ジョージ・いまさきもり の アンダンテ・カンタービレ

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『追悼 宇沢弘文先生』~9/30  NHKラジオ『ビジネス展望』 内橋克人さんのお話

2014年11月13日 | ラジオ番組

『追悼 宇沢弘文先生』   
           9/30  NHKラジオ『ビジネス展望』 内橋克人さんのお話の要約です。  

宇沢弘文先生と対談の思い出

日本を代表する経済学者の宇沢弘文さんが先日亡くなられた。

大変悲しいことであるが、振り返ってみると,
岩波の雑誌『世界』をはじめ農業関係の新聞にいたるまで、
私が宇沢先生と対談させていただいたのは、10回を超えている。

そうした中から、
『始まっている未来 新しい経済学は可能か』という2人の対談集を出させていただき、
あるいはまた、
『経済学は誰のためにあるのか 市場原理至上主義批判』、
この本は9人の経済学者との対談集であるが、ここにも、納めさせていただいた。

一般には、”気むずかしい宇沢先生”と思われているかもしれないが、
どの対談でも、力を込めて自説を展開なさって、
時には、これまで秘密にされて来たことまで、とことん話して下さった。
今となっては、悲しい回想の中で深く思いを巡らすほかにない。

忘れられないのは、宇沢先生の風貌である。
白く長い顎鬚(あごひげ)は、有名であるが、
他にも、いつも背中には赤い色のリュックサックを、
そして時には、頭に同じ赤い色のバスクベレーを乗っけておられた。

バスクベレーは、
スペインとフランスの国境バスク地方の農民が愛用していた帽子で、
ベレー帽の起源とされている。
赤いベレー帽からは、農業の”農”に入れ込まれた深い思いが伝わって来る。

背中のリュックサックもそうであるが、
時には軽やかなウォーキングシューズを履いておられたこともある。

不思議なことに、宇沢先生との対談は、
いつも、クライシス(危機)の最中、その渦中でのことが多かったと思い出される。

例えば、阪神淡路大震災後の 1995年1月19日の夕刻であるとか、
あるいは、リーマンショックの後、日本経済がまさに深刻な危機に撃たれて、
派遣切りが相次いだ危機の最中、といった具合であった。

また、この対談集『始まっている未来』のあとがきを書いたのは 2009年9月16日であるが、
この日は、政権が民主党に移り、
新政権発足を伝えるニュースに耳を傾けながら書いていた、という具合であった。

また、TPPについての対談も、同じように緊迫した状況の最中であった。

(これらの対談集を読んでいただければ)
日本社会が見舞われる世界的規模の危機、
そのすべてが宇沢先生の深い憂いの中にあった、と言う事がおわかり頂けるだろう。

効率主義・市場原理主義の批判

『社会的共通資本』を基軸概念とする宇沢経済学については、
既に多く、メディアで報じられたところである。

また、水俣病から環境問題、あるいは成田空港問題、等々
苛烈な現実へと研究テーマを広く深く掘り下げても行かれたのである。

そうした中でも、
上述の『経済学は誰のためにあるのか 市場原理至上主義批判』、
これではむろん経済学一般への批判も強めておられていた。

これらは大変記憶に残るところであるが、
今朝は、これらについての話は繰り返さないことにしたい。

今朝は、心に残る宇沢先生のお話しを、一つだけ短く紹介しておきたい。

それは、イギリス福祉社会の崩壊はなぜ起きたのか。
サッチャー政権のもとで何があったのか。
あの、『ゆりかごから墓場まで』の高度福祉社会がどのようにして壊されて行ったのか。
その過程についてのお話しである。

宇沢先生によると、
かつてのイギリスでは、
『ゆりかごから墓場まで』を象徴する福祉の砦が、『NHS(ナショナルヘルスサービス)』であった。
これは、貧富の差に関係なく、ひとたび健康を害すれば、
だれでも個人負担ゼロでケアを受けることができる仕組みであった。

それがサッチャー政権のもとで
財政負担削減のために 『NHS』の解体に乗り出してしまったのである。

『NHS』の解体をどう進めるかについて、
アメリカから招聘されたのが、アラン・エントホーフェンという経済学者であった。

実は、この経済学者は、かつてアメリカ本国でマクナマラ国防長官に仕え、
あのベトナム戦争当時、『いかに効率的にベトコンを殺害するか』
ということに知恵を絞った経済学者であった。

『ベトコン一人を殺害するのに要するコストを最小にする』、
つまり、少ないコストで多くのベトコンを殺す、
これを彼は『 キル レシオ(kill ratio』)と呼んだことで知られている。恐ろしい言葉である。

イギリスに渡ったエントホーフェンは、さっそく『NHS』の解体に取り組むのであるが、
今度は、『いかにコストを安くして病人と老人に死んでもらうか』、
これを『デス レシオ(death ratio)』と名付けた。
戦争中は『kill ratio』、平時は『death ratio』というわけである。

そういうことで、『NHS』では、60歳を超えた慢性腎臓病患者には、
無料で人工透析を行うことは禁じる、ということになったのである。

繰り返して言うが、
戦時の『kill ratio(殺す効率)』、そして平時における『death ratio(死なせる効率)』、
こうした効率主義・市場原理主義でもって財政の削減を成し遂げていったのである。

ミルトン・フリードマンに発する新自由主義・市場原理主義のフリートレード・フェイス(自由市場信仰)であるが、
その非人間性について、
宇沢先生が、力を込めて事細かに次から次へと話しをされたのが思い出される。

「社会的共通資本の柱は、医療・教育・農業その他にある」と、
繰り返してお話しになった。

後世に伝えたい宇沢先生のお人柄

最後になるが、宇沢先生には、ため池の話しがある。
「ため池こそは、地方主権・地域主権の源泉だった」という話しをよくされた。
ため池とダムの違い...ため池をつぶしてダムになっていくのであるが、
その違いはどこにあるのか?、ということである。

宇沢先生の真理・真実追求への誠実さ、筋の通った学理。
一言で言えば、
まさにsincerityと discipline (誠実と節度)の両者を兼ね備え、人間の経済学を追及された。
それが宇沢先生であったことを、皆さんに強くお伝えしたい。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

お話の中の『ため池とダムの違い』については、
『始まっている未来 新しい経済学は可能か』の後半、
「(補論Ⅰ)社会的共通資本としての農の営み」の中に詳しく載っています。

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