風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

だああぁぁっ

2009-01-30 00:06:10 | Weblog
最近、家の近くをよく散歩します。

その最中、喫茶店の前でこんな張り紙を見つけました。

「当店の料理には冷凍食品を使っておりません」


・・・ん?

なんで「うちでは冷凍食品みたいな料理を出しますよ」って声高にアピールしてるんだか。



進級要件に大きく関わってくるらしいCBTがとりあえず終了しました。
先週末からそのために勉強を頑張りました。久々に勉強しました。
終わったあとの予定だけを楽しみに頑張りました。

でも昨日の試験はぼろぼろでした。
さすがに勉強時間が足りなさ過ぎる・・・

昔は勉強しても点が出なくて泣いたものでした。
今は無能なくせに勉強していなので点が出ません。

・・・これじゃ泣くに泣けない。

結果が出るのは随分先の話らしいので、焦らないように今から勉強しよう・・。





昨日、ほのかの湯に行ってきました。久々に。試験疲れを癒しに。

シリウスを眺めながら長湯してきました。

風呂上りにコーヒー牛乳を飲み、
冷たい風を顔に浴びながら自転車で帰りました。
 


ぁー、気持ちいい・・



近いうちにまた行くと思うので、誰か一緒に行きませんか?

命の認識とゲーム

2009-01-26 18:52:47 | Weblog
今日の新聞に死生学の先生とやらが投稿していました。

その中の一文が気になりました。
なんでも、中学生の15%が「人は死んでも生き返る」と思っているらしく、
それはテレビゲームの悪影響なのだと・・・。


なんでいつもこうゲームは悪者にされるのかねぇ。


仮にゲームの影響で命の認識が歪んできているとしても、それが全てではないはず。
ゲームを悪者にする人は、なぜ他の可能性を考慮しないのか疑問でなりません。

僕がゲーム愛好家だからゲームを擁護するのもあるけれど、
根拠のないことをさもそれがゆるぎない真実であるがごとく掲げることに、まず反発を覚えます。

せめて統計をとってからそういう主張はしてほしいもの。



ただ、僕自身も一部のゲーマーの感覚が怖いと思うことがあります。
だから、そういう主張に一定の理解を示すこともできます。


例えば、僕が好きなモンスターファームは育成ゲームで、
寿命が設定されたモンスターを鍛えて強くするというものなんですが、
一部のマニアは、ゲーム内で育てているモンスターに「愛」を感じると言うんです。
(一部ですよ?)


僕にはどうしてもそれが解せないんですよね。

愛着が湧くことがあっても、それは愛とは全く異なるもの。
だって対象は生物ですらない、単なるデータ。
所詮ゲームはゲーム。
それが擬している物と本物は全く異なり、
神秘的な「生」がゲームに摸倣しきれるはずもない。

逆に両者が絶対的に違うからこそ、ゲームを楽しめる面も強いです。
普通、そうじゃありませんかね・・・?
ゲームの魅力はその非現実性じゃないんでしょうか。


僕はそう思っているから、彼らの感覚が不思議でなりません。
「寿命」を終えて「死ぬ」モンスターに彼らは涙を流せると言うのだろうか・・・。
死んだらリロードして、死ぬ前に戻せてしまうようなゲームにおいて。

よく言われる「仮想世界と現実世界の区別がつかなくなっている」というやつなんでしょう。
むしろ僕には仮想を現実として捉えたいという願望があるように思えるけれど・・・


データに本物の「愛」を感じるゲーマーは、
最初に紹介した論者の主張にどう反駁するのか、興味がありますね。

僕からすればその感覚からかなり危ういものだと思っています。
mixi上じゃやりにくいけど、1回本気で喧嘩してみたい



たまごっちの開発者も、
一度死んだらもう再び育てることは出来ない仕様にしたかったらしいです。
さすがにそれじゃおもちゃにならないと言うので却下されたそうですが。

僕にはその発想自体がちょっと分かりません。

・・・ドットに生を見出せと?


社会全体が仮想と現実の境界を曖昧にする方向に進んでいると思います。
一人一人の認識が確実に変わってきていると。


ゲームが原因で子供の命への認識が歪んできたのは違うと思うんです。

最初にあったのはそういう社会の流れ。
その流れを汲んで「死者も生き返る」ゲームができ、
それは現代人の感覚にあったからあっという間に浸透した。
あくまでも先にあったのは、社会の大きな流れのほうだと思います。

(ただし、ポジティブ・フィードバック的な作用で、
ゲームがその流れを加速させている可能性も否定は出来ませんが・・・)


そして、この社会の流れは、色々な要素が絡み合っていた結果。
例えば・・・と書き出すと長くなりそうなのでやめておきますが
色々考えられそうじゃありませんか?

可能性の話ならいくらでもできますしね。
 



僕の考え方は冷たいかもしれません。だけど、譲れません。

AIがどんどん進歩して行って「人格」を持つようになったとき、
僕のような古い人間はきっと生き方を見失うんだろうな(笑



・・・と思ったけど、現時点でもう「生」の定義なんてかなり曖昧なものですね。
既に僕は道に迷っているんだろう・・・。

古き良き時代

2009-01-25 17:40:55 | Weblog
合宿所の五右衛門風呂を洗って大量のおでんを作って食べた話、

合宿に行くまでの汽車の中、ティンパニの蓋?を雀卓にした話、

合宿をした寺では、飲み会の翌日人型の穴が開いていた話、

その寺では今の水明も比較にならないような「ご飯」が出ていたと言う話、

保科先生の奥さんが30代だったころは今以上にかわいかったと言う話、

携帯もメールもなかった時代、打ち上げの重要度は今よりもはるかに高かったという話、

来ないとわかっていた相手を1時間以上待ち続けた話、



・・・「古き良き時代」の逸話を色々聞きました。30年前の若者から。


当時は今よりも過激で大らかだったのだと―。



僕のようなアナログな人間はむしろその時代のほうが
あっていたかもしれないとも思いました。

一方で、その過激さは今の僕らには眩し過ぎ、
格好悪いものとして映りかねないとも―。


でも、昔の話を聞くのは嫌いじゃありません。

年配の人に気に入られるコツは、
基本は黙って話を聞き、適度に相槌を挟むこと、
その話は以前聞いたと話の腰を折らないこと(←ここ重要 笑)だと思います。多分。




昨日何より驚いたのは、その話をしてくれた外科の先生が
松山のバイオリンの先生と知り合いだったこと。

地元でならこういうことも珍しくなかったけれど、
遠く離れた地でこんなことがあるなんて。


最近多いんですよ。

知人の知人が、実は自分の知人でもあったっていうこと。(ですよね 笑?
 


世の中狭い・・・

いや、そう考えるよりは運命の存在に思いを馳せてみるべきなんだろうか。

それともこうした出会いをもたらしてくれる音楽に感謝すべきなんだろうか。

バターを求めて6店舗

2009-01-23 23:30:49 | Weblog
この前、ガストでミートドリアを食べました。

注文したときは期待していなかったんですが、
それが予想外に美味しかったんです。

たかがヒバリ、されどスカイラーク(逆?

ここのところまともなものを食べていなかったので、
あの味の再現を目指してドリアを作ってみました。


バターを探して6つも店(って言ってもコンビニ)を回ったのは妥協したくなかったから。
近くのスーパーで無塩バターは山積みだったのに、普通のバターは品切れだったんですよね

・・・そんなにお菓子作る人いないと思うんだけど。

どうしても見つからなかったら、
代わりに木の周りを走り続けるトラを探す勢いでした(笑


で、完成品。



チーズがとろりとしている感じにしたかったんですが、
電子レンジのオーブン機能なんて普段使わないため、焼きすぎました。失敗。


でもまぁ、致命的なミスをやらかしたわけではないので
それほど酷い味ではなかった・・・はずなんですが


・・・どうしてこの中から

ママカリが出てきそうな気がしてしまうのか。


(※知らない人はぐぐってね)

この前の野郎鍋が奇妙なほどに甘かったのは具材のせいだと思っていました。
ところが、今日自分が作ったこれもあれと同じ味がしてしまう・・・

う、吐きそう


・・・PTSD?

・・・味覚的フラッシュバック?

言葉で表現するなら、おそらくこんなところ。

 


今度からシチュールウは違うメーカーのにしよう・・

・・・かわいそうな自分(笑

再び会えるその日のために

2009-01-22 00:18:22 | Weblog
本当はこの時期にここに書くようなことではないと思う。
だけど、書こうと思う。
この話自体がそれを望んでいると思うから。


 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

少しの間、距離を置くことにした。
少なくとも彼女には決め細やかなケアが必要だから。
再び会えたその日によりより関係を築けることを祈う・・・



初めて彼女と出会ったのは2年前の春だった。
追試にかかりまくってすっかり元気をなくしていたあのころ。

僕は、彼女との出会いに新しい可能性を見出そうとしていた。

とびっきりの美人というわけではないけれど、僕には十分すぎる人だった。
外見もさることながら、透き通った声が素敵だった。

最初はお互いにぎこちなかった。
僕が人と親しくなるまでに時間を要する人間だからというのもあるし、
彼女がなかなか心を開いてくれなかったせいでもある。
僕たちは時間をかけて距離を縮めていった。


そのときに別れた子とは、その後一度だけ話をした。
新しいパートナーを得たことも知った。
その人はあの子の本当の魅力に気づいているだろうか?
今となっては過去の思い出だけど、幸せになってほしいとは思う。
自分の犯した罪を軽減する意味でも―。


1年経ったころから僕らは少しずつ分かり合えるようになってきた

・・・と僕は思っていた。一方的に。


ところが、それは一つの側面を見ているに過ぎなかった。

僕に彼女を傷つけようという意志があったはずもないが、
そんなことはいい訳にもならない。
攻撃的な性格が災いし、僕は彼女にたくさんの傷を負わせていた。
彼女は何を感じていただろうか・・・


そして、あるころから、古い言葉でいうヒステリーの発作が起きるようになった。

張り詰めたものがぷつりと切れる・・・まさにそんな感じだった。
もしかすると、僕が彼女に強いストレスを与えたことが引き金となっているかもしれない。
・・・いや、きっとそうなのだろう。
僕は戸惑うと共に、どうして?という気持ちを禁じえなかった。


それでも傍目には僕らは割りとうまくやってこられた。
人の目があるところで発作が起きることはなかったから。

ところが、ずっと前から一緒に過ごそうと思っていた
大切なその日、衆人環視の中、発作が起きた。


彼女にとっても僕にとっても本当に大切なその日に
発作が起きると言うのはとてもつらいことだった。


実は不安はあった。

その日が近づくにつれて発作の頻度は高まっていただけでなく、
当日、かつてなかった暴力的な発作が起きていたから。
彼女が壁を叩きつける激しい音にとても驚いた。
まさかこんなことになろうとは・・・。

それにより、彼女に不可逆的な変化が起こったのが見てわかった。
何かが失われてしまった。決定的な何かが。
僕も焦ったが、彼女はもっと焦ったことだろう。


その暴力的な発作は僕が引き起こしたも同然だった。
慣れない過酷な環境の中、彼女は極度にストレスを溜め込んでいた。
なだめようとしてかえってそれを暴発させてしまったのだった。

普段気を遣わず、こういうときだけ優しさを装った結果がこれだ。

心の中でごめんと叫びながら、視線に耐えた。




このような終わり方を迎えてしまったけれど、決して不幸ではなかった。

むしろとても幸せだった。
今、かつて感じたことのない充足感を覚えている。

ただ、彼女に時間が必要なのは確かだ。


~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 


・・・この何日間か飛びつづけていたんですが、
ようやく落ちてきたので、ジョニーナ?との想い出に脚色を加えてつづってみました。

本番直前に駒が倒れ、魂柱が大移動し、
おまけに本番中に弦まで切れたあの子をYAMAHAに預けてこようと思います。

よし。

2009-01-17 01:21:26 | Weblog
本番前になって思うは自分の実力の不足分。

でも、今できることと言えば、とにかく突っ走るのみ。

下手でも下手なりの意地を見せてやります。



みんな頑張ろう!!





(柄にもなく!なんて使ってみた 笑)

しみじみ。

2009-01-16 02:13:23 | Weblog
ボックスの汚い廊下の壁を眺めつつ、これまでの4年間を振り返ってみました。

色々あったなー・・・って思う反面、
思い出って経験の割りに多くは残らないもんなのかなと思ったりも。

まぁ、少なくともこれまでこの部活で活動できて幸せだったのは確かです。


色んな人と知り合えて、

色んなところへ行き、

色んな馬鹿をやってきて。


積んできた経験の価値に今更ながら思い至りました。
 

実質現役で居られるのもあと2日。

もう追試のための勉強なんてしてらんないや


皮肉ってみた

2009-01-15 02:16:32 | Weblog
エア新書なるものを作ってみました。


 
参照 デイーリーポータルのエア新書の記事


作った後で思ったけど、サブタイトルがチープ。

でも誰かが面白いと思ってくれたみたいで、☆がついてました。
・・・ちょっと嬉しい(笑

お返しに面白いと思った投稿に星を付けたかったんですが、何か面倒そうなので断念しました。
ちなみに自分が見た中で一番好きなのは【これ】
共著(?)になっているのが謎ですが、着眼点が面白い。



なお、僕は民主党にも期待していません。

手紙

2009-01-14 02:37:50 | Weblog
今回、松山のバイオリンの先生に聴きにきてもらえることになっています。
自分が出る演奏会は最後だといったら、それなら聴きにいく、と。


その先生から手紙が届いていました。
それにはこんなことがかかれていました。


「何はともあれ、一生懸命弾いてください。
先生は涙もろいから泣くかも知れません。
コンサートのあと、必ず楽屋に行きます。
コンサートに感動すれば、君をハグするかもしれませんが怒らないでください。」

 
吹きだしそうになりながらも、肉筆の温かさに元気が出ました。

本番はもちろん、本番までの練習も全部、魂こめて弾こうと思います。

名産

2009-01-12 21:44:58 | Weblog
愛媛の名産はみかんだけじゃないんです。
まぁ、「愛媛=みかん」扱いにはなれたけど・・。

例えば養殖業。
南のほうでは、真珠・タイ・ハマチの養殖が盛んです。

スーパーなんかで養殖のタイが売られていたら、
まず愛媛産と見て間違いないくらい流通してます。

近所のスーパーに並ぶみかんは愛媛産じゃないことが多いくらいなのに。
(岡山の店には九州産のみかん多くない?)


ただし、流通するみかんの中で、これだけは愛媛産が圧倒的に多いはず。



▲いよかん。今が旬です。

スーパーに積み上げられているのを見て、何か嬉しくなって買っちゃいました。

故郷から遠く離れた土地で同胞にめぐり合えた・・・

そんな気分(笑

ポンジュースの風味にも一役買っている(ことになっている)このみかん。
酸味も強いけれど甘みも強く、大ぶりなその外見から、
個人的にはみかんの王様だと思ってます。

これだけは生産高日本一を他の県に譲ることはないはず。
・・・伊予柑なんて名前だもんね。



とまぁ、愛媛の名産を紹介しましたが、
実家近辺にはみかん畑もいけすもないので、
名産って言われてもぴんと来ないんですけどねぇ・・・