ごとしんの日思月綴

思いつくままに、気ままに更新してます

寄生獣 完結編(1)

2015-04-28 21:08:28 | 日記
日々思うことは多々あるのですが、無精で当ブログの更新があまりに気まぐれ過ぎですので、毎日は無理として、これから月に一度は更新しようと思います。
それでタイトルを「日思月綴」と変えてみました。
適当に考えた造語です。

さて、岩明均氏のマンガ「寄生獣」について。

人間の本質、あるいは人類の行く末について考察された、非常に奥深いマンガです。
長期連載にもかかわらずテーマがブレなくて、読めば読むほど岩明ワールドに引きずり込まれ、とても読み応えがありました。
連載終了からもう20年も経っていますが、ときどき読み返しています。

昨年、「寄生獣」が実写(映画)化されると知り、この重いテーマを、またグロテスクな描写をどのように表現するのか、強い興味を持ちました。
ミギーをどう映すのか、寄生生物の頭の変形は、「後藤」の全身は・・・おそらく特撮とCGを駆使して、というのは予想できますが、どれだけリアルに見せているか、ストーリーよりも実写の方法に興味がありました。

で、映画館に足を運びましたが、前編だったとは知らず、盛り上がってきたところで終わって拍子抜けしてしまいました。

新一の父や加奈、宇田といったキーパーソンが出てこなかったことも不満でしたが、映画化の際は時間が限られるので、ストーリーがはしょられるのは仕方ありません。

しかし、最も重要な寄生生物「田宮良子」を深津絵里さんが演じていたのは適役で、染谷将太さんの「泉新一」も、弱っちい高校生からたくましい人間に成長(変化?)する様子がうまく演じられていたと思います。
この映画で染谷さんを初めて知りましたが、演技が上手ですね。

と、それなりに満足できた前編を見て、後編(完結編)に期待していました。
4月25日の上映開始を心待ちにしていて、早速その日に見に行きました。

見終わって、残念な気分になりました。
これはちょっと・・・・・

まぁ奥深いテーマですからね。
2時間×2編に集約するのが難しかったのでしょう。

私が残念に思った理由を書くとネタバレになってしまいますので、頃合いを見計らって綴ることにします。
ただし、実写方法については及第点と思います。
完結編ではストーリーの展開が速すぎるので、それを見る前に前編をおさらいする(上映していればもう一度見ておく)ことをオススメします。

ところで、寄生生物は名前に関してはいいかげんでしたが、本作に出てくる名前は、それなりに考えて付けられたように思います。

「後藤」は5体の寄生生物を統率できるから「五頭」、「三木」というのは3体統率できて「後藤」の右腕だから、というのはピンときました。
「田宮良子」は何で「田宮」なのだろう、実験的に寄生生物を組み立てたりしたから、プラモデルのタミヤにもじったのかしらと、強引に解釈しています。

ただ、「草野」だけはどうしても分かりません。
どなたか推理していただけますか?

大阪はどこへ行く?

2015-04-09 01:53:11 | 日記
先月、大阪市議会で大阪都構想の是非を問う住民投票案が可決されたそうです。
これで5月17日に住民投票が実施される運びとなりました。
投票率に関係なく、賛成が反対を1票でも上回ると大阪市が解体され、5つの特別区に分割してそれぞれ大阪府下の基礎自治体となるようです。
200万人以上の有権者がいるのに100人しか投票しなかったとしても、うち51人が賛成すれば可決するという、信じられないルールです。

さて、○か×かの投票では、おそらく○が多くなるでしょう。

なぜなら、人の行動原理として「損得勘定」が強くはたらくと思うからです。
「得する」ことを肯定し、「損する」ことを否定するのは明白ですが、「損をしない」ことと「得をしない」ことはどうでしょう?
現状と変わらないという点で、「損をしない」ことと「得をしない」ことは同じなのですが、イメージとして将来的に良くなるかもしれない、と思えるのは「損をしない」ことです。
一方、「得をしない」ことは明らかに悪くなるとは限らないので、否定するのではなく無視するというのが、一般的な心理だと思います。

つまり、「得する=良い=○」「損をしない=悪くない=○」「得をしない=良くない=無視!」「損する=悪い=×」という心理がはたらくのではないかと思えるのです。
明らかにそれが悪いと分からなければ、×をつけられないのです。

あまり知られていないと思いますが、衆議院議員選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査では、やめさせたい裁判官に×をつけ、それが過半数になるとその人は罷免されます。
しかし、実際にそれで罷免された(やめさせられた)裁判官はこれまで一人もいません。
明らかに裁判官として不適(=×)だと一般の人には判断できないからです。

大阪都構想の内容はよく分かりませんが、イメージばかり先行しているように見受けられます。
実際に検証された制度ではありませんので、イメージだけでは×とは判断しにくいでしょう。
だから住民投票にまで持ち込めば、○が多くなり可決されると踏んでいるので、橋下市長は住民投票にこだわり、維新以外の市議団はそれに反対してきたのでしょう。

ともあれ、審判は大阪市民に委ねられました。

常識的に考えれば、政令指定都市として大阪府から移譲されている権限や財源を、府に返すことになるので、特別区(解体された基礎自治体)になってしまうと大損になるはずです。
意思決定の場が身近になるかもしれませんが、権限や財源が縮小してしまっては、できることは限られてしまいます。
鳥かごから出されて自由に飛べるよと言われても、羽をむしられてしまっては飛ぶことができません。

大阪都構想は二重行政の解消とも言われていますが、愛知県と名古屋市、福岡県と福岡市など、県庁所在地が政令指定都市になっている県は多数あります。
大阪以外で二重行政の弊害を聞いたことはありません。
新潟、岡山、熊本など、県庁所在地の政令指定都市化がますます増えていますので、当然政令指定都市になると利点があるのでしょう。
大阪だけ問題があるとすれば、権限を移譲したはずの大阪府が張り合って余計なことをしたからではないかと思えるのですが。

一方、大阪市は政令指定都市の中で最も区数が多く(24区)、人口が100万人以上多い横浜市よりも6区も多いため、行政の効率的運営という点では問題があるかもしれません。
面積も狭い区ばかりです。
大阪市は政令指定都市のまま区数を半減(区を合併)して組織をスリム化すれば、より繁栄の余地が出てくるのではないかと思えるのですが、そのようなアイデアが出てこないのが不思議ですね。

審判は大阪市民に委ねられましたので、外野がどうこう言っても仕方ありません。
ただ、これから起こるであろう壮大な社会実験には大変興味深いものがあります。
10年ほど前に行われた平成の大合併と正反対のことが行われるわけですから。
基礎自治体を分割し、政令指定都市を返上すると、住民はどのようなメリットを受けるのか、想像もつきません。

大阪市民の有権者には、住民投票に行って後悔のない判断を下してもらいたいものです。
○か×か、投票率に関係なく1票でも多い方に決まるわけですから。

古いマンガは奥が深い(3)

2015-04-07 08:23:46 | 日記
私のお気に入りマンガ「銀河鉄道999」について、人間の本質を物語っているなと感じた話の3つ目はこれです。

それは、おそらくこのマンガのテーマであろう「限りある命の意味」です。

限りある命だから、人は一生という時間の中で精いっぱいがんばる…短い時間の中で何かをやりとげようとする…
だからお互い思いやりや優しさがうまれる。
その思いは、親から子へ、子からそのまた子へと、ずっと続いていく…

それが真の「永遠の命」なのだ、
不老不死の身体を得て自身が永遠に君臨するのではない、
とこのマンガは諭していると思います。

この主題は、映画版「さよなら銀河鉄道999」により鮮明に表れているように思います。

人は必ず老い、いずれ死にます。
生きている間にどんな花を咲かせるでしょう。
生きている間にどんな種をまくでしょう。

先人はそうやってがんばってきたから、人類は栄えてきたのでしょう。

どんなにちっぽけな花でも、どんなにちっぽけな種でも、先人から受け継ぎ、後人に託す、それが人間の自然な生き様だと思います。

現代は世代間ギャップが大きくなり、このような世代間の連続性を感じにくくなっているような気がしますが、時代の流れが速い現代においては、たとえば3年から5年の人事異動や、学生の卒業時においても、「その期間にがんばってきたこと」の受け渡しは大切だと思います。

さまざまなことを先人から教わり実践して成長し、将来の成長のために後人に教え込む。
これは必ずしも高年から若年へという年の流れに限定されません。
そのサイクルが尽きないことが大切だと思います。

鉄郎は子どもの年齢のはずですが、メーテルも車掌も他の主要な登場人物も鉄郎を子ども扱いしていません。
鉄郎も子どもだからといってわがままを言いません。
このマンガから感じるのは、人に対する敬意と謙虚さです。

教える側も、教わる側も、敬意と謙虚さをもって接すればよいでしょう。
「永遠の命」を存続させるカギはそこにあると、私は思います。