森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


鳥居平やまびこ公園

2012年06月25日 | 空色の休日 2012 

長野自動車道「岡谷IC」から中山道を下ってすぐ。標高1,000mの丘陵地に広がる「鳥居平やまびこ公園」で「ドリームブルー」の摘み取りができる!ってことでちょ~っと行って来ました。


まずは、入口近くの売店でラベ摘みの受付をして、ハサミと摘んだラベを入れるカップを受け取ります。ラベンダー畑まではちょっと距離があるので受付するのを忘れずに。


受付をするとサシェをお土産にいただけます。


催物ひろばの円形ステージ東に斜面がラベンダーの摘み取り畑となっています。上部の色づいているのが「ドリームブルー」。下側の「グロッソ」はさすがにこれからです。


池田町「夢農場」のオリジナルラベンダー「ドリームブルー」が嬉しいですね。


効率よくカップに差し込むと300本くらいは入ります。


今回はとりあえず摘み取りだけで‥‥。
入園料及び駐車場は嬉しい無料の「鳥居平やまびこ公園」でした。

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諏訪大社 下社秋宮

2012年06月25日 | 空色の休日 2012 

春宮より旧中山道を東へと回り込んで行くと下社秋宮の正面となります。そのまま大社通を横切って境内南が駐車場となります。
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  駐車場情報:ここです→ ブログ人マップ


鳥居を入って正面が神楽殿。その前に聳えるのは「根入杉」。
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???注連縄が無いですね。
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幣拝殿
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御朱印をいただきました。


大社四宮をお参りしたご褒美に(?)「御神供(ごしんく)」をいただきました。信州特産のそば粉で調整した「そばらくがん」です。これは嬉しいですね。


ちゃんと諏訪梶と明神梶の2種類入っていますのでご安心ください。



■諏訪大社へ行こう! 2012
 上社前宮
 上社本宮
 下社春宮
 下社秋宮

信濃國一之宮 諏訪大社 由緒略誌

御 鎮 座 地
 お諏訪様・諏訪大明神と親しまれ、崇敬されている諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社があります。更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれて鎮座しております。氏子区域は広く諏訪圏全域(三市二町一村)にわたり、特殊な神事や信仰を守り伝えております。
 上 社 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲鎮座
     前宮(まえみや)長野県茅野市宮川鎮座
 下 社 春宮(はるみや)長野県諏訪都下諏訪町鎮座
     秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町鎮座

御 祭 神
  建御名方神(たけみなかたのかみ 男神)
  八坂刀売神(やさかとめのかみ 妃神)
  八重事代主神(やえことしろぬしのかみ -合祀- 兄神)
 父神は大国主神、兄神は八重事代主神で国造りの大業を成しとげられました。八坂刀売神並びにその御子神と共に、信濃国の開拓に御神意をそそがれ、やがて、この諏訪湖畔の聖地に、お鎮まりになられました。

御 神 徳
 当大社は古来より朝廷の御崇敬がきわめて厚く、持統天皇(じとうてんのう)五年(691年)には勅使をつかわされて、国家の安泰と五穀豊穣を祈願なされたのをはじめ、歴代の朝廷の御崇敬を拝戴してきました。
 又、諏訪大神は武勇の神・武門武将の守護神として信仰され、古くは神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の折に御神威あり、平安時代には関東第一大軍神として広く世に知られました。鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康以下歴代の将軍、その他諸国の大名たちが社領の寄進・神宝の奉納をして武運の長久と国家の安泰を祈願しております。
 広くは雨・風の守り神、水の守護神で五穀の豊穣を祈りました。又、生命の根源・生活の源を守る神であり、家内安全・健康長寿・交通安全・商工業の繁栄・開運招福など、御神徳は宏大無辺でございます。



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万治の石仏

2012年06月25日 | 空色の休日 2012 

諏訪大社下社春宮の北側を流れる砥川(とがわ)を渡った対岸にある高さ2mほどのユニークな石仏「万治(まんじ)の石仏」。
万治の石仏
 一般的な呼称は「マンジノセキブツ」と呼ばれています。
 今から十数年前、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学に来られこの石仏と対面された、画家の岡本太郎さんや、作家の新田次郎さん方が感嘆されたことにより、一躍話題を呼び講演又は雑誌等で全国に紹介され知られるところとなりました。
 その一文に「万治の石仏」(まんじのせきぶつ)としての言葉が写真も添えて発表され、同時に石仏のユニークな風貌がより話題となりました。
 石仏の「万治」は、この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれているところによるものです。

<新田次郎さんの句>
石仏の いわれを秘めて 秋の月

(Resource:下諏訪観光案内所)


万治の石仏と伝説
南無阿弥陀仏万治三年(1660)十一月一日
願主明誉浄光 心誉廣春
伝説によると諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)
その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ果たしてそこに良材を見つける事ができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚、この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。
        下諏訪町
石には「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主 明誉浄光 心誉慶春」また、胸にはいくつかの謎(なぞ)の紋様が彫られている。 向って右から太陽・雷・雲・磐座(いわくら)・月などで、これは大宇宙の総てを現し、右端には逆マン字が刻まれている。
 これは大日如来を教主とする密教の曼荼羅で、阿弥陀如来と大日如来を一体の石仏に共存させた「同体異仏」を信仰する密教集団の弾誓上人を祖とする浄土宗の一派である。「南無阿弥陀仏」と唱えれば現世でこの身このまま成仏できると説き、民衆に即身成仏による仏としての自覚を与えた。これは今までに例のない念仏思想で「仏頭授受」を伝えるものといわれている。
 石仏は浄土宗の弥陀定印を結び、願主は浄土宗に帰依した人の法名で、兄弟かまたは師弟のつながりをもっていて、その二人がこの石仏を造立したのでないかと推定されている。

万治の石仏 お参りの仕方
一、正面で一礼し、手を合わせて
  「よろずおさまりますように」
  と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱え
  ながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り
  「よろずおさめました」
  と唱えてから一礼する。


では、いってみましょう!「よろずおさまりますように‥‥。」


「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」


「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」


「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」





「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」


「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」


「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」





「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」


「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」


「‥‥ ‥‥ ‥‥ ‥‥」





「よろずおさめました。」
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諏訪大社 下社春宮

2012年06月25日 | 空色の休日 2012 

上社本宮から諏訪湖を隔てた北側。中央本線下諏訪駅の北、中山道「春宮大門」の交差点の一の鳥居から参道を上がると諏訪大社の下社春宮となります。鳥居前に見えるのは御手洗川に架る太皷橋(下馬橋)です。
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遷座祭の神輿だけがこの橋を渡るという神橋とされていますが、きっと誰か渡っちゃてると思う‥‥。
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の向こう側が駐車場の入口となっています。
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鳥居を入ると正面に神楽殿。
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神楽殿の向こうに「幣拝殿と左右片拝殿」。
幣拝殿
この建物は御幣を奉ずる幣殿と
拝殿が一体となったもので幣拝殿
と呼ばれている
建築様式は二重楼門造りで全体に
見事な彫刻が施されている
棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)
長左衛門で秋宮と同じ絵図面で
秋宮幣拝殿より一年早い安永九年
(一七八〇)に落成した
春秋両宮は社殿構造は同じで当時は
双方で技術が競われた
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御朱印をいただきました。

■諏訪大社へ行こう! 2012
 上社前宮
 上社本宮
 下社春宮
 下社秋宮

信濃國一之宮 諏訪大社 由緒略誌

御 鎮 座 地
 お諏訪様・諏訪大明神と親しまれ、崇敬されている諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社があります。更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれて鎮座しております。氏子区域は広く諏訪圏全域(三市二町一村)にわたり、特殊な神事や信仰を守り伝えております。
 上 社 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲鎮座
     前宮(まえみや)長野県茅野市宮川鎮座
 下 社 春宮(はるみや)長野県諏訪都下諏訪町鎮座
     秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町鎮座

御 祭 神
  建御名方神(たけみなかたのかみ 男神)
  八坂刀売神(やさかとめのかみ 妃神)
  八重事代主神(やえことしろぬしのかみ -合祀- 兄神)
 父神は大国主神、兄神は八重事代主神で国造りの大業を成しとげられました。八坂刀売神並びにその御子神と共に、信濃国の開拓に御神意をそそがれ、やがて、この諏訪湖畔の聖地に、お鎮まりになられました。

御 神 徳
 当大社は古来より朝廷の御崇敬がきわめて厚く、持統天皇(じとうてんのう)五年(691年)には勅使をつかわされて、国家の安泰と五穀豊穣を祈願なされたのをはじめ、歴代の朝廷の御崇敬を拝戴してきました。
 又、諏訪大神は武勇の神・武門武将の守護神として信仰され、古くは神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の折に御神威あり、平安時代には関東第一大軍神として広く世に知られました。鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康以下歴代の将軍、その他諸国の大名たちが社領の寄進・神宝の奉納をして武運の長久と国家の安泰を祈願しております。
 広くは雨・風の守り神、水の守護神で五穀の豊穣を祈りました。又、生命の根源・生活の源を守る神であり、家内安全・健康長寿・交通安全・商工業の繁栄・開運招福など、御神徳は宏大無辺でございます。


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諏訪大社 上社本宮

2012年06月25日 | 空色の休日 2012 

上社前宮より西へ約1.5Km。上社本宮東参道入口となります。駐車場は社標の立つ左側となります。
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二の鳥居をくぐると正面に入口御門。ここより布橋と呼ばれる廊下が続きます。左右に百社以上の摂末社が並びます。
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こちらは北参道から入ったところ。正面が堀重門。布橋を出るとここになります。
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入口門より入り右は宝物殿、正面は参拝所。(左が入口門、後が授与所となります。)
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勅願殿(ちょくがんでん)
勅願とは天皇の祈祷という意味である
当大社の場合この建物は御祈祷を行う
場所である
建立は元禄三年(一六九〇)といわれ
建物の配置は諏訪大神の御神霊が宿る
守屋山(御神体山)に向かい建てられ
古図には祈祷所と記されている
幣拝殿が大社の恒例祭典や重要神事を
斉行して国家安泰並公事の祈願を執行
する場所であるのに対して勅願殿は
個人私事の祈祷を行う場所である
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参拝所。
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斎庭を挟んで拝殿。本宮の方向を向いていますね。幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない「諏訪造り」という独持の様式。
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北参道を入って正面左に「一の御柱」。
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北参道から入ると布橋を右手に見て東参道の入口御門へ向かうこととなります。
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御朱印をいただきました。



■諏訪大社へ行こう! 2012
 上社前宮
 上社本宮
 下社春宮
 下社秋宮

信濃國一之宮 諏訪大社 由緒略誌

御 鎮 座 地
 お諏訪様・諏訪大明神と親しまれ、崇敬されている諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社があります。更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれて鎮座しております。氏子区域は広く諏訪圏全域(三市二町一村)にわたり、特殊な神事や信仰を守り伝えております。
 上 社 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲鎮座
     前宮(まえみや)長野県茅野市宮川鎮座
 下 社 春宮(はるみや)長野県諏訪都下諏訪町鎮座
     秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町鎮座

御 祭 神
  建御名方神(たけみなかたのかみ 男神)
  八坂刀売神(やさかとめのかみ 妃神)
  八重事代主神(やえことしろぬしのかみ -合祀- 兄神)
 父神は大国主神、兄神は八重事代主神で国造りの大業を成しとげられました。八坂刀売神並びにその御子神と共に、信濃国の開拓に御神意をそそがれ、やがて、この諏訪湖畔の聖地に、お鎮まりになられました。

御 神 徳
 当大社は古来より朝廷の御崇敬がきわめて厚く、持統天皇(じとうてんのう)五年(691年)には勅使をつかわされて、国家の安泰と五穀豊穣を祈願なされたのをはじめ、歴代の朝廷の御崇敬を拝戴してきました。
 又、諏訪大神は武勇の神・武門武将の守護神として信仰され、古くは神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の折に御神威あり、平安時代には関東第一大軍神として広く世に知られました。鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康以下歴代の将軍、その他諸国の大名たちが社領の寄進・神宝の奉納をして武運の長久と国家の安泰を祈願しております。
 広くは雨・風の守り神、水の守護神で五穀の豊穣を祈りました。又、生命の根源・生活の源を守る神であり、家内安全・健康長寿・交通安全・商工業の繁栄・開運招福など、御神徳は宏大無辺でございます。


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諏訪大社 上社前宮

2012年06月25日 | 空色の休日 2012 

中央本線茅野駅の西、中央道諏訪ICからは国道152号を杖突峠(つえつきとうげ)方面へ宮川を渡ってすぐ。「前宮前」信号左手に社標と駐車場、信号渡った向側が諏訪信仰の発祥の地「上社前宮」への入口となります。鳥居左の道路を登っていくと社務所、社殿前にも駐車場があります。
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階段を登ると社務所のある境内となります。正面に二の鳥居。鳥居の左奥に「十間廊」が見えます。社務所は右側。
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十間廊(じっけんろう)
古くは「神原廊(ごうばらろう)」と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、すべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供された。毎年四月十五日の「酉の祭」には鹿の頭七十五がそなえられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っているとから諏訪の七不思議の一つにかぞえられた。
上段に大祝の座、次に家老、奉公、五官の座があり、下座に御頭郷役人(おとうごうやくにん)などの座も定められ、左手の「高神小屋(たかみこや)」で演ぜられる舞いを見ながら宴をはった。

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本殿まで約100m。ローカルな参道を登ります。勢いよく流れる水音が印象的。
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上社前宮本殿
前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。前宮の祭神は、建御名方命と、その妃八坂刀売命と古くから信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。古来より立ち入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた。四方には千数百年の歴史を有する御柱が七年目毎に建てられ、現在の拝殿は昭和七年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。

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御柱(おんばしら)
前宮一之御柱である、長さ五丈五尺(約十七米)直径約一.二米(目通り)の樅の木である。
御神徳の更新を祈る氏子の魂を結集した御柱である。上社綱置場(御柱置場)より二十数キロの行程を数千人の氏子の奉仕により曳行されるので裏側はすり減っている。茅葺きの御宝殿と共に寅歳と申歳の七年目に建て替えられる御神木で神域の四隅に建立される。
御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回の御柱祭は平成二十八年丙申歳に行われる。

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諏訪大社の御朱印帳があったのでいただきました。この色の他、青地のものもあります。



■諏訪大社へ行こう! 2012
 上社前宮
 上社本宮
 下社春宮
 下社秋宮

信濃國一之宮 諏訪大社 由緒略誌

御 鎮 座 地
 お諏訪様・諏訪大明神と親しまれ、崇敬されている諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社があります。更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれて鎮座しております。氏子区域は広く諏訪圏全域(三市二町一村)にわたり、特殊な神事や信仰を守り伝えております。
 上 社 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲鎮座
     前宮(まえみや)長野県茅野市宮川鎮座
 下 社 春宮(はるみや)長野県諏訪都下諏訪町鎮座
     秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町鎮座

御 祭 神
  建御名方神(たけみなかたのかみ 男神)
  八坂刀売神(やさかとめのかみ 妃神)
  八重事代主神(やえことしろぬしのかみ -合祀- 兄神)
 父神は大国主神、兄神は八重事代主神で国造りの大業を成しとげられました。八坂刀売神並びにその御子神と共に、信濃国の開拓に御神意をそそがれ、やがて、この諏訪湖畔の聖地に、お鎮まりになられました。

御 神 徳
 当大社は古来より朝廷の御崇敬がきわめて厚く、持統天皇(じとうてんのう)五年(691年)には勅使をつかわされて、国家の安泰と五穀豊穣を祈願なされたのをはじめ、歴代の朝廷の御崇敬を拝戴してきました。
 又、諏訪大神は武勇の神・武門武将の守護神として信仰され、古くは神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の折に御神威あり、平安時代には関東第一大軍神として広く世に知られました。鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康以下歴代の将軍、その他諸国の大名たちが社領の寄進・神宝の奉納をして武運の長久と国家の安泰を祈願しております。
 広くは雨・風の守り神、水の守護神で五穀の豊穣を祈りました。又、生命の根源・生活の源を守る神であり、家内安全・健康長寿・交通安全・商工業の繁栄・開運招福など、御神徳は宏大無辺でございます。


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