人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

現実を見つめる

2011-03-26 10:12:56 | Weblog
 春が来て庭には沈丁花の香りが満ち満ちている。梅が花開き、サクランボの花が咲き、そしてアンズや
スモモが花開こうとしている。こんな春なのに心晴れぬ日々が続いている。今回の大震災では大きな
被害を受けた上、今もなお福島原子力発電所では一進一退の状況が続いているからだ。

 被災地に関わる話を聞く度に、こみ上げてくる涙を押さえることが出来ない。自分はこんなにも涙
もろかったのかと驚いている。しばらくはテレビ・ラジオ・新聞から遠ざかっていた。被災地の悲惨な
状況や原発報道を見聞きするに耐えられなかったからである。

 しかし、事態が長引くに連れ、避けているばかりでなく現実と向かい合わなければならないと思う
ようになってきた。時あたかもマヤの予言は2012年である。次元上昇などと言う超現実的な話も
現実味を帯びてきた。

 いったい私達人間はどこへ向かおうとしているのだろうか。今、起きている事の全ては本当に現実
なのだろうか。夢を見ているのではないだろうか。私達は当てのない船に乗って大海原を彷徨っている
小舟のような気がしてならない。

 人生は千人いれば千人の人生がある。同じ時間に生きていても人それぞれに人生は異なる。この現実は
どうしようもない。そしてある意味、人は孤独である。他に頼ろうにも頼る手段がない。生き残ることが
出来たもの、命を落としたもの、時と場所が一緒であっても冷酷にも明暗は分かれる。

 エイズ、新型インフルエンザ、口蹄疫、鳥インフルエンザ、戦争、交通事故、天災と様々な災難が
何の前ぶれもなく訪れ、その度に多くの不幸な人を作り出してきた。運不運は誰にも予測は付かない。
また、このまま生き長らえていても果たして幸せかどうかも分からない。

 こんな事を考えれば考えるほど般若心経の一節一節が貴重なものに思えてくる。ともかく先々を心配
しても仕方のないことなのだろう。今は今だけを見つめて生きていきたい。

 被災地の子ども達は健気にも元気だ。こんな生き生きとした姿を見るのが、せめてもの救いだ。若さ
故だろうか。生きる力が子ども達をこんなにも輝かせているのだろうか。そう言えば在りし日の私達も
このようにして生きてきた。

 被災地では復興の目処の付かないままがれきの山が幾重にも山積している。そして一部の人の中には
故郷を捨てて移動を始めた人もいる。残るもの去っていくもの、それぞれに明日を知れない人生が待って
いる。

 今回の原発騒ぎである日のことを思い出したので書いておこう。それは私が高校生だった50年ほど
前の事である。

 その頃、アメリカ、フランス、ソ連等、先進各国は競うようにして大気中の核実験を繰り返していた。
地下核実験なるものに切り替わったのは最近の事である。

 実はその頃、私は高校の原子力研究班に入ってクラブ活動をしていた。そこで繰り返し行われていた
のが大気中の核物質を収集し、収集したものを蒸し焼きにして放射能の濃度を測定することであった。

 ある日、学校近くの山の頂にワセリンを塗った紙を置きに行くのが同級生と私の順番になった。当時
核実験が行われて数日を経て核降下物質は日本へ到達していた。それを集めるのがワセリンを塗った
紙であった。私達は、どこでどう迷ったかのか山中を彷徨い歩く事になってしまった。やっと民家の
近くまで降りてきて、何かの施設だったと思うが、そこへ駆け込んで乾いた喉を潤した。苦い経験で
ある。秋だというのに全身は汗びっしょりであった。

 私達は先生に命ぜられるままに白菜だったかキャベツだったかをレントゲン検査で使う感光フィルム
にあてがい、その後、現像したことがあった。現像したフィルムを光に透かして見ると無数に幾つもの
放射性物質に感光した斑点が残されていた。

 あの頃、健康被害を及ぼすような安全基準もなく、水で洗うことが唯一の健康被害から身を守る方法
であった。確かあの頃、世界中に降下していた放射能物質はセシウム137やストロンチウム90等で
あったと記憶している。その量は計り知れない。

 私達は今までにも何度も核による被災を繰り返している。もういい加減に核の恐怖とは決別したい。
そうしなければますます地球は核物質で汚染され続けることになる。そして今もなお核戦争の恐怖は
終わっていない。
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4 コメント

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安政柑から繋がりました (川原真奈美)
2011-03-27 06:36:15
はじめまして、瀬戸田町でみかん農家をしています(実際は79歳の父の見習いを初めて3年)安政柑があまりにも無残なヤケがきてどうにかしたいと色々検索していましたら
こちらのページに繋がりました
ご縁に感謝します
今回の東北災害は私もついに天罰が下された!そして世界の中でしかも日本でしかも東北地方に大災害をもたらしたのには意味があり、関東中心部に不具合を与えていることにも意味があるように思えてなりません。
今一度の人間が足るを知るチャンスを下さった。復活できる起爆剤の人間が選ばれたと思えてなりません。原発はこれ以上増やしてはいけない!便利ばかりを優先して命が二の次になっている事実に改めて気づいたところです。最前線で旗を振って原発反対をしているわけでなく、もういい加減満足しようや・・・・誰に言うともなく政治家あたりを心の中で攻めてみたりしているつまらん奴です。
ブータン王国は書籍を取り寄せ憧れていました。しかし日本は今からブータンになれるはずもなくならなくてもいい。でも心根は見習うべきだと思います。
安政柑から繋がってきたのですが
理念を読ませていただき大変共鳴したので
感謝の気持ちで書かせていただきました。
これからもご縁がつながりますように

私は今年ブログを立ち上げました
すすめまなみかん
四苦八苦して
凸凹な感じのブログですが
想いは一緒だと感じます
よろしければこんな人間が瀬戸田にいるんやなぁと思ってください。

初めての方に長文
ぶしつけが私の短所ですが長所です
お許しくださいませ。
ありがとう (ものつくり)
2011-03-30 06:33:39
Kさんコメントありがとう御座います。
出来ればブログのURLを私宛に送って
いただけませんか。
私の安政柑は瀬戸田で知った味が
忘れられなくて苗を植えたのが始まりです。
繋がりをありがとうございます (川原真奈美)
2011-03-30 07:06:44
安政柑のかんたろうじいさんをアップしています
ぜひご覧ください
そして・・・・・
失笑・・・・・

どんなことも歓迎です
ブログ拝見 (ものつくり)
2011-04-04 05:38:50
Kさんブログ拝見しました。
Kさんが私のホームページを探し宛てて
下さったのも偶然ではないような気がします。
今こそ物やお金ではなく人と人の繋がりの
大切さを再認識すべき時だと思っています。
これからもよろしくお願いします。

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