「朕は国家なり」
 といったルイ14世の言葉に通ずるものだといえるでしょう。民衆の心があなたから離れていくのも道理なのです。

 では、どう書けばよいのでしょうか。
 簡単です。
 要は腰を低くすればよいのですから、次のように書いてみましょう。

『ボクをカレシ候補にしてください!』

 ここまでへりくだれば、日本人が見失った謙虚さの美徳に、多くのゲイが胸をつかれること間違いなしです。
 また、「安売り感」も十分ですから、いつもはお高い商品に手が出せず、フォトメをウインドウショッピングしているだけの庶民にも手をのばしやすく感じてもらえるかもしれません。

 しかし、
「ボクをカレシ候補に!」
 …と自ら立候補するなんてそんな大それたこと、とてもできないよ…と尻込みする人も多いことでしょう。奥ゆかしさは日本人の美徳ですから、その気持ちは大事にしていただきたいもの。
 ではここはひとつ目先を変えて、

『○○くんをカレシ候補に推薦します!』

 と書いてみてはどうでしょうか。
 一刻も早くカレシを見つけてあんなことやこんなことをしたい…と妄想その他を膨らませているあなたが、他人の幸せのおせっかいをやいている場合でないことは分かります。
 …が、
 ここは「お返し」の美徳が根付く日本。遠回りなように思えても、いずれはあなたも同じように、誰かから推薦してもらえるはずです。

 え?

 もし誰もあなたを推薦してくれなかったら?
 そのときは、こう投稿すればいいのです。

『誰かボクをカレシ候補に推薦してください!』

 こうなってはもう、何がなんだかよく分かりません。
 …が、少なくともあなたがカレシ募集中であることだけは、みんなに理解してもらえることでしょう。



(回答者:鷺ヶ蔵能勢雄)




   (夏休み前フォトメ相談室・第3回 おわり)





夏休み前フォトメ相談室(2)

2006年07月07日 | コラム
■Q2■
『もらったメールには全て返信すべき?』

[質問]
 これからフォトメデビューしようと思っている50代ガチムチ系の者です。半年前から月に1回は必ずジムに通っているので30歳くらいにしか見られず、ゲイの集まる場所ではみんなのイヤラシい視線が私に集まるのが分かります。当然、ヤリ部屋では元をとらずに帰ったことはありません。(もっとも、ああいう場所にイケメンはいないので、相当妥協しています)
 そんな私ですが、そろそろ特定の恋人が欲しくなりました。
 フォトメに載せようかと思うのですが…ただ、イケてない人からのメールには返信する気になれないのです。
 もちろん投稿文には、
「身長180㎝以上・水泳体型・坊主・一重・20歳前後のさわやか系・バリタチ・デカマラ・ちょいS←これらに全て該当する人以外にはレスしません!」
 と、タイプを明記するつもりです。
しかし、それでも勘違い野郎からメールが来てしまった場合、やはり返信しなければいけませんか。


[回答]
 まさかアナタの口から「勘違い野郎」などという言葉が出るとは驚きでした。今年のフォトメびっくり大賞にノミネートしておきます。

 ところで、ファミレスのドリンクバーは50杯お代わりしても元がとれないのだそうですが…ハッテン場で元をとらずには帰らないというアナタがいったいどれだけハッスルしてらっしゃるのか、気になります。(ひょっとして、「相当妥協しています」…というのは、ウサ晴らしに無料コンドームをごっそり持って帰ることなのでしょうか…)

 さて、ご質問にお答えしましょう。
 フォトメに載せたら、気の進まない相手にも返信するべきでしょうか?

 マナーの観点から言えば、そのとおりです。もらったメールには、すべからく返信すべきでしょう。
 …が、そもそもマナーとは、
「自分がされたくないことは人にもしない」
 という思考の中から生まれた相互協定のようなもの。
ですから、もしあなたが逆の立場に立たされたときに不快に感じないと思うのであれば、メールを返さなかったところでなんの差し障りもありません。法律に触れるわけでもないですし、せいぜいアナタが世間の批判を浴びれば済むだけのことです。

 しかしおそらくアナタは、
「メールを返さないことはそんなに悪いことだろうか」
とは思うとしても、決して
「世間の批判を浴びたい」
 と思っているわけではないですよね?
 そうであるならば、世間の批判を軽減する措置を講じてみてはいかがでしょう。

 そのためにはまず、あなたの投稿文案にある、
「これらに全て該当する人以外にはレスしません!」
 という文章を見直す必要があります。
 どこがよくないのかというと、もっとも目に余るのは「!」(感嘆符)です。
 これがあることによってこの文章には切迫感が生じているのですが、そのためにまるで、現実に「これらに全て該当」しない人からウンザリするほどメールが届いていて、おかげで大迷惑を被っているのだ…と言わんばかりに聞こえるのです。そしてネットを通じてこの文章を目にした人にとっては、あたかもこの文章が自分に発せられたものであるかのように感じられてしまいます。何しろ、ほとんどの人はアナタのタイプに合致していないわけですから。
 ですから、彼らはあなたの投稿文を読んで、
(誰がオマエなんぞにメールしたよ!)
 と思うことでしょう。
 そう、
 アナタの書きぶりはまるで、スーパーの店員が店頭で拡声器を使い、買い物客に向かって
「万引きは犯罪です! 見つけたら直ちに警察に引き渡します!」
 と叫んでいるようなものなのです。客たちは、なんて失礼な店だろうと感じるとは思いませんか?

 またこの構図は、掲示板でよく見かける
「デブ・オヤジはマジ勘弁!」
 などという書き方にもあてはまります。
「勘弁(してほしい)」
 とお願いされてしまえば、「デブ・オヤジ」からのアクションがある(あった)ことが前提・既成事実となってしまいます。
 確かにこのレトリックはひとつのテクニックではあるのですが、しかし、使い方が大変に難しいのです。
 誰も言い寄ってこないうちから「マジ勘弁」願うというこの行為は、多くの場合、被害妄想・虚言妄言の類だと思われて終わりとなってしまうことでしょう。
 例えるなら、
「誰か助けて! 先生が…先生がいきなり私を!」
 と叫びながら、自らセーラー服を引き裂いて廊下へ走り出ていくようなものなのです。(どんな理由でそんな行為にいたったのかは知る由もありません…が、オカマ心をくすぐる行動ではあります。このあたりが、「マジ勘弁」が流行した理由のひとつかもしれません)

 では、どのように書けば無用な反感を買わず、かつ、タイプでない相手からのメールにレスしなくても済むのでしょうか。
 このことに限らず、掲示板上で最も慎まなければならないのは、
「何様!?」
 と思わせる発言です。上記の、
「レスしません!」
「マジ勘弁!」
 という書き方もこれに該当することはお分かりでしょう。
 「マジ勘弁」について若干の補足をすると…
 勘弁してほしい、という言葉は、腰を低くしてお願いする言葉です。しかし、願いを聞き届けてもらうために本来丁重に扱うべき相手を「デブ・オヤジ」と蔑んでみせることによって、この文章の本旨は請願の形を借りた揶揄にすぎなくなっているわけです。「何様!?」と思われても仕方がありません。

 ですから、イケない相手にメールを返さず、かつ、揶揄と受け取られないないように断るつもりであれば、
「予め頭を下げてしまおう」
 という発想が生まれます。
 そして、この発想に基づいた最近の流行りは、投稿文の最後にこういう↓一文を加えることです。
 
「メールなかったら、ごめんなさい」

 もちろん、メールを返さないことはマナー違反ですから、こういう言い訳をしておいたからといって許されるものではありません。
 ただ、
「レスしません!」
「マジ勘弁!」
 と書くことに比べれば、いくぶん誠実さが感じられる…というのが、流行の理由なのでしょう。
 …しかし、
 私はむしろ、この文章の不誠実さ、欺瞞が鼻についてなりません。
 おそらく意識せずに選んだ言葉遣いなのでしょうが、
 それにしても、
 なぜ、
「メールなかったら」
 なのでしょう。
 この書き方をした場合に焦点となっているのは、返信メールの「有る・無し」という、事象の問題です。
 が、本来ここで問題にすべきは、投稿者が返信を「する・しない」という、行為であるはずなのです。
 つまり書くとすれば、
「メールなかったら、ごめんなさい」
 ではなく、
「メールしなかったら、ごめんなさい」
 とすべきでしょう。投稿者の意志とは無関係に、自然現象のごとく返信があったりなかったりするなら話は別ですが。
 このように論点のすり替えがあまりに明白で、自分の行為に対して責任をとりたくないという(無意識的な)逃げが透けてみえる書き方をしてしまっては、せっかく「ごめんなさい」と謝ってみせても、誠実さのアピールにはなりません。むしろ不誠実さをアピールしているようなもので、その証拠に、こういった書き方をする投稿者の多くは数日後に再投稿をして、
「先日はたくさんのメールありがとう! 全員にはレスできなかったけど、まだまだ募集してるんで、メールよろしく!」
 というようなことを言ってのけたりします。「レスできなかった」と書いていますが、これも同様の責任放棄です。メールするもしないも投稿者の意志次第なのですから、それをあたかも外的な要因のせいで「できなかった」かのように言うのは欺瞞でしょう。(もっとも、メールをくれた人の外見が原因でメール「できなかった」のだ、と言いたいのかもしれませんが…)
 いずれにせよこれを見た全国の常識人から、
(全員にレスしてから募集しろよ!)
 というツッコミが入っているであろうことは、想像に難くありません。

 話を進めましょう。
 どうすれば、メールを返さなくても(比較的)許されるのでしょうか。
 許されない理由を考えてみたとき、
「メールしたほうの人間は返事を期待しているのだから、返すのが当然だ」
 というマナー論があることはすでに述べました。が、もうちょっと突っ込んで考えてみましょう。
 返信をもらえずに不快感を覚えた人間の心理は概ね、

A 「メールがないということは、ボクのことがタイプではなかったということなのだろう」(がっかり)

B 「しかしこちらは返事を期待しているのだから、タイプと違うなら違うで、そのことをきちんと伝えて断るべきではないのか」(ムカッ)

 という、A(哀)→B(怒)の思考を経たうえでの不快感なのだろうと思います。
 では、この思考経路A→Bを辿らせなければ、不快感というゴールには至らないのではないでしょうか。

 具体的に例をあげてみましょう。

 例えば、
「ぼくは誰にも返信しません。ごめんなさい」
 と書いておくのも手です。
 そうすれば、「誰にも返信しない」と公平な扱いを明言していますから、メールをもらえなかった人も、「自分がイケメンと判断されたかどうか」という思考ルートAに足を踏み入れることがなくなります。
 また、前提は「レス無し」だと断ってあるので、返信がなかったとしても、Bのように文句を言うことはできません。レス無しを了承したうえでメールを出したのですから。
 このとき注意すべきは、
「オヤジにはレスしません!」
 のように断り書きをしていた場合とは違う、ということです。
 どう違うのかといえば、「オヤジはレス無し」と条件付きの断りを入れていた場合には、相手が自分を「オヤジ」だと認識していない場合も多く、その場合、当人は「レス無し」を了承することなくメールを送ってきているからです。この場合、送り主は当然思考Bのように憤慨することでしょう。
 ですから、「無条件にレス無し」としておくのが一番問題がないのです。
 もっとも、
 もちろんあなたは、イケメンから届いたメールには全身全霊を傾けてレスを返すわけです。
「本当は誰にもメールを返さないつもりでしたが、あなたがとても気になったので…」
 とでも書いて返せば、ふたりのときめきタコメーターが一気に回転速度をあげるという効果もあります。

 こうしてみてみると、「誰にも返信しません」というのはなかなか便利な文句のようです。
 ただ問題は、
(何目的の投稿だよ!)
 と思われてしまっては意味がないのではないか、ということですが…
 しかし、投稿文を工夫すれば全く問題はありません。
 要は、
「イケるかどうかに関わりなく、誰にも返信しない」
 あるいは、
「不可抗力により、誰にも返信できない」
 という断りを入れておけばよいのです。

 では最後に、どのように自然なかたちで断りを入れるか、いくつか例をあげておきます。
 ぜひこれを参考にして、イケない相手からのメールに煩わされることなく、快適なフォトメライフを送ってください。


(回答者:鷺ヶ蔵能勢雄)
    


(参考:レスをしないための言い訳集)


(文例1)
 みなさんこんにちは! ぼくは、不治の病を患っているジャニ系の22歳です。
 会った人にはよく、「画像で見るより顔色が悪いね」って言われるかな!(^^)ヾ
 そんなボクですが、カレシを大ボシュウしちゃいます!
 でもイケメン担当医に明日をも知れないかもとか言われてるから、レスできなかったら死んでるんでごめんなさい m( _ _ )m

◎長所
・返信をしなくても、恨みごとを言われる心配がありません。(お悔やみは言われるかもしれません)
・余命があまりないなら後腐れなくていいかも…と考える人からたくさんメールをもらえます。
・純愛に飢えた善良な人々からもたくさんメールをもらえます。

×短所
・純愛に飢えた善良な人々からメールをもらえますが、彼らの純愛は相手が死んではじめて成就するので、早く死なないと何をされるか分かりません。
・「カレシ募集してる場合じゃねーだろ!」と、他人の揚げ足をとることしか楽しみのない心の貧しい人からもたくさんメールが届きます。
・2回以上投稿すると、ほとんどの人にスルーされるようになります。





(文例2)
 放置プレイ希望者募集!
 放置されたいヤツ、画像プロフつきでメールくれ!
 とりあえず全員放置するゼ!

◎長所
・メールを無視しても、かえって悦ばれます。

×短所
・メールをくれたイケメンと会っても、相手は放置希望者なのでイチャイチャできません。





(文例3)
 誰か助けてください! 私の中に69人の人間がいるんです!
 いまこの文章を書いている私(輝夜斗)はゲイです。でも、突然他の人格に体が支配されてしまいます。そのせいで、今までカレシとか全然つくることができませんでした。
 いま私がこういう投稿をしていることに、他の人格は気づいていません。だから、私しか知らないフリーメールのアドレスにメールをお願いします!
 もっとも、私の人格でいられる時間はごくわずかですから、返信できるかどうか分かりませんが…
 とにかく、よろしくお願いします! あ、画像とプロフは必ずつけてくださいね~。ちなみにネコです♪

◎長所
・可哀想な人だと同情してもらえる。
・人格を変えて何度でも投稿できる。
・メールをくれた人と実際に付き合うことになっても、多重人格を理由に遊び放題。

×短所
・会っている最中にときどき人格を変えてみせる必要があり、面倒。
・69も人格があるのに全ての人格がネコだったりするせいで、怪しまれやすい。



   (夏休み前フォトメ相談室・第2回 おわり)





夏休み前フォトメ相談室

2006年07月01日 | コラム

 もうすぐ夏本番。
 夏と言えば恋の季節だね!
 でも、夏になってから恋をしようなんて考えてちゃ、イイヒトを見つけた頃には夏が終わっちゃうゾ。
 ライバルを一歩リードして夏をエンジョイするために、今からいろんな人と出会っておこうよ!
 え?
 どうやって出会ったらいいかって?
 そこで役に立つのが、写真付き出会い掲示板、通称フォトメ。
「でも、フォトメに載せるのってなんだか怖いし…」
 なんて心配してるそこのキミ!
 そんなキミのために、フォトメについてのお悩みにどしどしお答えしちゃうゾ!

 回答者は、岡山男子短期大学付属出会い総合研究所所長、鷺ヶ蔵能勢雄博士です。


■Q1■
『非イケメンのフォトメ投稿はOK?』

[質問]
 これまでネットでカレシを探してきたのですが、なかなかいい出会いがありません。
 こうなったら勇気を出してフォトメに載せてみようと思うのですが、ぼくみたいにあまりイケてない者が載せるのはヒンシュクでしょうか。
 ちなみに、野村沙知代を不細工にしたような顔だとよく言われます。


[回答]
 個人的にはいい加減にしろと思いますが、載せたければ載せたらいいんじゃないですか。
 どんなに吐き気を催すほど醜くても、蓼食う虫も好きずきという言葉もあります。

 蓼というのはタデ科タデ属の植物の総称ですが、蓼の葉なんて、辛くて常人には食えたもんじゃありません。どうしても食べようと思ったら蓼酢にして調味料に用いたりしますが、結局のところメインディッシュや、毎日食べても飽きない主食にはなれない宿命なのです。せいぜい、気が向いたときたま~に使ってもらえる程度…。辛くて酸っぱくいというあたりも含め、まるでアナタの恋愛遍歴のようではありませんか。

 しかし、
 線を一本加えてやりさえすれば、蓼の「辛」さも「幸」せに変わります。そして、その線となるのがフォトメなのです。

 フォトメを見てメールをくれた人は少なくともアナタのルックスをタイプだと感じているわけですから、今までのように画像を送った途端にメールが途絶えた…などということもなくなるでしょう。
 つまりアナタは、選ばれる(選ばれない?)側から、選ぶ側に変わることができるのです!

 そして投稿者の多くは、まさにこの効果をこそ期待してフォトメに顔を出しているわけです。そう、自分を主食にしてくれる希少な虫を求めて…。

 今あなたの前には、「フォトメ」という無農薬の蓼畑が無限に広がっているのです。



   (夏休み前フォトメ相談室・第1回 おわり)