リリカルな日々

いろいろな出来事に対して、自分なりに感じ、考えたこと書いてます。

兄弟の話

2007-09-13 23:26:45 | 我思う
私には7歳年上の兄と、3歳年下の妹がいる。つまり、私達は3人兄弟。
共働きの両親の元、ずっと3人それぞれがお互いをカバー、フォローしあって育ってきた。

と言うわけで、大人になったいまでも私達は仲が良い。
これも、兄弟だけでいろいろな危機を乗り越えるなどして培った絆の深さというものだろう。

特に、7歳上の兄は昔から頼りがいのある人だった。
ある雪の日。幼稚園の帰り道、隣に住むおばちゃんと幼馴じみのカズ君と、腰まである雪道をかき分け家路を急いでいると、200メートル先に兄の姿が見えた。
今考えると、当時中学生だった彼は、テスト週間で早く帰っていたんだと思う。
兄は私を見つけると「みゆきー!待ってろよー!」と叫び、大またでガシガシと道なき道を走って迎えに来てくれたのだ。
子どもながらにその姿は頼もしく、涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。

また、こんなこともあった。
晩秋のある寒い日。どういう理由でかは忘れたが、母が私と兄を自宅において、再び車で出かけてしまった時があった。
しかし、家中の鍵は閉まっており、母を呼び戻そうにも、車は走り去ってしまったあとであり、さらに今のように携帯電話はなく、兄と私は見事に「閉め出され」てしまった状況に陥ってしまった。
途方にくれ泣き出しそうになっている私とは反対に、兄は笑いながら「参った」という表情をしながらも、冷静にもう一度家中の鍵をチェックしに動いた。
幸いにも、テラスの上にある小さい小窓(空気の入れ替えの為にあけてたようである)がひとつ開いてるのを兄は発見した。しかし、窓は横に細長く高い位置にある。
どうするのだろうと考えていると、石油タンクに足をかけヒョイッと登った彼は、それを足場にして細長い窓に入っていき、そして、中からテラスの戸をあけて私を家にいれて事なきを得たのだった。

そう。彼はいつもいつも私のヒーローだった。

現在、兄は39歳になり、ヒーローというにはかけはなれた、ビール太りしているただの中年男になった。

しかし、盆と正月には必ず帰ってきて、親達にさりげなく大金を置いていく兄。
仕事上、転勤族で日本各地を転々とせねばならず、親のことを私達に任せてしまっていることをいつも謝っていく兄。
定年を迎えたらこの田舎に帰って、実家で住むのが夢だと言っている兄。
離れていても、私達妹のことを気にかけてくれ、前向きな助言で背中を一気に押してくれる兄。

やっぱり彼はカッコイイ。

今でも私のヒーローは兄なのである。

※次回は妹の話をしたいと思います。


どたばた育児日記②

2007-09-11 11:55:37 | 我思う
さて里帰りより息巻いてアパートに戻ってきた私。
実に40日ぶり。広い実家で過ごしなれてたせいか、アパートの部屋がおもちゃに見える。決して新しいわけでも、おしゃれでもないアパート。でも、私を迎え入れてくれたなんともいえない部屋の匂い。そして、見慣れた家具。なんだか、ずっと旅して帰ってきたときの「安堵感」が私を包む・・・。
「やったー!これから、私と旦那と子供と3人。笑顔の絶えない家になるんだ!これこそが幸せっていうものなのね~!」なんて思ってた初日の私。今思えば、なんて夢見る少女ちゃん。

勿論、現実はすぐにやってきたのである。ここからが、本当の育児の恐怖。
アパートに戻ってまもなくの、初夏のわりには暑かった日のこと。
その日は、我が子が朝の授乳でかなりの量を吐いて衣服を汚したため1回目の着替えをし、さらにウンチがおしめからもれて2回目の着替えをし、急にやってきた暑さに加え、私のイライラは最高潮に達していた。
そんな精神状態のまま、昼の授乳になったときである。我が子が「絶対飲まない!」と言わんばかりに舌で哺乳瓶を押し返してきた。

1ヶ月健診の際、周りの子供に比べてスリムだった我が子。そして、ミルクの量がたくさん飲めない我が子。更に今日は暑いし、脱水症状を防ぐためにもせめて最低いつもの量だけでも飲んで欲しい。そんな親心で、一生懸命「飲む気」のない彼女をいろんな手を使いつつ、授乳させてラストスパートに差し掛かった頃。
「オエッ!オエッ!」とえづきはじめたかと思った途端、彼女の口から、ミルクが大放出!さながら、銭湯にあるお湯の出口のライオンのようにガーッと吐いたのだ。

そこで、ついに私は「キレた」。まだ、何も解らない乳飲み子に向かって「バカ!」を連呼しつつ、半ば乱暴に3回目の着替えをしてたとき。「罰として、この子を裸ん坊にして放置しておこう」という考えが浮かぶ。一瞬そんなこと思いついた自分に面食らったが・・・・やってみた。
裸ん坊の我が子。おしめ一つでどうしていいかわからず空を仰いでいる。30秒も経たず、可哀想になって衣服を着せてあげた。
うーん。これが児童虐待したくなる母親の気持ちというものか。そんなことを考えつつ、事件にならなくてよかったと心の中で冷や汗をかいた。

その後、一応反省して心機一転育児に取り組むのだが、やっぱり感情が高まると性懲りもなく私はキレ、ティッシュを子供に投げつけたりという事件を経たりしつつ、やっとこ彼女も無事4ヶ月を今月迎えることができた。

本当に今振り返ってみると、自分でも驚くほど酷い母親っぷりである。
しかし、我が子は最近、夜には私がいなければ寝付けれないと大泣きしたり、台所に立つ私と目が合った瞬間微笑みかけるなどしてくる。

こんなんでも母親と認めてくれる彼女に本当に感謝、そして今頃になって愛おしさの増すこのごろである。


どたばた育児日記①

2007-09-08 00:47:43 | 我思う
さて、あのすさまじい出産を終えた後に待っていたのは、24時間休む暇のない「育児」という仕事。

育児。それはそれは、地味な作業の繰り返し。授乳・オムツ替え・授乳・オムツ替え・洗濯・・・・。よく、出産終えた女性はその後の育児の「寝不足が辛い」というらしいけど、何より私が一番辛かったこと。それは、終日、寝間着に近い汚らしい姿に、髪をひっつめ、コンタクトも入れる暇なく眼鏡ですごす自分の姿!

これには本当気が滅入った。世の中、春から夏へ向かう季節。花々は咲き乱れ、お祝いを持ってきてくれる親戚は、すでに半袖・サンダルというスタイル。かたや、私は
見た目より、機能性を重視した、季節感も関係なく伸縮性の富んだ衣服を身に纏っている始末。生む前まで、妊婦らしからぬおしゃれを楽しんでいただけに、このギャップは自分でも情けなかった。

更に、産後の体ということで、制限される行動の数々にもかなりダメージをくらった!産後は実家に身を寄せていた訳だが、気晴らしに新聞読もうものなら「目が腐るから読むな」PCやろうものなら「正気か?」みたいなことを母親に言われ・・・「じゃあ、私の気分転換はどこで諮ればいいんだ~!のプチストレス状態。そして、実の親子だけに双方の間には「遠慮」という言葉が存在しないので小さい衝突を繰り返す日々。もう!アパートに帰りたい!と、何度、旦那に愚痴撒いたことか・・・。

想像はしていたが、こんなにも、私の時間や、自由がないなんて・・・。出産を経ても、相変わらず自己愛の強い自分が居る事に驚くと同時に、育児って大変なんだと、遅まきながら感じていた私なのであった。

しかし、今思えば、それは、まだまだ序章にすぎなかったわけで。
アパートに戻ってからが本当の恐怖だということを、私はこのとき知る由もなかった訳である。
というわけで、次回につづく。