テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

アンチ メリー・ポピンズ

2014-07-31 23:02:33 | 脱線して底抜け
ご無沙汰いたしております。
もう、あっさりと終了宣言でもしたほうがよいかとも思っていたのですが、まだ拙ブログを見ていて下さる方も居られ、のこのこと舞い戻って参りました。

私、いままでこのブログで紹介したように、背中に背負うバッグが好みです。
と、云うか、手に何かを持って移動するのが嫌いなのかも知れません。
実際、そのことを指摘されたこともあって、道具やタバコ以外をもって歩くのを滅多に見ない、云々というようなことを言われたことがあります。
もちろん、鳥見や星見のときには双眼鏡、釣りの時には竿、また、出先で買い物したときにはその品物を掴んで歩くのですが、どこかに移動するとき、ハナから手提げの類を持つことはありません。
例外はキャリートランクですが、これも、大きなザックに替えて暫く経ちます。
ショルダーストラップの付いたバッグでも一方の肩に真っ直ぐ掛けるのは好まず、いわゆる斜めがけで、ずり落ちたりすることがないようにしています。

自分でも気付かないウチにいわゆる手荷物を避けていたりもするようで、何故か、と問われたこともあります。
で、このまえつらつらと考えた屁理屈が本日の記事タイトルです。


メリーポピンズ、は半世紀前に作られたミュージカル映画でジュリー・アンドリューズ扮する不思議な能力を持つ雲の上の住人が、ナニー(子守)として銀行家のバンクス家に現れ、その不思議な力でバンクス家の子供達やみんなを幸せな方向へと向かわせ、雲上に帰って行く、というお話しなのです。


結構好きな映画で、もっと幼い頃は、ミュージカルの愉しさがわからずに、例えば、アニメ、ワンサくんでも、ミュージカル回のときは、つまらないなあと感じていたりもしたのですが、音楽に目覚めるにつれミュージカルの面白さに嵌り始め、そんな時期に観たメリーポピンズも、幾つかの歌とともに鮮明に記憶に残っています。
♪"A Spoonful of Sugar Helps the Medicine Go Down" とか
♪"Supercalifragilisticexpialidocious" 、
大ヒット曲の♪"Chim Chim Cher-ee"などなど、いまでも空で歌えるでしょう。
ただひとつ、歌詞の内容に納得出来ない歌があって、
♪"2ペンスを鳩に(Feed the Birds (Tuppence a Bag))"がそうでした。
メリーポピンズによって甘い子守歌の様に唄われるこの歌は、2ペンスでハトの餌を買って、あげましょう、という歌詞にどうも違和感があるのです。
子供っぽい背伸びした倫理観を振りかざして、ハトにエサを与える行為の傲慢さに反発し、甘く歌い上げるメリーポピンズの意図が良く判らなかったのでした。
好きな映画ではあるのですが、この一点のみに関しては、おそらくもう一度映画を見直さない限りずっとしこりを持ったままでしょうし、全面的ではないにせよ、アンチ メリーポピンズ、めいた思いは消え去ってはくれません。

蛇足ながらどこが屁理屈なのかというと、
その昔、阪急梅田駅からJR大阪駅界隈の早朝のガード下を徘徊したフリルの服にボストンバッグとガード下にもかかわらず日傘をさした老女がメリーポピンズ婆さんと呼ばれたように、傘とバッグを両手に持った姿がメリーポピンズのアイデンティティなので、手ぶらで居るのがアンチだというこじつけです。

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