27日
【期間限定封入特典:アルバムとDVDのW購入応募券企画】
なっつん♪ 当選♪
で、早速写真撮らせてもらいました♪
踵側に付いてる“タグ”(で、いいのか?)が可愛い♪
二人がデザインしたギターイラストが付いてます♪
おめでとう~♪☆
平川地へのオモイ
あちらこちらでいろいろ話題があがってる。
【変わってしまった? 真っ直ぐな歌が聴きたい?】
そうなのかな? 何故そう思うのかな? ずっと考えてました。
ご注意!ココからは私の独りよがりな勝手な解釈。
随分的外れなものになってます。
でもそれが私が平川地一丁目というアーティストに囚われているわけ
『七つのひらがな』『えんぴつで作る歌』
大切なものを失くしたあの頃、でも、きっとすぐに取り戻せると
そう信じて ひたすら信じて 祈りを込めて真っ直ぐ歌っていたあの頃。
そして『海風は時を越えて』
「霞んだ山の向こう」…「明日へ」…「夏の終わりの蜃気楼」
再び寄り添うことができても
もうあの頃を~欲しくてたまらなかった当たり前の日常~を
取り戻すことは出来ないと気付いてしまった今。
この気持ちの移り代わりが 変わったということなのかな?
ずーっと以前どなたかがおっしゃってました。
龍クンの作る歌は 机の奥にしまってあった日記を読むようだと。
聴いてるこちらが心配になるくらい赤裸々にその時々の想いを歌っていると。
私自身、今も そう感じています。
作らなければならなかった楽曲と 内から溢れ出てきた想いで作った曲とでは
想いの差があるのは否めない。
でも、昔も今も 真っ直ぐな想いで歌を作っている。
嬉しいことも、悲しいことも、そして新しく芽生えた気持ちも
すべて自分自身の言葉で 自分達の音で。
それは、何も変わらない~今も 昔も
だからこそ響いてくる。心を捉えて離さない。
「夏の終わりの蜃気楼」
過ぎて逝った時間の分だけ 悲しみが、切なさが深くて
『七つのひらがな』の曲達と同じくらい…深く、深く私の心に刺さります☆