36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

自分がコントロールできないことは悩むだけムダ

2017-01-07 12:42:24 | 意識を整える


 悩みをテーマに数回コラムを書き続けています。
今回で一旦悩みシリーズは打ち止めにしようと思います。



 悩むことは数多くありますし、悩み始めればきりがないのが
人の世、というもの。
これはここ数週間書き続けていますし、皆さんも実体験として
十分ご承知かと思います。
ですので、あまり悩みすぎても仕方がないですよ、ということを
提案してきているわけですが、
とりわけ悩む価値のないものを最後に一つだけお伝えします。
それは「自分がコントロールできないこと」に関する悩みです。


 一般的に悩むという時には自分に選択肢が複数あり、
そのどれがいいかを判断しかねる時に悩むことが可能になります。

 例えば 
  
 日々の食事であったり、
 お付き合いする(したい)パートナーであったり、
 自分がやりたい仕事であったり、
 どの馬を本命にして馬券を買うかであったり

という状態です。

 上述の例は相手の出方に左右されないものばかりなので、
こういった悩みは最終的には自分自身が情報を集め、
その状況でベストと思える判断を下すことによって解消できます。 


 もう一つの悩みのパターンは相手がどう出るかが分からないために
自分の望ましい結果を得るためにどのように努力すべきか悩むというもの。

 具体的には

 気になる相手に好意を持ってもらうためにどうしたらいいか?
 契約を取り付けるために相手をどのように説得したらいいか?
 子どもをしっかりと躾けるためにどのように振る舞えばいいか?

といったもの。

 こちらは相手の出方をいくつか想定して、その上でそれぞれに対応を
検討し、最終的にはベストと思える判断を下すということになるでしょう。


 こうした悩みの特徴は「最後は自分で決める」ことで
悩みに一旦終止符を打つことができるという点です。
こういった悩みについては悩む価値があるでしょうし、
悩み過ぎにならない程度に考える時間をかける意味があると思います。


 ところが、世の中には自分では一切コントロールできないものを
真剣に悩んでいる、という事例が多く存在しているもの。
例を挙げるとすれば

 上司の機嫌がよくならないだろうか(そうでないと相談できない)
 景気がよくなってくれないだろうか(そうでないと利益が増えない)
 失敗してしまったことを変えられないだろうか(そうしないとツラい)

といった悩みがしばしば、頭の中に紛れ込んでくることはありませんか?
よくよく考えてみるとこういった悩みは自分がどう行動しても
変化させることが難しいものばかりであることに気づきます。
極端に言えば、

 明日晴れるかどうかで悩む
 自分の住むエリアに地震が来ないか悩む

といった天気や天災について深く悩んでしまっているようなもの。
最悪の状況を想定して、自分がどう対応するか、について悩むのであれば
まだしも、そもそもコントロールできない事象について
時間をかけ、エネルギーを使って悩んでも状況はよくなりません。


 繰り返しになりますが、Ozaki仮説では悩みがゼロになることはない
というのが人生です。
であれば、なおさら、悩まなくていいことは悩まず、
悩んだ末に意味のある結論を引き出せる悩みだけ残したいですよね。