新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

*1980年代を彩ったお馬たち・・・牝馬の部*

2013-04-08 | 日記
最近、ほとんど本を読んでいません。
かつては一日に一度は本を開かないと落ち着かないほどの本好きだったのに。

歴史物、海外ミステリーなどが好みのカテゴリーでした。
本屋さんにいくと何時間でも過ごせました。
それが今は・・・・・本を開くと目が閉じる。

どんどんアホ化しているような気がする(老化ではありません!)エドリンです、こんばんは。





       華麗なる女王の誕生

1980年代という時代は、オイルショックから始まり、未曾有の好景気となったバブルへと向かう大きな渦に巻き込まれた時代でした。

競馬界も、1964年のシンザン以来出ていなかったクラシック3冠馬が、1983年ミスターシービー、1984年シンボリルドルフと連続して誕生した時代でもありました。

その波は、牡馬だけでなく牝馬にも押し寄せていたのです。

牝馬の3冠といわれる、桜花賞、オークス、エリザベス女王杯(現 秋華賞)と、そのトライアルすべてに勝利したメジロラモーヌを筆頭に、3冠最後の1冠・エリザベス女王杯でタレンティドガールの2着に敗れるまで、怒濤の8連勝を続けたマックスビューティなど、多くの美しくて強い女子たちが頑張った時代だったのです。



メジロラモーヌは1983年4月9日、父モガミ、母メジロヒリュウ(母父ネヴァービート)の間に産まれた、青鹿毛の牝馬です。
幼少時期は、性格も大人しく、それほど期待させる様な仔ではなかったようです。
なおかつ両後脚の飛節に難があったため、翌年の7月になるまで受け入れ先も決まりませんでした。
どうにか行き先が決まり、馬名も決まり、秋になってやっと茨城の美浦トレセンに入厩したのでした。
その頃には馬体もしっかりし、難のあった飛節もすっかりよくなっていました。

そして、トレセンでの動きが話題になり、10月のデビュー戦では、1.4倍の断トツ人気。
ゴールした時には2着馬に20馬身、3秒1の大差勝という衝撃のスタート(ちなみにその時の2着馬はダイナボンダーでした。)

ラモーヌは12戦して3敗していますが、1度目は京成杯3才ステークスでダイシンフブキに、3度目は引退レースとなった有馬記念でダイナガリバーに、と牡馬に2度負けています。

唯一牝馬に負けたのが、デイリー杯クイーンカップでのスーパーショット一頭だけです。
この時も1番人気に押されていたのですが、入れ込み方が半端なく、パドックから暗雲がただよっていた気がします。

でも、その後は報知杯4歳牝馬特別(桜花賞トライアル)、桜花賞、サンスポ4歳牝馬特別(オークストライアル)、オークス、関西テレビローズステークス(エリザベス女王杯トライアル)、エリザベス女王杯とパーフェクトに勝ちとり、後に‘牝馬の河内’と呼ばれた河内ジョッキー(現調教師)に初めての牝馬G1をプレゼントしたのでした。

漆黒の馬体にまっ白な流星、ラモーヌは強いだけでなく本当に美しい馬でした。

                     
              

ラモーヌのライバルと云われた、1987年のジャパンカップで3着と日本馬最先着を果たしたダイナアクトレス。
エリザベス女王杯でも、ラモーヌを追い詰めたスーパーショット。

古馬となっても男馬たちに混じって堅実に走った、ダイナフェアリー。

28頭出走の21番人気、直線だけで25頭ごぼう抜きした1985年オークス馬、ノアノハコブネ

ゴッちゃんの愛称で呼んでいた、元祖夏女、1986年関屋記念馬、アイランドゴッテス。

ティエムオーシャンのお婆ちゃん、1985年桜花賞馬、逃げのエルプス。

その名前からどうしても関取さんを連想してしまう、トチノニシキ。

電気屋さんの娘、オノデンモモコ。

‘ミス出遅れ’スタートさえまともだったら、大きなところの一つや二つは絶対に取れていたと思わせた、メジロディッシュ。

名前が好きだった、ラブシックブルース。

新潟競馬ならおまかせの、クールハート。

5-5のぞろ目馬券で、7750円の配当をプレゼントしてくれた、クリロータリー

どうしてもラモーヌの前に行けなかった、ポットテスコレディ。

牝馬なのに何でシローなの?、キャニオンシロー

お母さんとしても頑張った、ユキノローズ。

そして、忘れちゃいけないコーセイ。
今はこんなに穏やかに幸せに暮らしています。


       
       
                     2012年Wさん撮影

   
                                   




もう、キリがないほど飛び出す名前。
あの頃、カタカナの看板やポスターを見るとすぐに馬の名前がうかんだ事を思い出しました。

また、何かの時に書いてみようと思いつつ、トリにこのお馬さんを挙げたいと思います。
それは、ヤマノシラギクです。

ヤマノシラギクは、1979年2月25日父オーバーサーブ母ホンマルクイン(母父ソロナウエー)の間に誕生しました。
1981年、札幌競馬場でデビューしてから1985年の有馬記念で引退するまで、G1には手が届きませんでしたが、56戦7勝、5歳と7歳の時に京都大賞典、6歳で小倉大賞典を勝利しました。

それよりも、シラギクの名を広めたのはJRAの競馬場10か所制覇したことです。
札幌、函館、新潟、福島、中山、東京、中京、京都、阪神、小倉のすべてに出走しました。
この全場制覇は他にアラタマワンダー(牡)だけです。
その上、最後に有馬記念で走った中山競馬場以外、すべてで掲示板に載っているのです。
‘女旅役者’などと呼ばれた事もありました。

でも、シラギクはローカル専門馬ではありません。
天皇賞と宝塚記念に3度、ジャパンカップと有馬記念に1度出走しています。
そして、宝塚記念ではカツラギエースと、天皇賞ではミスターシービーと、ジャパンカップと有馬記念ではシンボリルドルフと一緒に走っていたのです。

顔のほとんどを覆う白面、和風ティストな名前、ヤマノシラギク・・・大好きでした。

3年前、念願だったシラギクのお墓参りができました。
他のお馬の墓碑より大きく立派なお墓。
名前にあわせてシラギクの花束を捧げてきました。

        
         








       サーチエネミー 11歳になりました

4月4日、イグレットのニノこと(私が勝手にそう呼んでます)、サーチ君が11歳の誕生日を迎えました。
サーチ君のお母さん、ママチさんがお祝いの画像を送ってくれました。

せっかく籠にたくさんリンゴや人参を入れて食べ放題にしてくれたのに、何とサーチ君、籠が気になって食べないのだとか。
人が手に乗せてあげると食べるのに・・・。
なかなか用心深いサーチ君だと、また一つ発見です。
そうです、男は簡単に何でも飛びついてはいけないのです。でも、、サーチ君ニューハーフじゃなかったっけ(爆)。


      


                        



おめでとう、サーチ君!!
素敵な一年になるように祈ってますよ。 


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4 コメント

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お誕生日 (さるとびおばちゃん)
2013-04-09 22:10:28
こんばんは。
厳しい現実の中で、余生を送るお馬が、お誕生日を迎えて、りんごや人参を美味しそうに食べる姿は、有名、無名、関係なく、人間も嬉しい気持ちです。
サポートホースの全部に寄付したくても無理ですが、人参やりんご、プレゼントしたくなりました。
さるとびおばちゃん様 (エドリン)
2013-04-09 23:35:15
こんばんは

3月から5月にかけて、お馬さん達の誕生日ラッシュです。

お馬さん達はホント、人参が好きですからねぇ。

‘どんなけ食べるん?’と云うほどです。

まぁ、あの体ですから(笑)。

でも、美味しそうに食べるのを見ていると、こちらも心の底からホッコリします。

みんなには無理でも、思い入れのあるお馬さんにプレゼントされたら、きっと喜んでもらえますよ。

人も動物も、美味しい物を食べるときは幸せな顔してるんでしょうね。
初恋の馬 (らすかる)
2013-04-10 19:05:29
こんばんは。

メジロラモーヌは、私にとって「初恋の馬」です。

初めてテレビで見たとき、偶然目が合ったんですよね。
もちろん、彼女がそれに気づくはずもないのですが、
私はビビビッと来ましたよ。
それ以来、引退まで追いかけました。
学生なので、遠い競馬場まで応援に行くことは叶いませんでしたが、
テレビでいつも彼女のことを応援していました。

あの世代は、牝馬の層が厚くて、ラモーヌといえども
簡単に勝つことは大変だったと思いますが、
それでもトライアルを含めて「完全三冠」を成し遂げた
ラモーヌは、史上稀にみる名牝だったと思います。

すっかり彼女にお熱を上げた私は、その2年後、
弟のメジロアルダンがクラシックに名乗りを上げたときには
狂喜乱舞しました。
まあ、サクラチヨノオーにやられちまったわけですが…。

87年世代では、二冠馬のマックスビューティよりも、
彼女をエリザベスで破ったタレンティドガールに
心惹かれました。
ニッポーテイオーが好きだったから、そのかわいい妹
ということもありましたし、愛くるしい眼差しと、
それにぴったりの名前が、「萌え要素」でした。
その血は、彼女亡き今もホエールキャプチャに受け継がれて
います。

ラモーヌ世代では、マヤノジョウオとか、ユウミロクとか、
全然人気はなかったけどノトパーソとか、マチカネエルベ
とか、いろんなお馬さんの名前が頭に浮かびます。
ユウミロクが今でも元気だと聞くと、会いに行きたいですね~。
らすかるさん (エドリン)
2013-04-10 20:30:33
こんばんは。

ラモーヌは本当に美しい馬でしたね。

女優さんに例えるならエリザベスティラーかな?

正統派美人という言葉がぴったりでした。

ですからクイーンカップの時の異常な入れ込み、発汗に、4着という結果も納得でした。

でもその後は、憑き物でもおちたかのように勝ち進み、史上初となる牝馬3冠、それもトライアルもすべて勝利のパーフェクト制覇。

強い牝馬はたくさんいますが、すべての要素を鑑みて、私はラモーヌが最高だと思っています。

未だかって、あまりに奇麗で鳥肌が立ったのは、ラモーヌしかいません。


ユウミロクに会いに是非とも青森まで行って来て下さいな。

彼女が元気なうちに・・・・・ネ。

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