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夜の帳が下りるころ

2012年09月05日 | 音楽

 昼間の喧騒が去り、夜の帳(とばり)が下りるころ、静かにじっくり聴きたい音楽。この頃はそういう成り行きから、興味を持つのはクラシック音楽とそれに関連した番組ばかり。モーツァルトのクラリネット協奏曲、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番、それに埋もれた女流作曲家、吉田隆子さんという驚きべき存在。

毎週日曜日放送、毎度裏録している「ららら♪クラシック」という音楽番組。曲より解説が多くて、大抵はイライラしてしまうのだけど、8月19日放送、「天才モーツァルトの素顔」。この回はモーツァルトなのでまあ、いいかと我慢強い。エピソードはどうでもよく、最後に流れた「クラリネット協奏曲」K.622 を久しぶりに聴きたかったからだ。

ザビーネ・マイアーさんがいつだったか、来日されたときの演奏はなつかしいものだった。モーツアルトが生きていたころに使われたクラリネットに似せ、バセット・ホルンという低音域が出るように特別に作った楽器で演奏されていた。最晩年、1791年の作曲、追いつめられた状況でこんなにも澄み切ったメロディが生まれたのかと、何度聞いても涙が出そうになる、心に染み入る第2楽章。

次は8月28日放送のクラシック倶楽部、「若き名手たちによる室内楽の極(きわ)み」。それぞれ活躍されているバイオリン、ビオラ、チェロ二人ずつ、6人編成による「弦楽六重奏曲」。その中でブラームス作曲、変ロ長調、作品18、弦楽六重奏曲 第1番の第2楽章。重々しい旋律ながら、フランス映画にも使われたという、耳に残るメロディ。車を運転しているときにもこのメロディが浮かんできたほど印象的だった。日本人演奏家若手6人は和気あいあいという感じで、たのしそうに演奏していたねえ。

もう一つは9月2日放送「ETV特集 吉田隆子を知っていますか」~戦争・音楽・女性~という番組。1910年生まれ(他界した父と同じ生年)の女流作曲家、特高による検挙で実に4度も拘留されながら志を曲げず、大衆のための音楽を作曲したいとプロレタリア音楽同盟に参加。女性は交響楽団にも入れないという時代に、自ら楽団を立ち上げて演奏会を開催、石川啄木の短歌に曲を付けたり、黒い式服にネクタイという姿で指揮する姿に拍手喝さいを受ける。

折しも日中戦争、太平洋戦争と国家が戦争遂行に突き進む中、そのために障害となるものを排除しようと共産党員ばかりか、文化人、芸術家まで一斉検挙されていく。その中でプロレタリア作家、小林多喜二の獄死という事態も起こり、その追悼曲を作曲したが集会も禁止され、ついに日の目を見ないまま。

獄中の劣悪な環境に体調を崩しながらも何とか戦中を生き延び、戦後も反戦平和を貫き、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」やヴァイオリンソナタを作曲。後にプロレタリア演劇の作家久保榮と出会い、私生活でもパートナーとなって、久保榮演出、吉田隆子劇音楽「火山灰地」を上演する。

昭和13年初演、北海道出身の久保榮が書いた、十勝地方の農業試験場場長と農民がいがみ合いながら農民生活の向上に努力する姿を描いたものだそうで、戦後は宇野重吉さんや奈良岡朋子さんが演じている映像が残されている。吉田隆子さんは昭和31年(1956年)、がん性腹膜炎で没、享年46歳。昭和33年(1958年)久保榮没、享年58。

女性と音楽のかかわりについて研究してきた小林緑さんは「男性中心の音楽界で埋もれてしまった典型が吉田隆子さん」「音楽史の中で女の事は何も言わない。作曲をイメージするのは男、演奏するのは女」だという。日本にもこういう時代に先駆けた開拓者がいたのかと、同じ年代の音楽評論家、吉田秀和さんが脚光を浴び続けたのに比べ、あまり知られていない存在、その生き方にも衝撃を受けた。

 



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