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成田山から撤退して車を走らせます。パテ石さん一同は航空科学博物館にいるそうなので、そこへ向かいます。
途中で芝山鉄道の芝山千代田駅の横を通りました。こんなところにあるんですねー。周りなにもないけどどうして造った?
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何の脈略もなく大きい土偶や馬が見えてきたらもうすぐです。
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着きました。航空科学博物館は、その名の通り成田空港に隣接する国内初の航空機を中心に据えた博物館です。昔一度来たことがあります。
しかし我々はここに遊びに来たのではありません。パテ石氏を驚かすために来たのです。
とりあえず駐車場に停まっているシエンタを探して、ちょうど横が開いていたので真横に付けました。
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あ、いました。左側に3人いますねぇ。真ん中がパテ石さんですな。
屋上でカメラを構えながら飛行機を撮っています。周りの人たちがただ見るだけかコンデジで撮っているのに対して、一番いい場所で一眼レフに望遠レンズとガチ機材を使って応戦しています。
大人げないです。周りの人たちドン引きで彼らとは距離をおいています。
所在を確認したところで、博物館の入り口で待ち伏せします。館内に入ってうっかり鉢合わせするのもアレですしね。別に入館料が惜しかったわけではない。
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でもすぐに飽きたので屋外展示されている実機を観察します。
まずは三菱重工MU-2B/F。1963年から生産した7人乗りのビジネス用飛行機。総生産数は762機。
この機体は三菱重工社有機として各種試験に用いられました。
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富士重工FA-300。1975年から生産した6人乗りのビジネス用飛行機。総生産数は46機。この機体は試作1号機です。
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日本航空機製造YS-11。かの有名な戦後唯一の国産旅客機で、1962年から182機が生産。定員は66人。この機体は試作1号機です。
結局、国産旅客機の夢はYS-11のみで終わってしまいましたが、自衛隊では持ち前の頑丈さが幸いしているのか現役で活躍しています。
試作機ばかりがおいてあるんですね。
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シコルスキー(米)S-62A。1958年から生産した12人乗りヘリコプター。
この機体は三菱重工がライセンス生産したもので海上保安庁で使われていました。
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エアロスパシアル(仏)SA330Fピューマ。1965年から生産した21人乗りヘリコプター。
東京消防庁で消防活動や急患輸送に使用されていました。
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カモフ(ソ連)Ka-26。1965年から生産した9人乗りヘリコプター。
個人機として使われていたそうです。というかソ連製のヘリなんて輸入できたんですねぇ。
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セスナ(米)411A。1962年から生産した8人乗りビジネス用飛行機。
「おおたか号」として中日新聞の取材用に使われていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/1f/3890bceb5df44e8b32bc58e482f7eac4.jpg)
ムーニー(米)M20M。1955年から1万機以上生産した4人乗り軽飛行機。
高速性能に優れていて、この機体は個人所有でレジャーや訓練に用いられました。展示のために成田空港まで最終フライトを行いました。
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リアジェット(米)25B。1963年から2000機近く生産したビジネスジェット機のベストセラー。
この機体はアメリカ企業の社有機で、展示のために成田空港まで最終フライトを行いました。
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ビーチクラフト(米)C35/E33ボナンザ。1959年から生産した5人乗りの軽飛行機。
この機体は、宮城県の航空大学校で訓練用に使われていました。
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セスナ421。1965年から生産した10人乗り飛行機。この機体は「金星II号」として毎日新聞の取材用に使われていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c1/4497f99318450305c1289be7cfb7cf1d.jpg)
ビーチ(米)ターボバロン。1967年から生産した6人乗りビジネス飛行機。
この機体は「明星号」として毎日新聞で使用されていました。
どれも静態保存ばかりで実際に飛べる機体はいないんですねぇ。そこら辺はアメリカには全く敵いませんな。
以上です。
なお、観察中にパテ石さんが退館しシエンタに乗車。一瞬焦るもただの場所移動。おうビビらせるなよ。
こちらも呼応してヴィッツを今度はシエンタの正面に移動。当然気づかず。
つづきます。次回で最終回です。
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